「願えば叶う」ということにする

自分で言うのもなんですが、良くも悪くも願いは叶う方です。

「こうなりたい」という明確な願いや、そこまで強い思いじゃなくても「あーなんかこの人いやだな」、逆に「あーこの人と縁があるといいな」というふんわりした願いが、その時すぐには実現しなくても、数ヶ月から数年ほどのタイムラグを経て実現することが、実はかなりあって。

今の仕事もそうだし、なんなら今シングルで子どもと共に在る状態もそう。

今の職は、私が学生の頃から熱望していた職で、実は過去に一度面接で落ちていたりするのですが、今は有り難いことにご縁あって、切望しては諦めたかつての希望が叶った状態になっています。

でね、その願いが実現した瞬間、喜びや驚きとともに、「あ、また思い通りになってしまった。。(目を瞑る)」という、なぜかネガティブな責任感にも似た不思議な感情になるんですね。これ、書いてて思いますがほんとなんなんでしょうね。

ただ、実はかつて私自身がそれを願ったことなど忘れていることもわりとあって。

ふとした時に「あれ、あの時なんとなく思ってたことが実現してる…!」と気づくパターンです。これが毎回、ぞわっとするのですが。

例えば、今私はいわゆるシングルマザーなのですが、かつて結婚を決めたときも、結婚生活中も、自分が離婚するなんてこれっぽっちも思ってなかったんですね。なので離婚の時はそれなりに傷ついたのですが、

でもね、ふとした時に思い出したんです。まだ10代半ばくらいだったと思うのですが、「せっかくこの星に女として生まれてきたんだし、この命を次につなぐ意味で、人生のどこかで必ず子どもを産もう。どんなかたちでもOK!でも旦那さんは別にいらないなあ。」と。笑

なぜ当時そう思っていたのかは、自分でも正直よく分かりません。ちゃんとした恋愛もしていなかったせいか、ただ単に自分が「夫婦」というセットの片割れになるという人生を想像できなかったのかもしれません。

このことは、当時の私は自分の家族にも宣言(?)していたようで、今この状態になってからは「あの時ああ言ってたことが、本当になったね。」と言われたりします。

そんな私も30代となり、自分のこの一種の「性質」、または「力」とでもいうようなものを、ある程度コントロールしようと試みています。というのも、これは完全に私の思考のクセなのですが、基本的にものごとに対して最悪のパターンを想像してしまう、というところがあります。

願いは、いいものだけではありません。「ああ、何となくこうなりそうだ。」、あるいは「こうなったら嫌だな」と思うことが、残念ながら現実化することも多々あります。たまたまかもしれません。でも、これがいつも相当に悲しいのです。あの時ふとそう思ってしまった自分を悔やむことさえあります。

失うことが怖いものについては、もう絶対に失いたくありません。なぜなら、いくら失うことを想像したとしても、本心では失うことを願っていないからです。この世で生きることを、最大限、一緒に楽しみたいからです。

息子と一緒に、その時々の人生の風向きを楽しむこと。息子が私よりも長生きして、健康でいること。そのために必要な努力は全てすること。それが私の願いです。そして、この願いが叶うことを心から祈っています。というかもう、すみませんが叶う、ということにしたいと思います。合掌。


…こんな不思議な文章を読んでくれてありがとうございます。

あなたの願いも叶うといいな。





ありがとうございます!