複数アカウント
ここでは何を書けばいいんだろう。と最近ものすごく悩む。Ⅹの本垢(のつもりで使っている垢)では、公募の休止を宣言した頃から日常についてのポストを主にしているが、公募作品の執筆に使っていた時間が空いたことから、オタク・腐女子的妄想も捗ってきて、しかしそういったことを呟くのは場違いなのではと他のアカウントを使用するようになった。
そちらの方は日頃ときめいたことや考えたことを心の赴くままに書いており、本垢に比べて変態的で中二病な内容となっている。本垢とサブ垢、正直結構ギャップがあると思う。ではこのnoteの使い方はというと、練習に書いた小説をアップロードする場所であり、思考の整理のために考えたことを文章化する場所である。
すべてのアカウントに役割があり、臨機応変に発信場所を選択しているはずなのだが、このことに何となく疲弊してしまうことも事実だと最近気づいた。「このアカウントだからこういうことを書かなければいいけない、こっちではこういうことを……」と自分自身が振り回されてしまうのである。
もともと内面とふるまいでギャップが大きい性質だと思う。しかしそれは違いはあれど誰しもが持っているものだ。「言ったら引かれるだろうな、恥ずかしいな」と、内に秘めておくことなんてざらにある。それをあえて複数アカウントを使い吐き出していると、逆にすべてが虚言に思えてくるのだ。本当の自分がわからなくなる。恐らくすべて本当なのに、アカウントを比べてしまうとあまりに別人で混乱する。自分は頭がおかしいんじゃないかと、心が少し負傷する。
あえてこういう方法をとる理由として今思いつくのは、他人に迷惑をかけない為、ということしかない――――いや、多分すでに迷惑や不快を感じさせるポストはしていると思うが。性質の違いでアカウントは分けているが、どちらもまともなことは呟いていない。そういう自覚はある。甘えているのだ。それでもフォローを外さないでいてくれる人たちに。
他人にとっては甚だどうでもいいことだ。私がどのアカウントを使おうが何を発信しようがネットの海から消えようが、被る影響など微々たるものだろう。私自身も嫌ならやめればいいのだし、誰も知らないアカウントを一から始めてもいいのだし、ネット上のストレスを解消する方法など容易なのである。わざわざ疲弊したり傷ついたりする必要などない。だからこそ、本当に嫌になるまでは続けてみようとも思ってしまう。できれば辛くない方法を取れたらいいのだけど。どうにも不器用ではある。
好きなものが沢山ある。何事にも縛られたくない。居場所が沢山あればいいけど、それだけ人との関係が薄くなり、結局孤独感を感じるようになる。アカウントを分けることにも同じ作用があるような気がする。何となく空しい。しかしそれでいいのだと思う。同じ方向を向いている群れの中にいるほうが苦しい。その大群を外側から傍観しているほうが性に合っている。昔からそうなのだ。それが悪いわけでもないし。
複数のアカウントとは適切な距離を保ちうまく付き合っていけたらいいと思う。執筆する私も下品で変態な私も美しいものが好きな私も全部本当だ。皆そういう多面性を持っている。それが人の面白いところとして、誰かの新しく見えた一面を愛せたら、自分のことも気持ち悪いではなく魅力的なであると認められそうな気がする。