117:ニスを塗り重ねた一枚板の作業台の色
森の奥深く
あなたが知っている
もしくは知らない場所にある色屋のお話。
………
「ふぅ,大変な目に遭いました。
少し軒下をお借りしますね…」
色屋は滝の水滴と,突然の雨でコートを濡らし,
慌てて駆け込んだ家の軒下で
ハンカチで雫を拭き取りつつ,つぶやく。
「今日は,よくよく水とご縁があるようですね」
あの光る雲の光を瓶に取り,
滝の雫の色も取り,雨にけぶる景色の色も
瓶に収めて,笑顔の色屋だった。
と,後ろの扉がガラリと開いて
男が声をかけてきた。
「兄さん,濡れたままじゃ風邪をひいちまう
中に入って火にあたりな」
「これはありがたいです。ではお言葉に甘えて」
どうやらここは男の住居兼,
何かの作業をする場所のようだった。
「今,お茶を淹れるから座って待ってな」
薄暗い土間の中央に,ドンと置かれた机。
不揃いの椅子が数脚。
物はたくさんあるのだが、
それぞれがきちんと片付けられており
不思議と狭さは感じられなかった。
「普段は,近所のじーさんばーさんや,
チビ達なんかが暇つぶしにここにやって来ては
なんやかんやと作業をするから,
いろんなもんが集まっちまって」
温かい湯気をあげるお茶を作業台に置きながら,
色屋の視線に気がつき説明する男。
「この傷は,昨日チビ達が竹トンボを作るって,
作業台まで削っちまってさ。
危ねーから慣らして塗装をしたところさ」
「ずいぶん年季の入った机ですね」
「そうだな。ジィさんの,その前の代から
使ってるとかって親父から聞いたな。」
「代々,丁寧に修繕を重ねて
使っていらっしゃるのですね…
深みのある良い色です」
「オッチャン!
雨で滑った親父の怪我を見てやってくれよ!」
ガラリと開けられた戸から勢いよく
少年が飛び込んできて,男に声をかけた。
「おう。そりゃいかん。ちょっくら出るか。
旅人さんよ,すまんが留守を預かってくれ」
「えっ…」
驚く色屋を残して男と少年は,
まだ少し雨の残る外へと飛び出して行った。
手には重そうな鞄を持って。
1人残された色屋は,土間から室内を見た。
棚がずらりと並び,一つ一つの引き出しには
植物などの名が書いてあり,
床には薬研や、すり鉢が置いてあった。
本棚には医学書と思しき物が見て取れる。
「なるほど。きっと彼はお医者さまなのですね。
するとあの鞄は薬などが入っていたのか…」
お茶をすすりながら色屋はつぶやいた。
目の前には,どっしりと大きな一枚板の机。
天板はツヤツヤと光り、
丁寧に使い込まれているのが一目でわかる。
色屋は鞄からそっと瓶を取り出し,
机の天板にそっと瓶と手を置いた。
ここに集う人々の笑い声や作業の音も
色と一緒に手のひらに感じられる。
「良い色です。
後で彼が帰ってきたら
色を汲み取るお願いをしましょう。
この色はとても良い…」
雨が上がり、日が差してきた外を見ながら
色屋は医者の男を待つのでした。
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