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ローラースケートパーク 考察


はじめに

ローラースケートパーク」は、1993年9月にリリースされた小沢健二さんのファーストアルバム「犬は吠えるが、キャラバンは進む(その後「dogs」に改題)」に収録され、曲順の最後を飾る楽曲だ。7分を越えるゆったりとしたメロディーラインと、あまりに詩的な情景の輝きが印象的であり、また初期の小沢健二さんの中でも異色な魅力を放つのがこの作品だ。そのエキゾチックな観点にも注目しながら読み解いていきたい。

「ローラースケートパーク」小沢健二↓
https://www.youtube.com/watch?v=QF8uurj9Ao8

本文

Aメロ1

長い手を不器用に伸ばし 赤いTシャツの女の子
恥ずかしげに歌を歌い 僕の耳にも届くよ
汗をかきオレンジをかじり 耳の後ろにかき上げた髪
ローラースケートで滑って回ろう 土曜日の公園の中

・「長い手を~Tシャツの」は「女の子」を修飾する言葉だ。そして「恥ずかしげに~届くよ」はその「女の子」を主語とした文章として成立させている。非常に印象的な歌詞で、シーンがかなり具体的に作りこまれていることから、小沢さん本人の実体験に基づいた場面のように思える。
・「Tシャツ」「オレンジ」とあることから、季節は夏ごろと考えられる。
・小沢さんは女性を「彼女」と表現することが主なことから「女の子」というフレーズは少し特殊な意味合いを持っているはずだ。
・「恥ずかしげに歌を歌い 僕の耳にも届くよ」から「僕」が「女の子」の近くにいることが確認できる。(余談だが「彗星」における「僕の部屋にも届く」などを連想した方もいるかもしれない。個人的には「伝わる」を避けて「届く」を用いているように感じられる)
・小沢さんとしては珍しく同じ単語(ここでは「耳」)が短いスパンで二度も登場しているが、確実な使い分けがなされている。また特に「耳の後ろにかき上げた髪」という表現は「flipper’s guitar」 時代の面影(女性の仕草を細かく表現する描写)が感じられる。
・最後の一行で「ローラースケート」という題名を思わせる言葉が登場するが、この時点では、この言葉がシーンの一要素のようにしか感じられない。しかし「土曜日の公園の中」が補われていることによって、「僕」と「女の子」がデートをしている想像をすることが容易になる。

サビ1

誰かが髪を切って いつか別れを知って
太陽の光は降りそそぐ
ありとあらゆる種類の言葉を知って
何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!

・まず目に入るのは[a]の母音を中心とした韻の刻みだろう。とくに最後の一行に関しては語調に凝った作り方がされている。楽曲全体を通してみても、あからさまな韻表現が多いこともこの曲の特徴だ。
・冒頭から「誰かが」というう主語が提示され、Aメロ1の「女の子」よりも主語自体がより抽象化、普遍化された。しかしAメロ1で登場した「髪」という単語がここでも使われていることから、なんらかの関連があると考えられ、そうなると、やはり「女の子」が「誰か」に当たる人物であると思われる。
・背景が描かれていないことから、このパートの全体像を正確に把握することは難しい。聴き手として個人的に感じるのは、髪を切ることが別れのサインであるというイメージを彷彿とさせ、「太陽の光が降りそそぐ」でこのイメージにベールをかけているということだ。
・最後の一行だが、前文を踏まえた非常に力強いメッセージが表現されているように思える。最後の「さ」からも「僕」視点で踏まえられている言葉だとわかる。「何も言えなくなること」を「過ち」だと捉え、「そんなバカな過ちはしない」と強く否定し決意していることは読み取れる。種類が何を指しているのかはこの時点で明確でない。

Aメロ2

浜辺にはクローバーの花  白い雪のように散らばり
鼻をすすりくしゃみをして 犬が空を見上げてる
来た風を帆に受けて走る 青や黄色が波に消えてく
遠く遠くつながれてる  君や僕の生活

・このパートには、Aメロ1で描かれた「女の子」の描写とは大きく異なり、唐突に浜辺の情景を切り取ったような自然描写が心情と相まって壮大に描かれている。
・「犬が空を見上げてる」には二つの意図を感じる。一つは、浜辺にフォーカスしていた視点を「…空を見上げてる」というフレーズによって空に向けることによって、場面の転換をリアルに演出する工夫がなされているということだ。そしてもう一つは、おそらくアルバムのタイトル「犬は吠えるが、キャラバンは進む(もしくは「dogs」)」を意識して「犬」が表現されていることだ。(ちなみに「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」における「南の島で吠えてるよ、ムーンドッグ」も同様の観点だと推測できる)
・「来た風を…消えてく」より、おそらく「僕」が目にしているものは、沖に浮かぶヨットもしくは舟であることがわかる。
・小沢さんは日常から非日常を想起する歌詞を描くことが多く、このパートにおいてもそれが顕著に表現されている。ここでは「浜辺…消えていく」という観察を「遠く…生活」として日常や現実に落とし込んでいる、といえよう。「僕」が物思いにふける姿が想像できる。
・最後の一行に注目すると、まず考えられることは「君」と「僕」が一緒にいないということだ。ここまでの関連からすると、Aメロ1で過去の回想がなされ、サビでなんらかの別れを迎え、Aメロ2の時点で「遠く遠く」離れているという流れが生まれる。
・また「遠く遠くつながれてる 君や僕の生活」というフレーズからは、小沢さんの楽曲テーマの一つともいえる「並行世界」がくみ取れる。

サビ2

誰かが髪を切って いつか別れを知って
 太陽の光は降りそそぐ
ありとあらゆる種類の言葉を知って 
何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!

・サビ1とまったく同じ歌詞が再登場した。つまりこの三行はこの楽曲の中で特に表現されている強いメッセージだということだろう。
・サビ1と違うポイントを挙げるなら、Aメロとの関連性だ。Aメロ1では「女の子」という主語表現のもと、そのつながりをもってしてサビが描かれていると解釈していたが、Aメロ2には明確な人称は見られない。しかしAメロ1の「女の子」がAメロ2の「君」にあたるのならば、若干の伝わり方の違いに留まるかもしれない。

Bメロ1

それでここで君と会うなんて予想もできないことだった
神様がそばにいるような時間

・サビで描かれていた「別れ」の内容に近づく重要なパート。偶然の再会の様子がシンプルに描かれている。「それで」「ここで」の指すものから想像するに、楽曲の主人公「僕」がいる時間軸はおそらくこのパート(場面)にある。
・さらに考慮しなくてはならないのは、このパートにおいては「僕」は「君」と一緒にいる可能性が高いということだ。(Aメロ2との比較)
・「神様」という単語は小沢さんが好んで使う言葉のひとつだ。ここでは自分は運がいいという意味なのか、はたまた恵まれているという意味なのか?

サビ3

誰かが髪を切って いつか別れを知って
太陽の光は降りそそぐ
ありとあらゆる種類の言葉を知って
何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!

・Bメロ1の議論を仮定すると、現実の時間軸に立ち戻った上で、再び過去の「別れ」の景色を思い描いているということになる。
・三度目の登場にして「ありとあらゆる~しないのさ!」というここまで浮かんでいたフレーズが、Bメロ1の場面(時間軸)における心情だったという見方が濃厚になる。つまりここまでこのフレーズの真意をうまくつかめていなかったのは、作者の意図的な展開であったのか?もしそうだとすれば非常に高等かつ緻密な作詞に間違いない。

Bメロ2

意味なんてもう何も無いなんて 僕がとばしすぎたジョークさ
神様がそばにいるような時間 続く

・サビにあった「ありとあらゆる~しないのさ!」の流れを踏まえているかのような歌いだし。語調としてはサビの「何も言えなくなるなんて」とも類似している。
・「意味なんて何もない」とはいったい何を指しているのかは不明瞭だが、それは小沢さん本人のみの知るところかと思う。ただそれを「ジョークさ」と歌っていることから、流れ的には、「何も言えなくなる」という一時期おかしてしまった「過ち」を訂正しようとしている、撤回する、もっと言えばごまかそうとしている、ということなのだと読み取れる。
・「~時間つづく」によって、疑いなくBメロが僕現在の時間軸であることが証明されている。

サビ4

誰かあくびをしていつか眠る時も 
満月はずっとずっと照らしてる
通りを渡る人の波の中
シンコペーションつけたクリスマスソング

・パート的には大サビのお膳立てする役割を果たしている。
・初めてサビの内容が変化した。しかし「誰か」「いつか」という言葉や語調がいままでのサビと対応して組まれていることがわかる。
・サビ4とこれまでのサビは対応しながらも対照的に表現されている。顕著なのは「満月」と「太陽」という昼夜の逆転。また、ここまでの夏季イメージ(Aメロ1参照)がサビ4の「クリスマスソング」によって冬景色へと一変した。
・「シンコペーション」とは音楽用語で、リズムに強弱をつけてメロディーに独特な変化を加えることを指す。クリスマスの真っただ中にいる「僕」一人の姿が想像できる。

大サビ(サビ5)

誰かが髪を切っていつか別れを知って
太陽の光は降りそそぐ
ありとあらゆる種類の言葉を知って
何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!

・小沢さんの楽曲の中でも、同じ内容のサビをこのように何度も繰り返すことはかなり珍しい。それほどにこのサビに込められたメッセージには大きいものがあるのだろう。

おわりに

ここまで「ローラースケートパーク」という楽曲をみてきたが、この作業を通して筆者が感じたことは、使用されるワードやフレーズが極めて厳選されており、音のゆとりが贅沢であるということだ。ここまでメロディーと言葉一つ一つの響きを美しく調和させて表現している楽曲は存在するだろうか? 
まさに芸術作品のような楽曲を小沢健二は作り上げてしまったのだ。
 個人的には難解な歌詞内容を楽しむといいうよりも、そのメロディーや詩から素直に想像できる風景やセンスを楽しむことをお勧めしたい気持ちになった。小沢健二さん初期の楽曲の中では、かなり特殊な部類に含まれるこの楽曲だが、まさに隠れた名曲というにふさわしい作品であると思った。

後記(執筆にあたっての感想)

「ローラースケートパーク」は僕自身が小沢健二さんにドはまりするきっかけになった楽曲で、かなり強い思い入れのある作品でした。確か小学四年生くらいの時、車の中でかかったあの瞬間から、すっと曲の世界に引き込まれた記憶を今も覚えています。
もし小沢健二さんのファンの方で「ローラースケートパーク」を聴いたことがない方がいらっしゃったら、ぜひ聴いてほしいです! そしてぜひ普段耳にする楽曲とは一味違う特異な世界観を体験してほしいです。
小沢健二さんの楽曲の中では「ある光」が隠れた名曲としてもはや名高いですが、僕個人としては「ローラースケートパーク」こそ真の「隠れた名曲」と呼ぶにふさわしいと感じています!

読んでいただきありがとうございました。

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