パリの陽はトワレットとともに暮れゆく
旅先で息子と待ち合わせるためにメトロを乗り継ぎSNCF (Société Nationale des Chemins de fer Français)のターミナル駅に着いた。Gare de Lyon(リヨン駅)
その日の朝「リヨン駅に夜9時半ごろ着くから迎えに来てよ」とメッセージあり。
「オレがいるのはリヨンじゃなくてパリだぞ。パリの北駅近くのホテル取ってる。フランス語でググるならGare de Nord、Gareが駅で、Nordが北ってこと 」
「知ってるよ。パリにもリヨン駅があるんだよ」
彼はイタリアの海辺の街から電車を3本乗り継ぎ10時間以上かけてパリにやってくる。大学一年生のはじめてのおつかいだってやつだ。
ホテルで待ってようと思っていたが、夜遅くまでヤキモキしながら待つのはこちらがしんどいので迎えにやってきた。
途中LINEが入った。
「もしかしたらこの電車ホントにパリじゃないほうのリヨンに向かってるかも。Googleマップで見ると時間と距離が合わない」
ありえる。
やつならやりかねない。
スマホで予約したのだからそんなミスもありそうだ。パリのリヨンをググった時も出てくるのはまず表示されるのは元祖リヨンの方だった。旅先で長距離列車に乗ると不安なんだよな。合ってるのかなって、乗ってる間ずっと落ち着かない。
「パリに向かう途中でただリヨンを通過するだけじゃないの?」とメッセージを返す。
私は念のため到着時間前に駅に着いた。狭苦しい地下鉄からターミナル駅構内に入ると天井の高い開放された大ホールに国営鉄道の風格を感じた。幸い今はストライキgrève はないようだ。パリで交通機関のストライキは日常茶飯事。ちょっと前も空港であったようだし。
ところでここまでやってきたパリの地下鉄はとても便利だ。市内ならどこでもたいてい行ける。しかし駅の入り口がわかりづらい。背の高い表示がないので遠くからだと地下への入口がわからない。たいていは古びた看板が穴の入り口にある。métropolitain,メトロってメトロポリタンだったの?
métro
❶ 地下鉄, メトロ ★chemin de fer métropolitainの略)
都市の鉄道か
便利なメトロも路線図が頭に入っていないのでGoogle先生に頼りっきりになる。どこまで行っても同じ料金。割引き回数券carnet を買えばバスもトラムウェイも同じチケットが使える。旅行者にはありがたい。
地下鉄にはじめて乗るときにまずcarnet を買うことに決めていた。割引きの回数券だ。窓口に人はいない。自動販売機しかない。正しく操作してるはずなのに自動販売機のスクリーンがうまく作動しない。ずいぶんとフランス語を勉強してきたのに。何度試みても期待した購入画面にならない。クレジットカードを先に入れなきゃダメなのか?でもカードが吸い込まれて出てこないってトラブルも頻発すると聞いている。逡巡しつつ隣の自動販売機の客を観察する。彼もうまく行かないようだ。Ça ne marche pas ? 並んでいる人たちみんながざわざわしだした。窓口は不在のままなのであきらめて帰る人たちがでてきた。
なんだよ、ハナからこれか。しばらく待つと係員が出てきた。自販機が故障していることを確認してから、窓口カウンターに座り客対応を始めた。
«Je veux acheter un carnet, s’il vous plaît. »
無事に買えた。
そのcarnet を使ってリヨン駅までやってきた。駅に着くとまず大スクリーンで列車の到着するプラットフォーム番号を確認する。
番号表示がない。
列車はターミナル2に入るが
45分遅延中との情報だけ。
まず待機するためのベンチを探して腰掛ける。
少し落ち着くと便意をもよおした。朝から腹を下してる。旅慣れているはずが胃腸だけはいつも言うことを聞いてくれない。
デカいホールにトイレの表示を探す。見つからない。ウロウロしながら目をさらにする。こんなデカい駅にトイレがないわけないよね。やっと表示を見つけた。エスカレーターで下れと斜め下向きの矢印あり。小走りでエスカレーターに向かう。すぐには見つからない。正面に下向きの矢印あり。逆に来たか。道を戻る。行っても行ってもトイレはない。振り返る。もしかして下向きの矢印は「戻れ」でなく「進め」か?早歩きで進む。広いホールに人がまばらになる。合ってるのかな?行き止まり。右を見る。遠くにデカい表示があった。
«toilettes»
ゴールはすぐそこだ。
«toilettes»トイレを «triumph» 勝利に空見した。
ちなみにフランス語ではトイレはいつも複数形だ。les toilettes
Où sont les toilettes, s’il vous plaît ?
トイレはどこですか?
世界中どこに行くにも必須フレーズだ。
だけどね、フランス語だと複数形だと動詞の活用形も冠詞もそれに合わせるってのがややこしい。
ともかくゴール(le but)は見えた。勝利に向かって歩を進める。
入り口に立ち、目を疑う。
シャッターが膝の高さまで閉まってる。まさか!そう、そのまさかだ。入れない。でもこちとら緊急事態だ。シャッターを開けて入っててしまえ。腰をかがめ両手をシャッターにかける。持ち上がらない。かわりに鉄のシャッターの揺れる音がする。同時に奥から叫び声が聴こえる。怒ってる。でもその女性声が何言ってるかわからない。どうした?非常時に役に立たないmon français 。
伝家の宝刀を出す。
Parlez anglais s’il vous plaît !
英語話してぇ!
姿の見えないお姉さんの怒りのトーンは変わらないが叫び声はカタコト英語に変わった。
closed, closed !
up, up!
これを「このトイレはこの時期はもう閉まってるから、上の階のトイレを使いなさい」と解釈して来た道を急いでもどり、階上に出た。なんとかトイレはあっちだという表示を見つけ、今度は下向きの矢印は「進め」だと確信を持って指示に従った。オープンエアに出た。あれ?トイレは駅の外なのか?空はもう真っ暗だ。構外のキオスクを過ぎると、やっと小さなトイレの灯りを見つけた。
そそくさと中に入ると制服をだらしなく着たマグレブ兄ちゃんと黒人姉ちゃんがパイプ椅子に座ってる。このトイレは有料だという。切迫度からいって後払いにしてもらいたいがそんな交渉も時間がかかりそうなので急いでコインを探して支払った。しかし男性用hommes 入り口にはバッテン印があるではないか。
Merde! (なんて罵り言葉を使ってみたいが自然とは出てこない)オーノー!
すると女性係員がfemmes を指差す。そっち入っていいよ。逡巡よりも便意がまさりそのまま女子トイレの個室に入る。ほかのマダムが入って来ませんように。腹が痛かった割に時間を要し他人が来ないかヤキモキしてする。力んでいると先ほどの入り口から歌声が聴こえた。ラジオから流れるロックに合わせて大声で歌ってる。さっきのでっかい黒人姉ちゃんだ。こっちの気持ちも知らないで呑気なものだ。ヘタクソだけど気持ちよさそうだ。こちらもリラックスして無事に任務終了。個室を出た私は歌に合わせてステップを踏みつつトイレを後にした。
Merci, Mademoiselle !
さあそろそろ息子を乗せた長距離列車が到着する時間だ。ターミナルに戻ろう。
以上