醒めない夢 : 「#逃げる夢」
逃げる夢を見たのはいつだろう?
随分前で、思い出せない。
逃げながら、
「これは夢だから、なんて事ない。」
と、
必ず夢の途中で
夢である事に気付いていた。
これも夢だったら。
雑居ビルの谷間を抜けて、
とうとう船着場まで走り抜けた。
爆弾低気圧で
全てをひっくり返しそうな風が
体を前後左右にぐらつかせる。
雲が恐ろしく早く過ぎて、
三日月が消えたり現れたりしている。
枯れ葉が空高く舞い上がって、
まるで鳥がどこまでも高く飛び上がるようだ。
今、
夢の途中の安堵感がやってくる事はない。
俺は確実にしくじったらしい。
「どこで
何を
俺はしくじったんだ?」
落とし穴はそこら中にぱっかりと開いている。
ブッダでさえ、
死ぬ直前まで気を抜くなと言うくらいだ。
気を抜いた途端、
穴に落ちたのか…。
「こんな所にいたら見つかってしまう。」
倉庫の間に身を隠すと
突風が俺を押し戻した。
立っていては身を隠せないから、
身を低くして屈んだ。
それでも風は容赦なく打ちつけて、
体の熱を簡単に奪う。
気が付くと歯がガチガチとなっている。
「俺、何やってんだろう…。」
そう思った時、
「どうしたんですか?」
と、背中で声がした。
倉庫の警備員らしかった。
そうだ。
ポケットのナイフでこいつをやって、
制服とカードと携帯を奪えばなんとか
なるんじゃないかと、
咄嗟に頭に浮かんだ。
けど、
「酔っ払ってたら、
海に財布と携帯が入ったバックを
落としたんです。」
と、嘘をついていた。
俺に人なんか殺せない…。
「やっちゃいましたね。」
「朝まででいいんで、
ここにいさせて下さい。」
「いいですけど、
ここは風が辛いでしょ。
お金、貸しますよ。
電車賃くらいで良かったら。」
「いや。
また会ってお返し出来るか
分からないですし…。」
「そうですかぁ?
……。
だったら、
こっちに風が当たらない所が
あるんで。」
と、警備員は倉庫には入れないけれど、
扉のある前室のような場所を教えてくれた。
「助かります。」
「でも、寒いから気をつけて。」
と、消えて行き、
また戻ってくると
温かい缶コーヒーをくれた。
俺は缶コーヒーを両手で包み込んだ。
細胞が生き返るのが分かる。
さっき俺はお前を殺そうと、
一瞬だとしても思ったんだぞ。
それなのに…。
「ありがとうございます。」
温まった体の一部から何かが伝わって、
涙が滲んだ。
「やっ。
こんな事しか出来ませんけど。」
そう言って
今度は本当に消えて行った。
寒いけれど、
風が当たらなくなると
体温が戻って来た。
「彼は、
何のために俺の目の前に
現れたのか?」
カードも携帯も使えない。
使えば俺の居場所がバレる。
使えるのは現金だけだ。
現金はまだいくらか残っている。
そうだな。
このまま、
湧水の出る山奥に行って、
名前も過去も捨てて、
クマみたいに暮らしても
いいんじゃないか?
世間に俺は存在しなくなるけど、
そんな事は別にどうでもいい。
もし、
クマに食われそうになったとしても、
ブッダが前世で空腹のトラに
食われたように、
俺も食われればいい。
何のことはないじゃないか。
それでも、
気を抜かずに生きて行くのに
変わりはない。
俺は醒めない夢を見ているのだろう。