甘い記憶の海 : 「海砂糖」
「海砂糖」
と、泰大に返事をした。
「海砂糖? どこそれ?」
「知らないけど、母さんが言ってた。今、連れて行きたい所なんだって。」
「海で泳いだら、ベトベトしそうだぞ。」
「うーん…。
海岸が金平糖で出来てるんじゃないかな。」
「海で泳いだら砂糖のシロップ漬けになるんじゃないか?」
クリスマスケーキのショートニングで出来たサンタクロースが浮かんで来た。
折角の夏休みなのに、全然楽しくなさそうだ。
夏休みに入り1週間目、海砂糖にとうとう行く日になった。母さんに聞いても、いまだによく分からなくて、荷造りもいらないって言うから、パジャマのままダラダラしていた。
「いつまでパジャマのままでいるのよ。」
と、母さんは怖い顔をする。
「だって準備はいらないって言ったから…。」
「もー、それとこれは別。
準備が出来たら呼ぶから、それまで宿題してなさい。」
と、母さんは掃除を始めた。
いつものいつもの母さんの休日のスタイルだ。
「李人、そろそろ行くよ〜。」
「はーい。」
なんだか、全然特別感がなくて、どうでもよくなっていた。
「時計を見て。11時丁度。」
「じゃあ、行くから。
深呼吸をゆっくり3回するんだよ。そしたら、お腹の辺りに集中して。」
「え? 行く?」
「いいから、目を閉じて3回深呼吸。はい。」
そして、3回目の深呼吸で母さんは、
「行くよ。」
と言うと、
僕らは海の中にいた。
僕は呼吸を止めていて、とうとう苦しくなり出した頃、
「呼吸しても大丈夫。」
と言うから、ブハッっと呼吸すると普通に呼吸が出来た。
それを見て、母さんは思いっきり笑っている。
余裕が出来て見渡すと、波の上には太陽があって、光の粒が細かな粉のように降って来る。
体は無重力みたいに海の中に浮いている。
「なんで呼吸出来るの?」
「だって酸素の海だもの。」
「それじゃあ、海酸素じゃないか〜。」
母さんは笑った。
「上手いこと言うわねぇ。
ここはSea of sweet memoryって言うのよ。甘い記憶なんて気持ち悪いから、海砂糖って勝手に母さんが訳したの。」
「ふ〜ん。よく分かんないや。」
「まぁ、いいけど。気持ちいいでしょ?」
母さんはクルクル前周りで回転して見せた。
僕も真似してやってみると、それは自由自在で、空を飛んでるようだった。
大の字で浮かぶことも、逆立ちも何でも出来る。
「李人が、本当に疲れた時や、本当に困った時はここに来なさい。」
クルクル回ったり、遠くまで泳いだりしていたら、空が夕焼けになって、やがて無数の星が輝き出した。
ここはとても静かで、それなのに音楽があるような不思議な感じがする。
魚を思い浮かべると魚が現れる。
猫を思い浮かべたら猫も現れて、触るとフワフワの毛だ。
母さんと僕は、静かに星を眺めていたけど、
「そろそろ帰ろうか。」
と、母さんが言う。
来た時のように深呼吸して、
「行くよ。」
と母さんの掛け声で部屋に戻っている。
僕らの体や服は、戻った途端水が空気になって行ったようだ。
「あれ? 夜じゃないよ。」
「時計を見なさい。」
「11時1分。…1分しか経ってない。」
「時間の流れが違うの。」
「凄いねぇ。ねぇ、今度は父さんも一緒に行こうよ。」
「父さんは行けないの。
子供の時に行ったことがある人や、大人になっても信じる人しか行けないから。大人になってから行くのは難しいのよ…。」
「父さんはいけないの?」
「あの場所は、本当は誰でも行けるんだけどね…。行けなくなっちゃうみたい…。
体が軽くない?」
「うん。なんかとてもいい気分がする。」
「ね。誰でも行けるけど、誰でも行けるわけではない特別な場所なの。」
「やっぱりよく分からないね。
海酸素じゃあなくて海砂糖で、行けるのに行けない…。
今度は、いつ行ったらいいの?」
「いつでもいいよ。
あ、もうお昼の用意をしなくちゃ。
今度こそ、宿題しなさいよ。」
これって、絵日記に書けるだろうか?
泰大にはなんて言ったらいいだろう?
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