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文サお茶代課題『名探偵コナン 紺青の拳』について

まず「お茶代」主催者である脱輪氏の文章をお読みください


次に私が昔に書いた文章読んでほしいです。(めんどいのごめんね)

どうもユヱです。今回のお茶代課題にコナンがあるので、取り組もうと思います。コナンについて学校の課題で以前書いた文章があるので、それも読んでいただけると、嬉しいです。以下参照ください。


脱輪氏が書いたことと真逆のことを述べてるのでウケますね。「魅力的なキャラクター」と「殺人」が「名探偵コナン」において重要というのが前提にあるということは共通しているけれど論調は真逆だと思います。

食い違う理由

こうも食い違うのには明確な理由がある。それは上記の文章が青山剛昌がストーリー展開を考えている漫画およびアニメ初期を想定して執筆したものであり、個人的には「名探偵コナン映画」は別物として取り扱っているからである。

話を『名探偵コナン 紺青の拳』に戻そう。脱輪氏の挙げた重要事項はとても分かりやすい。端的に並べてあるうえに、ネタバレになっていない。

コナン映画シリーズにおいて初めての海外が舞台になったこともあり、今回の映画に往年のコナンヲタクとしても注目していた。

日本国民最後の海外旅行

この映画が2019年というコロナ前に公開されたことは、あまりにも偶然とは思えない。行きたい場所に行けない時代に入る前の最後の旅行のように感じる。

正直にあまり言うことのない映画、

コナン映画は公式が出している王手の同人誌のようなものである。好きなキャラを好きなように、コナン原作とは無関係に動かすことができる。同人誌色があまりにも強い映画、それを隠そうともしていない。私は同人誌が大好きなので、こういう映画は大好きだ。

それにここまで言い切っている、脱輪氏にも「何が聞きたいの?」って言いたくなってしまう。そうだよ、君の気づいたことがすべてだよ。公衆に出てしまった同人映画だよ、急に本編も知らずに見たら、そういう風に思ってしまう作品だよ。開かれたように見えて閉ざされたカルチャーだよ。

あまりにも長く、くたびれたキャラクターの年月。作者だけでなくキャラクター性にもその疲れ、開き直りが反映されてきてしまっている。

恋愛色を前面に押し出してきたのも、やけになっているように見えるし、そうなることに対して、誰も疑問を抱かない。犯人の動機を描くことを避ければ避けるほど、メインキャラクターの人間味は拡張される。それが承認欲求や性欲である。生々しい、とてもいい映画。そうだよ君らは人間だよ。

感情表現としての破壊。

なぜ爆ぜるのか。映画の表現として天候とキャラクターの感情が連動している、というのはよくあることだ。爆破も殺人もキャラクターの(犯人ではなくメインのキャラクター)感情と捉えてみるのも面白いかもしれない。

爆発は春の季語

名探偵コナンのスピンオフの「犯人の犯沢さん」では「爆発は春の季語じゃ」というセリフが出てくる。この言葉の真意は、コナン映画があまりにも風物詩のようになってしまってために、「描きたいもの」よりも「毎年、興行収入をあげる事」を優先しすぎるがあまりに、意味のない爆破をしなければならない。物悲しさを感じる。

最後に

とても絞り出した文章だから、読みずらいと思いますが、ここまで読んでいただきありがとうございます。脱輪氏があまりにも怖がっている(笑)ので「は?だから?」という文章をアンサーさせていただきました。あらためて「名探偵コナン」自体がいろいろなテーマ性を孕みうるということが分かって楽しかったです。

また、引用はしておりませんが、以下の本を参考にして文章を書いております。こちらもとても興味深いので、おススメしております。

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