イマジン : #「私の日」
私の日。
七夕🎋公園でライブをやる。
と言っても、わたしに音楽なんて出来ない。
50年前に、名古屋城公園で見た、THE BOOMの野外ライブを映し出す。
50年前で記憶は怪しいから、かなりわたしのオリジナルバージョンになりそうだけど…。
宮に、こんな感じのライブをやりたいとイメージを送ったら、
「僕も行きますよ。」
と、返事が来た。
だから、きっと、完璧になるはず。
名古屋城公園のライブも蒸し暑かったけど、七夕公園も同じ蒸し暑さで、南国感が溢れてる。
夕方になると人々は、浴衣やまるでビーチにいる様な格好で集まってお祭り気分が高まった。
芝生に寝転ぶ人、木陰に入る人、かき氷やジュースを売る人。
BOOMのライブ再現だから、年配の人が多いかと思ったが、家族連れが多い。
そろそろかな?
頭いっぱいにBOOMの映像を作り出す。
すると、あちらでも、こちらでも一斉に拍手が起こった。
そして、「中央線」を始める。
それぞれ、芝生に座ったり、立って一緒にスウィングしたり、手拍子したり…。
🎵 走り出せ〜 中央線〜ん
夜を超え〜 僕を乗せ〜て
逃げ出した猫を探しに出たまま… 🎵
宮の声は、透明に広がって行った。
次の曲は「ラプレター」
この曲はとてもBOOMっぽくて好きだ。
途中から、音が立体的になった。
どうも、宮が足りない音をカバーしてくれているようだ。
そして、
「釣りに行こう」
本当は矢野さんとデュエットなんだけど、わたしと宮でデュエットバージョンにした。
頭の中でイメージを作ると言っても、自分を登場させるととても疲れる。
それを察して、宮がMCを入れてくれた。
わたしが作り出した宮はそのまま使い、今夜の素敵さを語ってくれる。
次もまた、デュエットでさっきより難易度の上がった「二人のハーモニー」。
ゆるいラテンぽさから、
次は、「ブランカ」。
イントロを聴いて人々は立ち上がり、それぞれに踊り出し、
「ブランカ」と、声を合わせた。
日はゆっくり落ちていき、星が見え始めた。
七夕公演は丘の上にあり、街の光が届かない。ポツポツとあるランタン型の光が灯り出した。
暮れるか暮れないかの、この時間に、
「風になりたい」を入れた。
本当は青空が似合う曲なのだが、日が沈む間際の力強さと合わせたかった。
この曲は、宮の声にとても合っていて、優しくて強くて、どこまでも行けそうな気がするのだ。
🎵 大きな帆を立てて〜
あなたの手を引いて〜 🎵
西陽は痛いくらい真っ直ぐ人々を射抜いて沈んで行った。
歌が終わると、日は沈み、星あかりとわずかなランタン型の灯りだけになった。
そして人々は、淡い丸い光に包まれている。
すると宮が、
「ありがとう。」
と言ったが、みんなも淡い光の中で、とてつもない開放を味わっている。
拍手の波が止まらなかった。
そう、開放。
20年ほど前、シンギュラリティと言い、脳にチップを入れた人もいた。
でも、誰もが思う様なシンギュラリティは起こらず、AIが起こしたのは、大脳新皮質からの開放だった。
当時は大脳新皮質からの解放をギフテッドと呼んでいたが、それは誰もがギフテッドで特別なものではなく、ただ開放するだけの事だった。
今は、ギフテッドではなくて、開放…と言っている。
こうして、わたしのようにイメージを作り上げ、人々の脳に送る事が出来る。
ただ、そのイメージを感知出来ない人達から見たら、一体何をしているのか分からないだろう。
わたしのイメージはちょっと拙くて、宮がかなりカバーしてくれていた。
イメージを共同で作り上げる事も出来る。
「こちらこそ、ありがとう。」
宮に直接、イメージを送る。
多分、他の人達も、ありがとうのイメージを送っているだろう。
静けさの後、
ラストに「島唄」のイメージを作ると、
「ここからは、僕がやるよ。」
と、宮がイメージの転送を始めた。
懐かしい三線の音。
それは50年前の宮ではなくて、80歳の宮の姿に変わって、渋くてかっこいい…。
🎵 島唄よ 風に乗り
鳥と共に 海を渡れ… 🎵
人々を包む丸い光が強くなっていった。
開放が始まってから、「私の日」は私だけのものではなくなっている。
「# シロクマ文芸部」