私の中から劣等感を排除する
劣等感って自分が自分である以上つきまとう。
劣等感って何で生まれるんだろう?
そして、何でそれに苦しめられるんだろう?
誰かに言われたわけでもないのに、
「友達が少ないから、自分には魅力がない」、とか、
「周りのママ達より10歳も年上だから、老けて見えるだろう」とか、
「話が面白くないから、誰も友達になってくれない」とか、劣等感に苛まれていた時期があった。
しかし、逆の発想をしてみると、
「友達が少ないから、人間関係で悩むことがない」とか
「見た目で判断するような人とは、始めから仲良くする必要はない」とか
「話が面白くない、と判断するのは私も一緒だ」とか、
劣等感そのものがプラスに転換する事が分かった。
遊びに誘われないからといって、悩む必要もないのだ。
誘われなくても、誘うことは出来る。
誘われたら断らると気まずいけど、誘って断られるのは申し訳ない気持はない。
主体性を持って生きていると、劣等感が少なくなっていく気がする。
自分以外の誰かを基準に生きているから、劣等感は生まれる。
誰かに判断基準を委ねていると、ずっとそれを気にしながら生きていかなければならない。
それは、とても息苦しいし、ビクビクするし、劣等感で溺れてしまう。
自分で自分にダメのレッテルを貼るのは、やはり気分が良くなることではない。
自分で貼ったレッテルは自分で剥がしてあげるしかないのだ。
誰かにどんなに、「そうじゃないよ、」と慰められたって、それはその人の意見だし、本心ではないかもしれない。
その他人の言葉に依存しても、結局劣等感は消えない。
チヤホヤされている事に、一喜一憂してみても、不安定な心しか手に入らない。
主体的に生きてみよう。
他人の評価は、人の数だけある。賛否両論、惑わされるだけ時間の無駄。
誰を傷つけて、誰を救ったかなんて、当の本人には分からない。
誰を悲しませて、誰を喜ばせたかなんて、本当の所、私の知る由もない。
それは相手が決めること。
私に出来ることは、自分がイヤだと思うことはやらない様に心がけるだけ。
私を傷つけた相手は、意図せずやっていたのかもしれない。
だけれど、傷つけられた方は忘れない。
無神経で鈍感で想像力が欠如した人から、人は離れていく。
長くお付き合いしている人がいるって事は、それなりに価値のある事だと思う。
でも、これも私の価値観だ。
無神経で鈍感で想像力が欠如した人を好きな人もいる。
そんな人には、動じないメンタルや、打たれ強さが備わっていたりする。
横暴で自己中心的な事に魅力がない訳では無い。
それを持っていない人から見ると、その強さが魅力的に見えるものだから。
他人と関わる以上、劣等感は生まれる。
でも、劣等感が生まれるって事は、優越感だってどこかで、生まれているはず。
劣等感なんて感じる隙もないくらい、自分に没頭しよう。
自分のやるべき事、やりたい事、能力とスキルを活かして、誰かの世界を良くする為に。