ミニマム臨死体験【3】
皆様は、自分の意識、自分ってどう思いますか?
脳科学では、実験から、脳は簡単に騙され、自由意志はないのでは?…と言われています。
ガイア理論では、宇宙の役割を果たしているだけ…と、言われ、結局は自由意志はない様な感じがします。
でもそれらは、
物理的、人間の体的な話だと思います。
体は、魂の入れ物。
その動き、役割は恐らくそうなのだろうと思うわけです。細胞一つ一つにも意識的なものがあります。でもそれは、電気信号の集結で、ガイアの意思の元に秩序があるのだろうと思われます。
ただ、魂の入れ物に自由意志はなくても、それとは別に、物質が消えようと魂の自由意志、いわゆる意識と言うものは永遠にあると思うのです。
そこから、
一般物理の法則と、量子学の法則の違いが現れるんじゃないかと、個人的には思っています。
一般物理は、物質的学問。量子学は魂的学問で結局は、殆どの事が分かっていないんです。同じ土壌で考えて良いのかさえ分かりません。
何故そんな事を考えたかと言えば、入院した翌日から始まったリハビリでの事です。
私は4次元的には、深い眠りとも意識消失とも言える境を過ごしました。
私はずっと、自分の意識を保ち続けました。
なので、意識消失ではなく、深い眠りです。
意識消失と深い眠りの間には、大きな差が生まれます。
意識が戻った後の回復具合が全く違うんです。
まぁ、意識消失は脳の損傷が大きいと言うこともあるのですが、体の回復具合は脳の損傷だけでは判断できません。
MRIで、特別な損傷が判別出来なくても、機能低下の度合いがかなり高い事もあります。また、逆も然り。
リハビリの方が
「バンした時間が長かった人の方が、回復は悪い。」
と言うのです。
バンした…とは、意識が飛んでいた、と言う事です。
「瑜伽さんは来た時、かなり具合が悪かったけど、意識はあったから。」
と、言うことでした。
凄いことに、一見みただけでは、私はどこが悪いのか分からないくらいらしいです。
まぁ、素直に言うなら、
ありがたい事です。
正に、神様の思し召し。
具合が悪くても回復具合が良い。
その差は、意識の様に思いませんか?
体の意識ではなく、魂の意識です。
以前、沢山の脳損傷された方を見ていて思った事がありました。
「体は生きているけど、魂がいない。」
そう言う方は、おおよそ寝たきりの方でした。
目の光が全く違うんです。
生体反応はある。でも、魂がいない…そう感じていました。
前回、こちらで書いたのですが、
私は自分の意識をキープすることをしていました。
木内鶴彦さんも言われていた通り、自分の意識をキープしないと他の意識体に取り込まれてしまう…と言う事です。
つまりは、この体で生きる事を諦めなかった…って、事でしょうか。自分の意識というものを諦めなかった…と言った方が、近いと思います。
バンした時点で、意識のキープに失敗しているのかもしれません。
そんな感じがしました。
自分の意識で、決めた様に書きましたが、それさえガイアの意思なのかもしれません。
自分の意識で決めたなんて、奢りでしかないかもしれません。
そこは、誰もまだ分かりませんから。
ただ、体は四次元空間で過ごしていましたが、魂はもっと安らかな場所で穏やかに過ごしていたとしか、言いようがないのです。
ガイアの導きに従って、私の意識はそうする事を望んでいました。
ちょっと不思議なのですが、
なぜ人は、魂を否定するのでしょう?
魂と言う、ネーミングが合っているかは分かりませんが、魂と言うものを受け入れない限り、答えが出ないものもあります。
魂と言うものを受け入れなければ、人は簡単に誰かに意識を操られてしまうのではないでしょうか?
だって、自分がないんだもの…。