Civilizationというゲームについて
私なりの愛を語りたい、のだが。
先に言わせてほしい。
Civilizationというシリーズは、ゲームであると同時に一種の芸術だ。
人類が太古から現在に至るまでの歴史を紡いで磨き上げた珠玉と言っても過言ではない。
人類史というアルカイックな台座の上に鎮座する電子の宝珠、それこそがCivilizationなのだ。
故に、十人の人間がこれをプレイすれば十通りの解釈が生まれる。
当然だ。このゲームは芸術なのだから。
なので私が語るCivilizationの良さというのは、この電子の宝珠が放つ無数の煌めきの中の、ほんの小さな一条の光であるという事を忘れないでほしい。
人類史6000年を5時間で追体験するゲーム
このゲームのタイトル。
そのものズバリ、Civilization。
日本語に訳せば、『文明』。
日本ではそこそこマイナーなゲームなので、軽く説明をしたい。
このゲームはプレイヤーが様々な文明の指導者となり、『時の試練』に耐えうる文明を育て上げ、様々な方法で世界の制覇を目指すストラテジーゲームだ。(勝利方法が複数あるという点、ストラテジーでは結構珍しいと思う)
このゲームでは、様々な文明が登場する。
そして当然、それは自分で操作することができるし、敵として立ちはだかる事もある。
その数なんと、CivilizationⅤでは43種類。(拡張パック込)
古今東西で燦然たる輝かしい歴史を刻み、そして朽ちて行った文明を導くことが可能だ。
と、ここまで軽くCivilizationの『ゲーム』としての側面をつらつらと語ってきた。
だが、Civilizationの凄い点は『ゲーム』と『歴史』が高度なレベルで融合している点である。
次は、歴史ゲームとしての側面を語っていきたい。
言うなれば、人類史版スマブラ
Civilizationが何故面白いのか。
それは、何故歴史は面白いのかという『問の答え』と大部分が一致する。
歴史とは、我々の視点から見れば必然の連鎖、その記録でしかない。
何年前にこういう事を考えた人物がいて、どういう事をして、結果ああいう事象が起こった。その結果あの人物がなにそれを‥‥‥、という事象と人物の玉突きが延々と現代まで続くログ。
そのログの中の、ほんの僅かの面白い部分だけを切り取ったものが、今我々が語る歴史なのだ。
我々の目から見れば、歴史とは過去に起こった必然でしか無いが、当時を生きた彼らにとっては違う。
大いに悩み、苦悩し、葛藤し、呻吟する。
その断片を、一欠片を知れるからこそ歴史は面白い。
そして、Civilizationというゲームもまた無限にある選択肢の中から自身が最適と思う物を選び出すゲームなのだ。
史実では交わる事の無かった歴史の偉人達が、私の目の前で時に戦い時に手を取り合い、私の知らない歴史を紡ぎ出す。
歴史に『たら、れば』は無いが、その『あったかもしれない世界』を想像することが楽しい様に、このゲームは私に未知の興奮を与えてくれる。
最後に
ここまでCivilizationの事を書いてきてこんな事を言うのも何だが、Civilizationは万人に勧められるゲームではない。
いや勿論素晴らしいゲームではあるのだ。
私は『今まで遊んできた中で最も印象に残っているゲームは?』と聞かれたら、CivilizationⅤを挙げるくらいこのゲームは良い。
だが、このゲームは人類が何千年のかけて紡いできた歴史の素晴らしさを理解できない者でも楽しく遊べるようには作られていない。
しかし、こよなく歴史を愛す者であれば、きっとハマるはず。
さあ、貴方の知らない人類史を紡ぎ出そう。
ようこそ、夜の無い世界へ。