夢日記と人生のコントロール癖を止める
夢日記
友人と会う約束をしてるのに、何時どこの駅で待ち合わせるかどうしても思い出せなくて、焦って友人の連絡先を探すもスマホが動作しなくなり、パソコンもブラウザが起動せず、そのうち会う約束をしてる友人の名前と顔すら思い出せないことに気づき、私は一体誰と何をするんだっけ?と焦りと恐怖に包まれる夢だった。
目が覚めた瞬間、あ〜よかった、夢で…と心底感じた。
待ち合わせに関しては苦い経験がある。
友人から「相談がある」と言われ、いざ会う約束をすると友人にとって都合の良い遠方の待ち合わせ場所だったり、苦手な異性から予定を無理やり押さえられたり。
前日から「行きたくない、嫌だな…」と思いながら待ち合わせ場所へ行った時のことが、情けないことに数えきれない位ある。
ほんと、なんであんなに無理してたんだろう?
社会人になってからはお酒の場に駆り出されることが増え、時にはお偉いさんからご指名がかかり2次会3次会となかなか帰してもらえなかった。同期の中で接待旅行に同伴させられたのも私だけだったな…
面倒な要件は隠して私の予定を確保し、後出しするような子も居たし、結局私の存在がその程度だった、ということ。私は便利なお調子者だったのだ。
ネットで「友達がいない&出来ない」という悩み相談を読んで衝撃を受けたことがある。私は厄介な友人をどう減らすか、それが常にある悩みだったからだ。興味のない誘いをどう断るか、Noが通じない相手への口実作りに仕事を増やしたことさえあった。私の余暇に入り込んで来ようとする人たちは人生に常に居た。
体調を崩し仕事を辞めたタイミングで、スマホの連絡先を一掃した。すると削除対処になった友人から「そこまでして?!」と思うようなやり方で再度連絡を取ってきた人が数名いた。ここまで執着されてたのかと思うとゾッとした。
夫には「あなたにはカリスマ性があるからね〜、アイドルになれるよ」と冗談まじりに言われたけど、笑えない出来事だった。通りでエネルギーが吸い取られるわけだ。
もう若い頃のような体力はない。これからは喜びを分かち合える友人との関係を大切にしていく。
状況をコントロールする癖
ここ数年、自分の直感が全く信じられなくなり、それは今も続いてる。日常を助けてくれるのはオラクルカードだ。
最初は「こんなの当たるの?」と懐疑的だったけど、これがびっくりするほど当たる。神とかスピリットとかハイヤーセルフとか、見えない存在が自分の周囲にいることを感じずにはいられなくなった。
子供の頃から要領がよく、勉強もスポーツも大きな不得意がなかった私は、努力すればそれなりの結果がでるもの、と思って生きてきた。
だからこそいざ目標ができると、必ず達成するために必要なことを力技で成し遂げてきた。上司からは「出世するよ」と言われ、人事評価はオール5だった。
欲張りすぎなければ、こんな風に人生は適度に上手く回っていくんだと思っていた。
育った環境に圧倒的な天才肌の兄が居たので、自己の能力を過信はせずとも(私はトップにはなれない)、傲慢な人間だったと思う。
夫から「あなたは、こうと決めたら絶対実行するし、最短で結果を出すよね」と言われた時「当たり前やん??それ以外のやり方あるの?」とすら思っていた。
だけどそれは間違ってたのではないか、生きづらくしてただけなのではないか、幸福から離れるだけだったのではないか、と思い直すようになった。
自分の思い描く目標を到達する度に人生に疲弊し、体に不調を抱え、最後は頭が働かなくなってしまった。私は何をしてたんだろう?
オラクルカードでは頻繁に
人生には休むべき時がある
物事をコントールしようとしすぎている
全ては繋がってる川の流れの一部
遠回りが近道のこともある
スピリットが助けるから身を任せなさい
と、まるでその時々の私の葛藤を知ってるかのようなカードが出る。
トーシャシルバーさんのサレンダー(手放し)のアフォメーションも大分身についてきた。最初は呪文を唱えてるような感覚だった言葉が少しずつ、体に溶けて入ってきてるような感じだ。
体を壊すほど自身を律さなくとも、私の人生に必要な願いは自然と叶うのかもしれない。そう思うと人生をコントロールしようとしてた自分の愚かさが身に染みる。
必要な助けは必要な時に向こうからやってくる。私は日々ご機嫌で暮らすこと。きっといつの日か、オラクルカードがなくとも、直感で生きる喜びを自然と感じながら暮らせる日が来るはず。
…
長くなりました、おしまい!
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