覚悟と勇気
こんにちは。
本日は"覚悟と勇気"という題で思いを綴らせていただきます!主に陸上競技をやっていて経験したことや思ったことなので一部の人とは考え方が違う場合があります。
そして今回の"覚悟と勇気"の前には(嫌われる)という言葉が含まれています。
皆さんは嫌われたくないと思ったことがありますか?私は中学の頃まで嫌われたくないと他人の顔色ばかりを伺っていました。人間関係を構築していく上で他人の意見を聞く、考える、気持ちを知ろうとすることはとても大事です。しかし嫌われたくないからと言って自分が嫌なことを相手から押し付けられ、それを承諾することは違います。まずは自分の意見を言う、これで嫌われたらそれまでです。その程度のことで嫌ってしまうくらいなら、いなくなったほうがいい。いなくなってくれてありがとう、そのくらいの気持ちでいた方がよっぽど楽です。私はなにも意見を言わないで陰で愚痴を並べているくらいならば、意見を言って嫌われてもたほうがマシだと思います。例えそれで悪口や、非難を受けたとしても、それは妬みでしかありません。私がこの考えを持つようになってから、むしろ自分の悪口を言うために時間を割いてくれて"ありがとう"という考えに変わりました。誰かに嫌われても、この世界の人全員を敵に回したとしても、この世界にたった1人味方がいます。それは自分自身です。だから嫌いな人のことなど忘れて、自分の好きなように生きるべきです。
話は変わりますが、あなたは"すいません"と"ありがとう"普段どちらの言葉を多く使いますか?私も含め大体の日本人は"すいません"の方が多いと思います。
日本人は
「人に迷惑かけちゃダメ!」と子どもに教えることが多い。
それに対しインドでは「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい。」と教えるそうです。
人間は誰しも誰かに迷惑をかけながら生きています。きっと今までの人生で迷惑をかけたことない人は誰1人としていないと思います。迷惑をかけずに生きたい、なんてことは傲慢な考えなのかもしれません。人は迷惑をかけ、かけられている、そのような相互関係でも成り立っていると思っています。だけど、責められたりして、謝ることがある。謝ることは自分非を認め上で大切なことであるが、それよりもまず、迷惑をかけられてもお互い様という部分で"ありがとう"と優しくしてあげなければありません。"ごめん"より"ありがとう"という感謝を多く言える世界はとても素晴らしいなと思います。迷惑をかけない、そんな生き方は、他人の優しさ、偉大さをしるチャンスを自らなくそうとしています。迷惑をかけて、優しさを知る、だから人は人に優しくでき、もし自分を抑制し、我慢し続け、何もかも完璧に行うと、失敗する他人を許せなくなります。失敗なければ人は成長しません。テストで合っていた問題よりも間違って復習した問題の方が覚えていることと同じです。
私も部活動で嫌われるのが怖いって思ったことがないわけではありません。これを言ったら、言われた側はどう思うのか、などと考えました。しかし本当の信頼関係があれば嫌なことを言われたとしてもその部分を指摘し、"自分のことをよく見ていてくれてありがとう"となると思います。目標の高い集団なら尚更です。そうやってお互いを高め合い、そして強固な絆が生まれていくものです。そのような嫌われる勇気、覚悟があれば、自ずと付いてくる人はいます。
自分から発信しなければなにも生まれない、始まらない、変わらない、誰か絶対に共感してくれる人はいる。
この文をみて、バカだな、アホらしいと思う人はたくさんいると思う。でも私はその人たちのために文章を書いているのではなく、誰か1人、同じ思いを持っている人、そして自分のために書いている。
自分の好きなように生きる、それが自分の人生にとって、1番欠いてはいけない大事なことであると思う。
人生はフリーダム。
今日という1日、人生で1番若い日を無駄にしないように。
頑張ろう、アスリート。
拙い文章で申し訳ありませんが、目を通していただけるとありがたいです。
長くなりましたが、今日はこの辺で。
次回は"過去と今と未来"について話させていただきたいと思います。
また次回👋
一部、2013年12月に発行された岸見一郎様の『嫌われるの勇気』から引用させていただいてる箇所があります。