短編 : とぉさんと かぁさんと ボクの本
「一冊の本を埋める」のは、あっという間だった。
だってボクはまだ字が書けなかったから、ミミズののたくったのや、ほとんど落書きの絵だったから、直ぐに次の一冊に移って行った。
ボクがこの世に生まれて、最初の記憶。
とぉさんは、呼んでも返事をしなかった。
かぁさんに、
「とぉさん、返事してくれないよ。」
って言ったら、
「もう、返事は出来ないんだよ。でも、手紙を書いたら返事をくれるから。」
って、言われたんだ。
でも、最初のページに返事はなくて、
「とぉさん、返事がないよ。」
って、かぁさんに言ったら、
「どれ?」
って、本の様なノートを見せた。
「祐介、これは暗号だから、とぉさん、暗号が解けなかったんだよ。」
って言って、
「この暗号はなんて読むの?」
って言うんだ。
暗号って、なんだ?って、思ったけど、
「とぉさん、おはよう」
って答えた。
「そう。それは難解な暗号だね。」
と、かぁさんは笑った。
それからは、ボクが手紙を書くと、空色の返事が来る様になった。
それは、ボクの好きなミニカーの絵や、かたつむり、どんぐり、でんしゃ…の、絵だった。
しばらくすると、ごじゅうおんってやつが書いてあって、ボクはたくさんの言葉を書くようになり、返事も字で書かれていった。
9歳の誕生日の次の日。
いつもボクは8時に眠るけど、その日は友達とケンカして、なかなか眠れなかった。トゲトゲした感じが、ボクのことをトゲトゲさせた。
階段をガンガン降りて、キッチンに行った。
キッチンの奥のパントリーの机で、かぁさんが何かしている。
静かにのぞくと、
もう、十一冊目になった本に、かぁさんが空色のペンで何かを書いている。
頭の中が、グルグルした。
「かぁさん…。」
かぁさんはびっくりした顔でポクを見た。
「祐介。」
「とぉさんが返事をくれたんじゃないの?」
かぁさんは、しれっと、
「とぉさんよ。」
って言う。
「だってそれ。」
「かぁさんは、とぉさんと話せるの。だから、とぉさんの代わりに、とぉさんの好きな水色のインクの万年筆を使ってとぉさんの言葉を書いてるだけ…。」
って言うんだ。
「うっそだー!」
「ホントよ。かぁさんはエスパーだもの。」
「じゃあ、ボクもエスパーになれる?」
「まだ修行が足りないから、ムリ。」
「じゃあ、しゅぎょうしたらなれる?」
「なれるかも。これからも、とぉさんに手紙を書き続けたらね。」
なんか、騙された感じはしたんだけど、ボクがスマホを持つまで、それは続いた。
…もちろんボクは、エスパーにはなってないけどね。