草間彌生と甲本ヒロトに生きる力をもらった話
あれはどっちが先だったんだろう。あんまりよく覚えていないんだけど、これまで私が「芸術」を前にして泣いたのは、草間彌生の作品を前にした時と、ふとつけたテレビで甲本ヒロトが歌う姿を目にした時だった。
芸術作品を前にして泣いた、なんていうと、なんだか「純真な心を持った感動屋さんなんです、私」とアピールしているようにも聞こえるかもしれないが、おそらくそういう話ではなくて、どちらかというと「"普通"に振る舞うことに疲れた人間」の心の底にかろうじて残っていた「生きる力」みたいなものに、彼らの魂が響いて共鳴したんじゃないかと、今となっては感じている。
草間彌生の作品を見たのは、たしか新潟市美術館の企画展だったかしら。彼女の作品に特別な思い入れがあったわけではなかったような気がするんだけれど、なんとなく気になって足を運んだような記憶がある。
私の心が震えたのは、彼女の作品の中でも有名なあのカラフルな水玉模様のシリーズではなかった。そうではなくて、展示ゾーンを進んだ中盤の辺りにあった、モノクロの線だけで描かれたなんらかの生き物の絵だった。
その生き物は一体ではなく、同じような姿形をした無数の生き物が大きなカンバスいっぱいに細かく描き込まれていた。馬みたいな感じの生き物の横顔だったような気がする。モノクロの線だけとはいえ、そのあまりの数に作家の気迫と執念みたいなものを感じる絵だった。
その作品を見て、誤解を恐れずにいうと私は素直に「ああ、この人は狂っている。」と思った。こんな絵は、正気じゃ描けない。たとえ最初は正気でも、気の遠くなるような繰り返しのなかで、いつしか気が触れるだろう。そう感じるくらいに、ひたすら奇妙な絵だった。それでいて、どこまでもやさしい絵だった。
「あ、ここにいたんだ。」みたいな、「こんなに狂っていていいんだ。」みたいな妙な安心感に包まれて、知らずうちに張りつめていた心がゆるんだのかもしれない。あの涙は、その心のゆるみからこぼれたものだったのかもしれないと思っている。
甲本ヒロトの歌う姿を見るのは、初めてではなかった。なにせ幼い頃からスピッツが好きだったため、草野マサムネが影響を受けたと公言していたブルーハーツ、そして甲本ヒロトのことは、自然と私も敬意と憧れを持って見つめていた。
そんな彼が、テレビで歌っていた。時期的にたぶん、クロマニヨンズを結成してすぐの頃だったと思うから、「タリホー」とかだったんだじゃないかと思う。そこは帰省していた実家のリビングで、夜10時頃だったかな。ふとつけたテレビで、彼が歌っていた。
彼もまた確かに、様子がおかしかった。尋常ではなかった。
「ああ、あの時と同じだ。」と思った。彼もまた、明らかに普通ではない。なんだか、ぐちゃぐちゃだった。表情も行動も、常軌を逸していた。だけど、疑いようのないあの声が響いた。それはどこまでも力強く、心の底からやさしかった。
「そこにいていいよ、生きていていいんだよ。」
そう、許されているような気がした。感性や価値観が人と違っていても、普通じゃなくても、生きていていいんだよと言ってくれているような気がしたし、彼らがこうして生きている事実にこの世界のやさしい一面を見たような気がして、心の奥底がそっと緩むような思いがした。あの夜のことを、今も良く覚えている。
あの頃、私は新卒で入社して1年か2年あたりで、力まかせに生きていた。すべてに対してバカみたいに全力で、嫌なことも嫌といえず、笑うことしかできなかった。
もはや嫌なことが何かすら分からなくなっているのに、頑張り続けることしかできなかった。体を壊して当然な日々を送っていた。だけどもう、自力で逃げることもできなかった。そんなときに、彼らの魂がかろうじて響いた。
あれからもう、どのくらい経ったんだろう。10年以上は経つのかな、もっとなのかな。世界が本当にやさしいのかは分からないままだけど、最近、息子がお気に入りのテレビ番組「さかなスター(タイトル、合ってる?)」で彼の歌が流れている。久々に彼の歌を聴いて、思い出した。彼らの存在に救われた日のことを。
彼らもまた、生きることに苦悩した日々があったのだろうか。もし彼らに伝えることができるなら、それでも表現することをやめずにいてくれてありがとう、と伝えたい。大げさじゃなく、あのとき、確かに私を救ってくれたことを感謝しているし、そうやって誰かや何かに命を繋いでいけるアートや音楽の力って、やっぱりすごいものがあるなと感じている。
社会や世界がやさしくなかったとしても、あの日のように少しずつ自分のなかによりどころを見つけながら、沈んだり浮いたりしながら、これからは少し力を抜いて生きていけたらいいな。静かに、ただやさしくあれたらいいな。あのとき寄り添ってくれた彼らのように。
ありがとうございます!