【ドラマ感想】母親っていう生き物の気持ち
私は、母親だ。
だから、出産の痛みも、感動も、子どもの愛おしさも、どんな風に赤ちゃんが子どもに変化するのかも、知っている。
でも、まだ子どもが自分のもとから離れていく時の事は、知らないし分からない。
自分がどんな感情になって、どんな喪失感を感じて、どんな切なさが現れるのか、全く想像できない。
だって、まだ息子は6歳だから。
私が居ないと生きていけないこの子が、私が居なくても生きていける様になる時、何かしらの悲しさや離れがたさがどれくらい現れるのだろう?
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』9話を観ながら、母親っていう生き物に自分がなっている事に気が付いた。
母親の気持ちって母親になってみないと分からない。
子どもには、想像できない事だと思っていた。
でも、原作者の岸田さんは母親ではないのに、母親の気持ちが分かる。
いや、脚本家の一之瀬浩子さんや演出家の大九明子さんが母親の気持ちが分かるから、こんなに切ない回になったのか?
子どもが自分のもとから巣立つ時、母親のひとみさんの様な感情になるのだろうか?
走馬灯のように息子の可愛らしかった時が流れていくのだろうか?
母親って生き物は、心が切なくなる場面が多くなる生き物なんだ。
可愛いものが離れていってしまう事は、こんなにも耐え難いものなのか。
息子の成長を嬉しく思う反面、このまま可愛いままで停止して欲しい、という欲望が少し現れる。
生きる張り合いみたいな存在の息子。
子どもがいない時には、別に生きる張り合いなんてものが無くても生きていけたのに、今はこの生きる張り合いを失ったら、何の気力も沸かない気がしてくる。
母親になっても、子ども以外に生きる張り合いを手元においていかねばならないな。
やはり、それは仕事かなぁ。
少しずつ息子が離れた後の事も考えておかねばならないな。
そんな事を考えさせられたか、かぞかぞ。
『西園寺さんは家事をしない』の最終回でも、母親の気持ちを高畑淳子さんが隙のない演技で好演していた。
母親になると、母親に共感してしまう。
いつか母親であった自分を誇れる様に、今、母親を全力で努めよう。