けものフレンズ2性悪説を下地とした世界観説
と、キュルルクソガキ説
簡潔に言ってしまえば、キュルルは未熟なヒトだ。
生まれたばかりで、理性を持ちつつも本能に行動を引っ張られてしまう子供なのだ。
善と悪という概念すら無く、他者を労るという発想も持ち合わせておらず、自身の興味を満たすためならば他者を傷つける事すら厭わない。
純粋なエゴの塊、それが肉体を持ったもの。
本能のみで生きるケモノと、理性を併せ持つヒトの中間的存在‥‥‥。
私はキュルルにこのような心象を抱いた。
今にして思えば、これこそがヒトというケモノの正しい姿、即ち『けものフレンズ』というレンズを通して描かれるヒトという動物のあるべき姿だったのかもしれない。
読者諸氏は性悪説をご存知であろうか。
仔細は各々に調べていただくとして、簡単に言えば
『人間の本性は欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、(人間の本性は根本的に変えられないとしても)礼儀を正すことができる』
という論である。
即ち、倫理観といのは教育によって後天的に植え付けられる(だから教育は大事なんだよ)、という事である。
思い返せば、けものフレンズの舞台であるジャパリパークでは『学問』という概念が無かった様に思う。
無論、『はかせ』ことアフリカオオコノハズク氏や、アニメ1期にてその知性を遺憾なく発揮したかばんちゃん氏をはじめとする『賢人』は存在するのだが、彼らが一般的なフレンズ達に対し何らかの啓蒙活動をしている描写は皆無であった。
いや、そもそも学問を含む啓蒙活動自体が、大自然の理から外れたイレギュラーな概念なのだ。
高度な発声器官と知性を併せ持つ我々ヒトのみに許された特権であり、ケモノがサンドスターの影響でフレンズ化した彼女らには到底理解できる代物では無いのだ。
話がやや逸れたが、このような環境のジャパリパークでは教育により倫理観を育むのは難しい。
アニメ1期が性善説を下地にした世界観、アニメ2期が性悪説を下地にした世界観であるとするならば、あのアニメ2期のフレンズ同士の微妙な距離感や暴力という概念の説明にもなるだろう。
そして、けものフレンズ2を通して描かれるキュルルの立ち振舞こそが『教育』が行われなかったヒト本来の姿ではないか。
以上、くだらない戯言に付き合って頂き感謝する。
最後に一つ。
仮にこの説が真実であったとしても、けもフレ2期が1期をこき下ろしていい理由にはならないからな、クソ制作陣共。