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新しい家族のカタチ(Ⅱ)


※tomokanntyou1さま。
 このシリーズ、ずっと画像を使わせて頂きます。
 ありがとうございます😊


新しい家族のカタチ…とは、言っていますが、想像では小さな村を描いています。
そこまで想定すると、話しが壮大になって、各専門的知識を持った人たちと繋がらないと無理だな〜、頭痛くなるから考えるのやめよ〜…って、なっています。

なので、最小の入り口くらいから…。

昨日「ロストケア」を載せました。


こんなこと言えるの、私の底には希望があるのを信じてるのと、諦めないで欲しいと言う私のエゴを容認しているからだと思います。
…はい。自覚してます。それが相手を理解しないことに繋がることがある事を。

私がどうしてそんなかと言うと、幼少期、私は正に楽園で過ごしたからです。


https://note.com/yuga693/n/nabdae02f930d


うちの親は、いい意味でも悪い意味でも放任でした。
だから、大人のいない、美しい森で妄想し放題。
過ごす場所が森なのでお小遣いとかいらなかったし、オヤツは野いちごだったりスモモだったり。ホットケーキとかは自分で作ってました。だから、子供に格差は無かったと思います。

まじ綺麗で楽しい世界で生きてた訳です。

ドイツのシュタイナー教育がありますが、日本の学校とは違って「森で学ぶ」教育が本当に羨ましかったです。
先日、noterさんのフルーツボーイさんから、「愛情をたくさん受けて育った」と言う様なコメントを頂いたんですが、単に森で育ったから「環境の鎧」を付けずに育ったんだと思うんです。

そんな環境なので、お隣さんとは300mくらい離れていました。
だから、回覧板を回すとき、どのお宅でも車に乗ってやって来ます。
いや、歩けよとも思うんですが…。

そして、ご近所さんから別に親の具合が悪いとかでもないのに、
「沢山作って余ったから。」
と言って、よく煮物などを頂いてました。
端午の節句や、お月見などは、柏餅や団子を頂き、お返しにウチで作った柏餅やお団子をお渡しすると言う謎な感じ。

こう言った交流が、だんだん煩わしく、都会の生活が主流になって行ったんでしょうね。
それに、国民全員がお金のレールに乗る働き手に変えられて行ったと言うのもあると思います。「働く」の意味が、お金を稼ぐ事だけに変えられて行きました。
とにかく、お金を稼ぐことが中心になって行った訳です。 


昨日の「ロストケア」に、戻ります。

42人殺害した彼が、犯行に及ぶ前に、
夕飯時、近所のオバチャンが、
「沢山作って余ったから食べて。」
と、煮物を持って行ったとしたらどうでしょう?

「いらない。」
まじで〜‼︎  食べてよ〜。いらないと言われたら仕方ないですけど😓
…あ、余談でした。

「日本という国で飢えている。」
と、飽食の国で飢えるという屈辱を味合わせる事って無かったと思うんです。
温かい煮物は、心も温めたんじゃないかな…?
例えば、暇な近所のオバチャンが、
「ずっと看てたら飽きるでしょ? みてるから気分転換して来なよ。」
って言ったら、追い詰められたりしないと思うんですよね。
暇なオバチャンがいるかどうかで、何かが変わる…。

私はそんな暇なオバチャンになれたらいいのにな〜と、思うのです。

私には何かできる‼︎  
…って、自信過剰に行くと自分も潰れるから、暇な近所のオバチャン。

でも、今って、近所が繋がりにくいじゃないですか?
それならいっそ、ルームシェアの擬似家族を作ってしまえば?
…と、思った訳です。
ルームシェアハウスの寮母さん的な感じですかね。

でも、目標は小さな村なんですけど。





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