【劇場版ヴァサラ戦記】海龍の島と謎の少女【ヴァサラ戦記二次創作】

第1章:襲い来る海龍

「だから、約束! いつか二人で旅しよう!」
「うん、約束だよ!」――。

 少女は目を開ける。目の前に広がるのは、大きな波が荒れ狂う海、激しく打ち付ける雨。そして、暗い灰色の空。重たい雨雲を纏いながら、巨大な海龍が島の周りを飛行している。大きな翼がはためく度、雨雲が生み出され、止むことのない雨が降り注ぐ。

「永遠に、罪を償う。それが私の使命……」

 腰まで伸びた水色の髪に隠れる、海のように深い蒼の瞳は悲しげな彩りで海龍を見つめた。


 雲ひとつない爽やかな晴天の中、海上を一隻の船が突き進んでいる。ヴァサラ軍は未知なる外の世界の調査、及び新たなる資源の発掘を目的とした海洋調査を決行した。この船はその調査のために駆り出されたヴァサラ軍の精鋭、ヴァサラ十二神将の半数が乗り合わせている。

「海なぞ初めて出るが、何とも心地よい風が吹いているなあ」
恰幅の良い体格に赤の袈裟を羽織り、巨大な数珠を身に付け、雄大な海を眺めて目を細めているのは八番隊隊長『武神』エイザンだ。
「海は漂流してきた時以来アルネ。まさか外の世界を調査すると言い出すトハ、"あの人"らしいアル」
無造作に伸びた黒髪を海風に靡かせたカンフー服の男は七番隊隊長『拳神』ファンファンだ。

「殿は外の世界に出た事があると聞く。だが、世界は広い。知らない物もあるだろう。ぜひとも報告出来るよう手を尽く――」

「オゥエエエエエエエ!!! うぅ、飲みすぎちゃったなァ、頭痛ぇ〜」

 エイザンの逞しい決意の一言を、あまりにも下品な嘔吐がかき消してしまった。
二番隊隊長『天神』イブキだ。甲板のフェンスでうずくまりながら、呻いている。
「二日酔いで任務参加って……ほんっとバカね。船なんて乗ったら、気持ち悪くなるに決まってるじゃない」
隣でイブキを介抱している、ウェーブのかかったピンク髪の白衣を着た女性は六番隊隊長『才神』ハズキ。大きなため息をつき、肩を竦めている。

「イブキ殿! 大丈夫か!?」
「アイヤ~、大変アルネ」
あまりに衝撃的な嘔吐だった為か、周りにぞろぞろと他の隊長が集まり始めている。
「ハズキちゃぁ~ん、アレちょうだいよ、二日酔いの特効薬~」
「そんなモノないわよ。いっそのこと、思いっきり吐けば何とかなるんじゃない。目的地に着くまでには治しなさいね」
泣きつくイブキだが、ハズキには呆気なく突き放されてしまい、取り付く島もない。
「ええ~ん、ハズキちゃんのイヂワル……うぷ、また吐きそ……」
「大丈夫ですか、イブキ隊長ッ! 船内にベッドがありますので、そこに横になりましょう!」
颯爽と現れた燃えるような赤い髪の青年は四番隊隊長『炎神』ビャクエンだ。うずくまっているイブキに、サッと肩を貸し、ゆっくりと船内の医務室に消えていく。

「フン……騒がしい連中だ」
「同感だ。うるせぇったらありゃしねぇ」
一部始終を見て、遠巻きにやれやれと肩を竦め、腕を組んでいる金髪でマスクをした男は一番隊隊長『鬼神』ラショウ。隣でヤンキー座りをしながら、溜息をつき悪態をついているのが九番隊隊長『風神』セトだ。

「そういや、この船ってどこに向かってんだ?」
「そうね……。遥か昔に沈んだ海底王国とか遺跡とかがあるらしいのだけど、海図が未完成だから、目星をつけた場所をしらみ潰しに調べていく感じじゃないかしらね」
ハズキはヴァサラより託された海図を広げ、星マークのついた場所を指差す。
「結構アバウトだな……。こんなだだっ広い海をしらみ潰しとか、面倒くせえ」
ポツポツと印のついた地図を見て、セトは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「仕方ない。長きに渡る鎖国政策のせいで、海図はほとんど未完成だ。少しでも完成に近づけるように調べていくのが、俺達の仕事だ」

「海底王国に、遺跡? まだ我々の知らないような物が、この広い海には沢山あるのだな……! ワクワクしてくるぞ! ……ん?」
いつの間にやら甲板に戻ってきたビャクエンは、無邪気な少年のように目を輝かせながら、果てしなく広がる大海原を眺めた。しかし、同時に異変に気づき、怪訝な顔つきになる。

「どうしたのじゃ、ビャクエン殿」
「いえ、あそこだけ、天気がおかしい気がして」
辺り一帯は雲ひとつない快晴だが、ビャクエンが指差す方向には大きな雨雲があり、激しい雨を降らせているようだった。

「ふむ、確かに妙じゃ……。しかし、海の天気じゃ。こういうこともあるのではないか?」
ハズキもその方角に望遠鏡を向けて、雨雲を観察し始める。
「いいえ、あんな局所的な雨雲おかしいわ。雨雲なら空を広く覆うはず……。それに何だか、あの雲、"生きている"みたい……」
「はぁ? 雲が生きてるワケ……って、こっちに近づいてきてねぇか?!」
こうして話している間にも雨雲は、まるで意志を持った生命体のように、海洋調査船の方に急接近してきていた。

 穏やかだった海面が揺れ始め、上空から土砂降りの雨が襲いかかる。
「危険な海域に入ったのか!? 急ぎ退避しろ!」
「だ、ダメです! 操縦を受け付けません!!」
操舵を担う隊員が舵を動かそうとするが、凍りついたように舵はビクとも動かない。
「皆、どこかに掴まるんだ!!」
荒れ狂う波が船を襲い、縦に横にと無秩序に揺れる。隊長達は吹き飛ばされないように甲板のフェンスか、あるいは誰かと一緒に掴まっている。

 グォオオオオオ……!!
重低音の腹の底から響くような声が、激しい雨風の中から聴こえてきた。
「何だ……?」
目も開けていられないような激しい雨風の中で、ラショウは上空を睨む。

 そこには、絵画で見るような巨大な龍が翼をはためかせて、空を飛んでいる信じ難い光景があった。青の鱗は雨で濡れてギラギラと光り、深い青の瞳は、鋭くこちらを睨んでいるようだった。
「龍……!?」
「何!? もしや、この海域の主……」

 グァアアアア……!!
龍は口を大きく広げ、船に狙いを定める。大きな力がそこに集まっていることだけが嫌でも感じられる。
「まずい、伏せろ!」
その瞬間、龍の口から滝のような水流が真っ直ぐに船の甲板を直撃し、メリメリッと軋んだ音を立て、真っ二つに引き裂く。

「うわあああああ!!!!」

 船はバランスを失い、呆気なく転覆してしまう。龍はそれを見るや否や、雨雲と共にとある島へ飛び去っていった――。


「さあ、かかってこい小僧共!」
ヴァサラ軍総帥『覇王』ヴァサラは訓練所で修行をつけている最中であった。

「今日こそ、一本取ってやる!」
少々生意気ながら、威勢の良い声を出す黒髪の少年は、覇王を夢見る見習い隊員のジンだ。

「ボクが先だ!」
そう言って雷の如き速さで駆け出していく、帽子を後ろ向きに被り、長い茶髪をなびかせる活発な少女は十番隊隊長『雷神』ルトだ。極みのコントロールがまだ不安定な彼女は、こうしてジンと共に修行をすることも多い。互いにライバルとして切磋琢磨し合う仲である。

「せい!」
先に駆け出したルトが真っ直ぐに剣を振り下ろすが、あっさりと受け止められる。
「そんなものか?」
「こっちだ!」
後方よりジンが剣を振り下ろしにかかるが、ルトを抑えながら、裏拳で軽くいなしてしまう。
「ぐぇっ!?」
「今度こそ……!」
ルトは飛び退り、次なる一手を打つ――。

「で、伝令です!!」
突如現れた伝令の一声により、それは中断される。何やら慌てたように、ヴァサラの方へと駆け寄ってきている。
「何じゃ、騒々しい」
否応なしにただならぬ気配を感じ、ジンとルトも思わず険しい顔で見守っている。

「そ、それが……。今しがた、海洋調査船が行方不明になったという情報が……!」
「何!?」
朝早くに出航した海洋調査船が行方不明になったという情報に、周りで鍛錬を積んでいた他の隊員や隊長も、戸惑いを隠せない。にわかに不安や焦燥感からざわつき始めた。

「そ、そんな……! お兄ちゃんが……。早く助けに行かないと!」
ルトは、唯一の肉親であり兄でもあるセトの安否が気になり、今にも駆け出していきそうな雰囲気だが、ヴァサラが一喝して止める。
「待つのじゃ! 大海原は未開拓の地、闇雲に探し回ったとて、手がかりは掴めぬ!」
「だ、だがよ……早くに助けに行かねえと」

「若様の言う通りじゃ、ジンにルトよ。慌てたとて、真に良い方法は見いだせぬじゃろうて」
三番隊隊長『聖神』ヒジリが杖を突きながら現れると、落ち着いた声で諭した。
「それに、大海原での調査……。緊急時に備えて何か対策を打っているのでは? 無策で調査に行くほど愚かではないでしょう」
メガネのブリッジをクイッと人差し指で上げながら、五番隊隊長『魔神』ユダは冷静に指摘をする。

「大丈夫です皆さん! 調査に出た隊長達は全員救出します! 六番隊のハズキ隊長は緊急時に備えてちゃんと秘策を備えてくれていました……!」
ヴァサラ軍の軍師、シンラが報告を重ねる。ルトはふと何かに気づいたのか、疑問を口にする。
「あれ? 伝令はどうして海洋調査船が行方不明になったって分かったの? わざわざ伝令が泳いできた……とかじゃないよね?」

「さすがは『才神』じゃのう……。して、更に報告を聴こうかの」
ヴァサラは、口元に僅かに笑みを浮かべながら次なる報告を聴く――。


第2章:絶海の孤島 ハマユウ島

「……う、ここは……?」
セトは、ゆっくりと目を開ける。見慣れたカンフー服を着た男と赤い髪の男が見下ろしていた。

「起きたアルか」
「ああ……、ファンファン隊長、それにビャクエン隊長、ここは?」
気を失っている間にも、雨はずっと降り続き、体温を確実に奪っている。そのせいか、身体が鉛のように重い。だが、その身体に鞭を打ち、服などに付いた砂をパパッと適当に払いながら、自ら立ち上がる。
「それが、我々にも見当がつかないんだ。あの龍に船を木っ端微塵にされて、見知らぬ土地に着いたことぐらいしか……。それに他のメンバーともはぐれてしまったようだ」

 得体の知れない龍からの攻撃の結果、船は破壊され、砂浜で無惨な姿を晒していた。人の気配もなく、否が応でも最悪の事態が脳裏をよぎり、皆が押し黙る。

「いや、信じよう! 必ず他のメンバーも生きていると!」
ビャクエンが拳を握り、明るい口調で言い放つ。激しく雨が降る中、晴れ渡った空を思わせる、清々しい一言だった。
「そうアルネ。そうでなくては、十二神将の名が廃るってモノアルヨ」
「ああ、必ず生きて帰る。アイツ一人で置いてくワケにはいかねぇからな」

 ビャクエンの発言に鼓舞され、改めて周りを見るがとにかく何も無い。無いと言うにはやや語弊もあるが、三人が立っている場所は元々港だったのか朽ちて残った船着場がある。周りには木造の民家が崩れ落ちて、草木や苔が生い茂り自然に還ろうとしていた。ずっと降りしきる雨のせいもあるのだろうが、人の気配もまるで感じられない。

 グァアアアア……!
じっくりと探索する間もなく、再びあの声が耳に届く。曇天を見上げれば、龍がこちらを睨み、狙いを定めている様子だった。幸い武器である剣は手元にあり、一斉に構えを取るものの、相手は宙を舞っており、迎え撃つ手段は限られる。

「一か八か、私とセト隊長で引き付けてみよう! その隙にファンファン隊長が攻撃を……!」
「面倒くせぇ……けど、やるしかねぇな」
「お安い御用アルネ」
遠距離攻撃技を持つセトとビャクエンは龍への牽制の為に、一気に前へと駆け出す。

「風の極み『旋空神風』! 風車!」
「火の極み『赫灼炎舞』! 火飛影ひとかげ!」
鋭い風の斬撃と燃え盛る火の斬撃が、龍目掛けて同時に飛んでいく。バチィッと青の鱗に当たって、火花が散る。

「弾かれた……!?」
まるでダメージを負った様子がない。しかし、牽制には有効だった。攻撃を受けた龍は、二人目掛けて勢いよく降下し、鋭く伸びた爪を振り下ろす。

「武の極み、剛! 『掌底波動拳しょうていはどうけん』ッ!!」
 セトとビャクエンが飛び退るのと同時に、力を溜めていたファンファンの掌底と波動を組み合わせた重い一撃が決まる。

 ……が、この攻撃も効いてない様子で龍はもう一方の腕で爪攻撃を繰り出す。
「まずい……!」

「ダメッ!!」
突如として現れた人間――水色の髪をした白のワンピースを身にまとった少女――に攻撃を庇われた。
「ぅあ……っ!!」
鋭い爪は少女の背中を容赦なく引き裂き、その場に力なく倒れる。背中からは夥しい量の血が流れ、砂浜を赤く染めていった。

「な、何だ……!?」
戸惑いを見せるのは、セトとビャクエンだけでなく、爪攻撃を繰り出した龍も狼狽えているように見えた。龍は空に咆哮を木霊させた後に、天高く去っていった。

「逃げてった……?」
「とりあえず、この女の子の治療をしなければ! 何処かいい場所は……」
戸惑っている暇はない。正体は分からないが、この少女の深刻な状況は火を見るより明らかだ。
「あそこに洞窟がアルネ。そこに避難するアルヨ!」
ファンファンは目についた洞窟を指差し、一足先に先導の為に走っていく。
「よし、殿しんがりは私が務めよう! セト隊長、女の子を頼むぞ」
「わーったよ」
サッと少女を背負い、ファンファンの後を追って、洞窟へと退避する二人であった。


 セト達が不思議な少女に龍の攻撃から庇われている頃。
 島の北側に打ち上げられたラショウ、イブキ、ハズキ、エイザンの四人は近くの洞窟に身を潜めていた。北側は南側とは違い、洞窟しかなく雨も降りしきっている為にひとまず避難している、といった状況だ。手がかりなどは一切無い。

「大変なことになっちゃったねぇ〜、本当にここはどこだろう?」
イブキはフラフラとした足で辺りを見回す。
「恐らく船も木っ端微塵にされて海の藻屑だろう……。残りのメンバーの安否も気になる」
「……きっと生きているだろう。そう信じて、今はやれることをやるしかあるまい」
最悪の事態を想定してしまうが、そんなことをしても仕方ない、と言わんばかりに前を向く。

「何か……聞こえなかった?」
ハズキは洞窟の奥の方に向けて、耳を澄ませる。他のメンバーだろうかと思い、周りにいる隊長も耳をそばたてるが、何かを引きずるような音と共に呻き声まで聞こえてきて、只事ではないと察した皆は一斉に剣を取る。

「ヴゥ……」
「ユルサナイ……」

「ゾンビ……!?」
土気色をした肌、ボロボロになった衣服、生気のない虚ろな目のゾンビの集団は、剣を構えた一行を敵と見なしたのか、伸びきった鋭利な爪で襲いかかってきた。

「グァァア……! シマ、ホロンダ……! オマエノセイ……!!」
「妖の極み『百鬼夜行』……大天狗!!」
鋭い牙と爪で引き裂こうとするところを、ラショウの極みが発動し、クリーンヒットする。ゾンビ達は力無く、ガラガラと音を立てて倒れる――。

「ナゼ……ミコ、サマ……」

「ミコサマ……? 島が滅んだ、とかどうとか言っていたが……」
「んー、つまり、ここは無人島なのかなぁ? 生きてる人間の気配もなさそうだしね〜」
ポリポリと後頭部を掻きながら、イブキは分析する。無人島といってもゾンビはいるみたいだけど、と独り言を付け加えた。

「ミコサマ、という単語も気になるわね。ここに留まっていても埒が明かないし、とりあえず先に進んでみましょう」
「うむ……それもそうじゃな。今は一歩でも前に進もう」
洞窟には奥行きがある。この島の手がかりや他のメンバーの安否を探るべく、一行は洞窟の奥へと歩を進めるのであった――。


「は? 嘘だろ……!?」
セトは少女の背中を見て、目を見開いた。海龍の巨大な爪に引き裂かれたはずの背中は、傷も無ければ、砂浜を赤く染めた夥しい量の出血も無い。
そんなものは最初からなかったかのように跡形もなく治っていた。ただ真珠のように透き通った肌があるだけだ。

「不思議アルネ。……まるで、バケモノみたいアル」
命の恩人を前にして、少々躊躇いがちにファンファンは率直な感想を述べた。神超えの力を得た、カムイ七剣の事が脳裏をよぎる。身を呈して、自分たちを守ってくれたこの少女が、それと同等の存在とは考えたくはないが……。

「う……、あれ? あなた達、無事だったのね」
意識を取り戻した少女は、青い瞳で3人を捉えると穏やかに微笑んだ。あれだけの傷を負ったのにも関わらず、だ。

「それはこっちのセリフだ。あんなでっけえ龍に攻撃されたのによ」
「私は大丈夫。だって、死なないから。……いえ、『死ねない』と言った方が正しいかしら」
不死の身体を持つ人間など聞いたことがない。化け物じみた力を持つカムイ軍であるならば、説明もつくかもしれないが。

「死ねない? 本当にバケモノアルカ?」
「ちょ、ちょっと、ファンファン隊長……! すまない、悪気はないんだが……。助けてもらったことについては、本当に感謝している。ありがとう」
命の恩人に対してデリカシーの欠片もない発言に、ビャクエンもさすがに慌てて、少女に謝罪と感謝を伝え、深々とお辞儀をした。

「いいのよ。それより、あなたたちが無事で良かった」
少女は安堵したように笑う。
「……それに、化け物は事実だし」
「えっ?」
自嘲めいた呟きは、一気に険しい表情に変わった少女の言葉により掻き消される。
「それより、あなた達はどこから来たの? この島は危ないから逃げた方がいいわ。見たでしょう、あの大きい龍……。あなた達を侵入者としてみなしているから、きっとまた襲ってくるに違いない……」
洞窟の岸壁越しに、空を飛行する巨大な龍を見上げた。

 そういえば、身を呈して守ってくれた恩人に自己紹介がまだだったと気づき、ビャクエンが先陣を切って説明し始める。

「私達はヴァサラ軍だ。愛する国の為、民の為に日夜戦っている。今回、私達は海洋調査を命じられたのだが、乗っていた船が突然の大嵐と先程の龍に襲われてしまって……。気がついたら、ここにいたんだ。申し遅れたが、私は四番隊隊長ビャクエンだ」
普段は長話になりがちなビャクエンが、話を簡潔にまとめて説明し、続けてセトやファンファンの紹介を済ませた。

「ばさら軍……? 海の向こうには軍隊という強い人達が集まって戦う集団があるって、 聞いたことがあるけど……」
少女は、目をパチクリさせて首を傾げた。ヴァサラ軍は、その名を轟かせた覇王が統べている軍だ。今や、その存在を知らない人はいない。
「ああ、オレたちはその軍の中の隊長を任されている」
「リーダーってこと? なら、強いのよね……?」
「もちろんアル。皆、先生ラオシーに認められた、強い人達アルヨ」
それを聴いて、少女は何かを考え込む。そして、意を決したように口を開く。
「お願い、あの海龍をおとなしくするのを手伝ってくれないかしら。……あっ、自己紹介がまだよね。私はマール。……この島を滅ぼした海子みこよ」


第3章:島と海子の秘密

 ラショウ、イブキ、ハズキ、エイザンの4人は洞窟を進んでいた。落ちていた手近な木で松明をこしらえ、その灯りで壁伝いにゆっくりと歩いていた。時折、襲いかかってくるゾンビは暗がりからの奇襲が厄介なだけで、『神』と崇められる隊長達にとっては造作もない相手だった。

 やがて、少し開けた広場のような所に出てくる。
「ここなら、少し休めるんじゃねえか。……見ろ、何故かゾンビ共も寄り付かない」
広場の出入り口の境目で、ゾンビ達は足踏みをしている。そこに壁があるかのように進むことを躊躇っている。
「……近寄ることの出来ない何かがここにあるのかもしれないわね」
「見るのじゃ! 壁に絵が……壁画というものじゃろうか?」
松明を掲げていたエイザンが、壁に何かが書かれている事を知らせる。ぐるりと松明の灯りを照らしてみると、壁画とそれに付随して文字が刻まれていることが分かった。

「これは……龍? 我々の船を襲った奴と同じだろうか」
「ん〜、女の人かなぁ。祈りを捧げてるみたいな絵だよね」
海と思われる場所から、巨大な龍が現れ、それに対して女と思しき人物が祈りを捧げる。そして、その横には島にいる人々が諸手を挙げて喜んでいる……風に見える壁画だ。

「『海龍の恵みを受けし……ハマユウ島……』」
「えっ、ハズキちゃん、これ読めるの〜!?」
壁画の分析をしている横で、さも当然のように、ハズキはスラスラと刻まれた文字に手を触れながら読んでいく。
「ええ。古い文字で、文法も古いけれど、読めなくは無いわ」
「さすが『才神』は伊達じゃねぇってことか……。まだ続きもあるんだろう?」
ラショウが続きを促すと、ハズキは刻まれた文字をなぞりながら解読を進める。
『海龍は島を荒らしき。そこに一人の女性が立ち上がれり。女性は清らかな魂の持ち主で、海龍は歓びの涙を流し、島に恵みをもたらせり。魂を捧げた女性、海子と崇めり』
「魂を捧げる海子に、海龍ねぇ……」
イブキがポリポリと頬を掻きながら、ハズキの解読を聴く。少し息をついて、ハズキは続けた。

「『海子の魂、海龍の糧となりて、永久とわの礎とならん。恵みを賜りし民、10年に1度海子を捧げよ。さすれば海龍、恵みを民に与えん』……」

 刻まれた文字を読み終えると、ハズキは壁から手を離した。
「この島は、ハマユウ島という島で……海龍に魂を捧げる海子という者のおかげで、海龍の恵みを受けて暮らしていた島、ということか」
迷い込んだ島の正体とその謎を反芻するように呟く、エイザンの横でラショウは毒づく。

「海子だか何だか知らねぇけど、要するに生贄を捧げて、海龍からの恵みを受けていたってことだろ? 誰かを犠牲にして得た幸せって、そんなに良いモノなのか?」
「ん〜、まあ、良い悪い以前に『そういうモノ』なんじゃないかな? こうして壁画に描かれるくらいだもん、海龍と海子っていうのはそれだけこの島で大事なものなんじゃない? あのゾンビ達、もしかしたら、ここに住んでた人かもしれないし……大事に思ってるからこそ近寄らないのかもね」
イブキはチラっと広場と通路の境目にいるゾンビ達を見る。
「ウゥゥゥ……」
「アァ……ミコ、サマ……」
海子や海龍という存在を信奉しており、この壁画に近づくことすら畏れ多いといった様子を見せていた。呻き声のような声からも、そういった言葉が紡がれている。

「うむ……。我々が住むかつての国のあり方とよく似ておる。鎖国政策を行い、外交を閉ざした。他民族の考えや文化、価値観などを排斥し、民達は国王の考えが全てだと思った。いや、思うしかなかった・・・・・・・・のだ……」
エイザンは、かつての国のあり方を思い出して、憂いの表情を見せる。
「地図にも載らないような島だもんねえ……。他の文化や価値観が入ったりすることもなく、それしか縋るものがなかったんだろうね」

「そして、今はその海龍が、この島を荒らしている……。海子という存在も気にかかるわ」
「……まだ、知らなきゃいけない謎があるようだねえ」
洞窟は、この広場の奥にも続いていた。

「……先に進むぞ。他のヤツらとも合流しなければ」
ラショウは、ここで得られる物はもうないと分かると洞窟の奥へと進む。
「一人で行くのは危険じゃぞ、ラショウ殿!」
巨体を揺らしながら、エイザンも慌ててラショウの後ろについていく。
「みんな無事だといいけどねえ〜」
「そうね……。進みましょう」


「島を滅ぼした……?」
細身の少女がたった一人で、この島を滅亡に追いやったというのだろうか。それにしても、滅ぼしたという割には、その罪を背負い込んでいるような悲愴感を感じる。

「私が……私が、ちゃんと海子の使命を果たしていれば、こんな事にはならなかった。ヴェルもあんな姿・・・・にならなくて済んだの!」
「お、落ち着いてくれ。順を追って説明してくれないか。海子とか、分からない単語が……」

「あれ〜? そこにいるのは、ビャクエン君〜?」
「そ、その声は! イブキ隊長!?」
聞き慣れた声が洞窟内を満たし、顔をパッと綻ばせる。
「皆! 無事だったアルネ!」
ぞろぞろと見知ったメンバーが揃い、にわかに騒がしくなってきた。

「……急にうるさくなってきたな」
「あれは……あなた達の仲間?」
目をぱちくりとさせながら、マールは尋ねる。
島では見かけなかったような衣服や髪型を、物珍しそうに見つめる。

「あら、この島の人? 私たちはヴァサラ軍よ。……もしかしたら、ビャクエン達から聞いてるかもしれないけど。驚かせてごめんなさいね」
「い、いいえ……。その、たくさんいるんだなって」
「コイツは、マール。さっき、海子がどうとかって話を……」

「あなたが海子? 本当に存在していたのね」
セトの言葉を遮り、ハズキは身を乗り出すようにして尋ねた。マールも神妙な面持ちに変わって、答える。
「……ええ。私が海子。島を滅ぼした、海子よ」

「さっきから、その海子っていうのは何アルネ? ハズキ達は知ってるアルカ?」
「ああ。オレ達はこの洞窟で、海子と海龍、この島に伝わる伝承を描いた壁画を見た」
「この島は……。海子という女性の魂を海龍に捧げることによる恩恵で成り立っていた島なのだ」

 ラショウやエイザンの説明を聞き、そこまで知ってくれてるならとマールは口を開く。

「そう、このハマユウ島は、海龍の恵みと魂を捧げる海子によって、成り立っていた島。私はその海子として選ばれた。……けれど、その使命は果たせなかった」

 洞窟内から、今も空を飛んでいる海龍と、荒れ果てた島を一瞥する。彼女の蒼色の瞳は、悲哀に満ちていた。

「……詳しく聞かせてもらえるかしら」
やや遠慮がちにハズキは、経緯を尋ねる。
マールは、少し間を空けながら、やがて決意を固めたのか、ヴァサラ軍の面々を見据えて話し出した。

「分かった、教えてあげるわ。この島で何が起きたか。今から……そうね、200年くらい前……」
「えっ!? 200年? お前、歳いくつなんだよ……」
突然、現実離れした数字が出てきて、隊長たちは皆、目を白黒させている。
「18……かな。肉体は・・・ね」
「その辺にもカラクリがありそうね、続けてちょうだい」
ハズキに促され、改めてマールはハマユウ島で起きた悲劇を話し始めた……。


第4章:海子の過去

 時は今から200年程前に遡る。島で10年に1度の「海龍の儀式」が行われる年だった。
18を迎えたマールは、その他に迎えた18歳の女性たち5人と、祭司達と共に神殿の中に入っていった。

 ――神殿の入口が、まるで獲物を一呑みにする魔物の大きな口に見えて恐ろしかったのを覚えている。10年前、仲良くしてもらっていたミリアという女性が海子に選ばれ、この神殿の中に入っていった。そして、それきり帰ってはこなかった。

 そして、もっと恐ろしいのは島の住民が、「儀式は成功した」「島はこれで平和だ」「海龍様万歳!」「海子様万歳!」と賞賛や感謝の言葉だけが並べられ、ミリアが帰ってこないことを嘆く人は誰一人いなかった事だ。その光景が、マールにとっては異様で、恐ろしく感じたものだ。

「海龍の儀式」とは、海子が海龍に命を捧げて平和を祈り、恩恵を得る儀式だったのだと、幼かったマールも時を経て、理解したのだった――。

 神殿の入口はただひたすらに大きく、どっしりと構えて、マールたちを待っていた。
中に入ると、一斉に松明に火が灯る。それ以外は、ひたすらに静寂だ。ただ、自分達と白い布で顔を隠した祭司達の足音だけが響く。外界との関わりの一切が遮断された空間だった。

(ここだけ何だか違う世界みたい……)

 祭司達も海子候補達も、誰一人として言葉を発しないまま、神殿の最深部に到着した。
海龍の涙と呼ばれる聖水が湧き出る泉の中央に、祭壇が設置されていた。祭司がその祭壇の前に歩み寄り、跪く。何か呪文のようなものを唱え始める。

 やがて、祭壇に蒼い炎が浮かぶ。
「海龍様、今年の儀式の海子候補を連れて参りました」

 あの炎が海龍の魂だ。普段はこの姿で、儀式の時には龍の姿となって、島に恵みをもたらすという伝承がある。
「今年の海子は、いかがなさいましょうか」
祭司が静かに尋ねると、その言葉に反応してか祭壇の蒼い炎は海子候補の周りを浮遊し始める。

 時計回りにまわったかと思えば、次は反時計回りに。1人ずつ、上から下を見聞するように炎が周りを浮遊する時間もあった。炎に目玉などはついていなかったが、何故かジロジロと見られているような不快感を感じた。マールを始め、他の海子候補も僅かに眉を顰めるなどした。僅か、としたのは何が逆鱗に触れるか、分からないからという恐怖心からでもあった。

 そんな時間が十数分続いた。感覚的には何時間も時が流れたような感覚だった。

「おお……、あれは! あの動きは!」
神妙な態度を崩さなかった祭司の声が思わず上擦り、にわかにざわつき始めた。

 蒼い炎は、マールの頭上をくるくるとまわっている。
「今回の海子は、マールなのですね海龍様ッ!」

(私が……?)
マールの頭は真っ白になった。海子になるということは海龍に魂を捧げ、島の礎となる事である。
脳裏にヴェルとの約束が蘇る。

――『だから、約束! いつか二人で旅しよう!』

(ごめんね、ヴェル。約束守れなくなっちゃった……)

 海子に選ばれて以降、何をしたかマールはあまり記憶にない。いつの間にか海子の装束である、白のワンピースを着せられて、神殿の外に出ていた。祭司に囲まれて、別の場所に導かれていた。

「海子様ー! 海子様ー!」
「島の未来は頼みましたよ!!」

 口々に、新しい海子を讃える拍手や声が聞こえてきた。今まで自分と親しくしてくれた近所の人や、友達まで自分のことを『海子様』と呼ぶ。
マールと呼ぶ人は誰もいない。島民は皆、"マール"ではなく、海龍に身を捧げる"海子"、島の未来を繋ぐ希望の光としてしか見ていなかった。

 一方のマールは暗闇に落ちかけていた。これから待つのは「死」以外の何物でもないからだ。希望の光に満ちた島民の目が、声が、マールを更なる絶望の闇へ突き落としていく。

(ミリアお姉さんも……こんな感じだったのかな)

 自分が無邪気に話しかけたミリアもこんな気持ちだったのだろうかと、ふと思いを馳せた。ある日いきなり、島の為に命を捧げよという神託を受けた時に、今の自分のような気持ちになっていたのだろうか。突然の事で、まるでふわふわとした現実離れをした感覚だ。地面に足がついているのかさえ、あやふやだ。

「なんでっ! なんでマールが!! 離せよッ」
勢いのある怒声が、馴染みのある声が、マールを現実に引き戻した。
海子を歓迎している列へ、誰かが乱暴に割り込んでいくのを、周りの住民が抑えている光景が視界に映った。

「無礼者め! 海子様の御前であるぞ!!」
「こいつは、余所者ヨソモンのとこのガキじゃねえか! 海龍嫌いで有名な! テメーはすっこんでろ!」
数人の祭司や住民に捕らえられながら、声を荒らげているのはヴェルだった。マールが海子に選ばれた事に対して、猛烈な抗議をしていた。
「何が海子様だ! こいつにはマールって名前があんだろ! 海龍のエサにされてたまるかッ、この島はおかしい! 島が平和になるのに、なんで犠牲がいるんだよ!!」
「おかしいのはお前の頭だ! いにしえより伝わりし海龍様との契約あってこその平和! 不変の事実だ! まあ、余所者のお前には分からぬ事だろうがな。受け入れられぬなら、島から出ていっても構わぬのだぞ」
マールを囲う祭司はヴェルの前に出て、威圧感を漂わせる。
「ああ、出てってやるよ! こんな島、こっちから願い下げだ!」
ヴェルは身体を掴む島民の腕を振り払い、その場を立ち去る。一瞬、マールの方に振り返って、意志の強い翠色の眼を向ける。そして、真っ直ぐに走り去っていった。

「失礼いたしました、海子様。さあ、参りましょう」
態度を一変させた祭司は、マールに対して恭しく一礼をして、再びゆっくりと歩を進めた。

(ヴェル……ありがとう)
絶望の闇に落とされていく中で、ヴェルだけがマールの希望の光だった。少し微笑みを取り戻して、マールは祭司の導きに従い再び歩き始めた。

「今夜はこちらでお休みください」
神殿のある山の麓にあるこじんまりとした小屋に到着した。中にはふかふかとしたベッドと温かい食事の用意されたテーブルが設置されていた。
「御用があれば、何なりとお申し付けくださいませ」
護衛を務める兵士が、深々と一礼をした後、小屋の前で待機を始める。

(監視、かしら)
この小屋は中からは出られないように、祭司の力で細工が施されている。兵士は万が一の為の護衛兼監視役だろう。さながら丁重なおもてなしがついた死刑囚の牢獄だ。

(でも……私は逃げないわ)
窓から夜の海を見つめる。静かな波の音と月の光に煌めく海面が見える。抵抗していたヴェルの姿を思い起こした。

(ヴェルの為にも、この島に恵みをもたらさなきゃ)
ぐっと拳を握る。自らを奮い立たせるように。
(……ヴェルとの約束は叶えられないけれど、ね。自分の命と引き換えに、ハマユウ島の恵みに生まれ変わる。それは自分の命の欠片が島に降り注ぐってこと……。皆がこれからも生きていけるなら。私は、大丈夫……)
 灯りを落として、ベッドに入る。握りしめた拳は小刻みに震えていた。

 ――翌朝。
小屋を出て、祭司に囲まれながらマールは神殿を目指して歩く。昨日と同じように神殿までの道程にはたくさんの島民が各々声を掛けている。
「海子様ー!」
「この島の未来は、海子様にかかってます!」

 島の為、平和の為と自分に言い聞かせながら、祭司と共に神殿を目指していた。海子様、海子様という声がマールと祭司達を包む。その中、整備された登山道を一歩ずつゆっくりと歩いていく。山の頂上に、昨日も訪れた神殿がある。

 神殿の扉が、重苦しい音を響かせながら開く。
10年前の記憶がフラッシュバックした。まるで獲物を呑み込むかのような、大きな入口。そこに入っていったミリアは二度と帰ってこなかったことを。陽の光が入らない神殿は、松明の明かりがなければ真っ暗闇だ。

(ダメ、決めたの。私はこの命を捧げるって)
怯えている自分を叱咤し、竦んでしまいそうな足を前へと運ぶ。

 神殿の中に踏み入れると、海子を歓迎するように一斉に松明が灯る。その灯りが示すのは、魂を捧げる場だ。神殿の最奥に辿り着くと、蒼い炎は既に泉の中央の祭壇で揺らめいていた。

「さあ、海子様。祭壇の前へ」
「はい」

 マールは、蒼い炎が灯る祭壇の前に立つ。
「海龍様の魂に、その手をかざしてください。そして、島の平和を祈るのです」
(この手をかざして祈れば……終わる、のね)

右手をゆっくりと、蒼い炎へ伸ばす。いや、伸ばしかけて、躊躇い、項垂れた。
「どうなさいました?」
(……嫌だ、私、もっと生きたい! 美味しいものいっぱい食べたかったし、たくさん色んな人と会ってみたかったし……。それに……ヴェルと旅に出てみたかった! いきなり『島の平和の為に魂を捧げて』って言われて納得出来るわけないよ……。どうして、私だけ……?)
しかし、これは課せられた使命だ。今さら引き返す事など出来ない。もう一度、前を見据える。ごくりと唾を飲み込んだ。
(やらなきゃ……私が……!)
一度は引っ込めた右手を伸ばしかけた、その時。

「やめろ、マール!」
居るはずのない声が聞こえた。自分の願望が、自分に都合の良い幻想を作り出してしまったんだ。

「貴様、何故ここに!?」
周りの祭司が、にわかに騒ぎ始める。その方向に振り返ると一人の護衛兵士が鎧を脱ぐ。

 幼なじみのヴェルが、護衛兵士になりすまして神殿に侵入していた。彼は剣を構えて、足を大きく広げてどっしりと立っていた。先程の声は幻ではなかったのだ。
「ヴェル……!? どうしてここに……」
「バカげた儀式を止めに来たに決まってんだろ! オレと一緒に逃げるぞ!」
「貴様ッ! 神聖な儀式を邪魔するか! おい、衛兵ども、不届き者を捕えよ!」
司祭の命令で一斉に兵士がヴェルを捕らえにかかる。

「波の極み『護りの波濤ガーディアン・ブルー』!」
ヴェルは、静かな波を身体や剣に纏う。静かながらも確かな力を感じる佇まいを見せる。
波月クレッセント・ブルー!」
近寄ってくる兵士を、海の波を纏った三日月型の斬撃で斬り、弾き飛ばした。
「ぐはッ!!」
神殿の壁へ勢い良く背中をぶつけ、動かなくなる。

「何だあの技!? 見たことねえ!」
余所者ヨソモンが! 海子様には指一本触れさせ……」

「――波の護壁マリン・ヴェール。"指一本触れさせない"? それはこっちの台詞だ」
ヴェルはマールに向けて手をかざし、彼女の周りを水の壁が包み込む。
「くっ、何だこの壁……弾かれる!」
「マールを護る為に身につけた技だ……! マールと一緒にこんなバカげた島を出てやるんだ!」
未知の力に、護衛の兵士は苦戦し、ヴェルの足元にも及ばない。
(ヴェル……、私の為にこんなに強くなったの……?)

《儀式の邪魔をするでない、わっぱが》
重低音の声が神殿に響く。祭壇の中央の蒼い炎が、燃え盛っていた。
「この声は……海龍様……?」
「ああ、申し訳ございませぬ海龍様! 一刻も早くあの不届き者を……」
海龍の魂である蒼い炎が燃え立ち、兵士や祭司を打ち倒すヴェルを睨んでいるように見えた。
「ひっ……」
祭司も思わず萎縮してしまい、その場にへなへなと座り込んでしまう。

《貴様か、我が儀式の邪魔をするのは。こんな不愉快な出来事は初めてだ》

「お前が、海龍か……! 不愉快だって? 不愉快なのはこの島の仕組みだ! どうして人の魂を捧げなきゃいけないんだ! どうして皆が幸せになる仕組みを作らないんだ! マールが何で犠牲にならなきゃ……!」
ヴェルは、燃え盛る海龍の魂に心の限りに叫ぶ。

《清らかな魂を持っているからだ、童よ。マールとやらは、彼女の母が飲んだ我の涙……、貴様らが『海龍の涙』と呼んでいる聖水を飲み、清らかな魂を持って産まれてきたからだ》
祭壇の周りに湧く泉の水は、祭司が『海龍の涙』として島の妊婦に飲むように義務付けられて配られている聖水だ。そうすることで確率で、海子にふさわしい清らかな魂を持って生まれてくるという。

「私が海子に選ばれたのって……」
「宿命だったのかよ……」

《いかにも。海子は我に魂を捧げることで、清らかな魂は昇華され、島の恵みとなるのだよ》
「ふざけんな……! そんな仕組み、オレがぶっ壊してやる!」
ヴェルは、剣を構えて海龍の祭壇に向かう。
魂を断ち切れば、こんなバカげた儀式も無くなる。人を犠牲にする信仰なんて、ここで終わらせてやる――。

《海龍の恵みを享受出来ぬ愚か者よ、貴様には報いを受けてもらうぞ!》
蒼い炎が、より一層激しく燃え盛った。
「ヴェルッ!」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
その蒼い炎は、ヴェルを包み込んだ。

 グァァァァァアァァア!!!!
海龍は大地を揺らすような咆哮と共に、最悪の形で蘇った。
「あ、あっ……! そんな、ヴェル……やめて! どうして……!」
海龍の魂はヴェルを依り代とし、身体を得た状態で復活を遂げてしまった。

 神殿の異変は、瞬く間に島中に伝わる。神殿の天井を破壊して、海龍が舞い上がっていく光景に、島民は目を疑った。
「なんだ、あれは!」
「あ、あれは、まさか海龍様か!? 儀式はどうなったんだ!?」
それまで晴れていた天気が、急に暗い雲に覆われていき、激しい風が吹き荒れ、嵐となる。雷鳴が轟き、冷たい大雨が降り注いだ。

 怒りに身を任せた海龍は、島のあらゆるものを破壊し始めた。
「儀式は、失敗したのか……!」
「海子様が、魂を捧げるのを拒んだの!?」
海龍の口から、激しい水流が放たれた。その水流は人々も、家々も、見境なく破壊していった。

 神殿のあった山頂から、激しい雨に濡れるのも構わずマールは島を見渡した。美しかった島は荒れ果てていき、悲鳴を上げながら島民が犠牲になっていく。マールは膝から地面に崩れ落ちて、項垂れた。
「私のせいだ……。ちゃんと儀式に臨んでいれば……覚悟が揺らいだから……! 生きたいなんて、望んだから……!!」
自分は海龍に魂を捧げられなかった。島も人も壊してしまった。挙げ句にはヴェルまで海龍に乗っ取られてしまった。
――こんな自分に、生きている資格はない。

 ふと、護衛兵士のものであろうナイフが地面に転がっていたのが見える。
(もう、終わりにしよう……)
死をもって償おうと、マールは勢いよく胸にナイフを突き立てた。
「うっ……!!」
ナイフが地面に落ち、マールは痛みにその場にうずくまる。しかし、すぐに痛みが治まっていく。
「ど、どうして……?」
先程、ナイフを突き立てた傷は、最初から無かったように綺麗さっぱり治っていた。

(なら、ここから飛び降りたら……)
山頂から島を見下ろす。壊されていく家々、船着き場が見える。躊躇いなく地面を蹴って、身を投げた。岸壁に何度も身体が打たれ、上も下も分からないくらいに身体がもんどり打った。最後、地面に激突し、意識を失った。

 ――目が覚めた。覚めてしまった。
意識を失っている間にも、激しい雨に打たれ続けていた。その身体は重く、冷たいと感じる。それだけで『生きている』と嫌でも実感してしまった。
「どうして……。どうして、死ねないの……?」

その問いかけに答えるように、ふと海龍の言葉が脳裏によぎった。

《海子は我に魂を捧げることで、清らかな魂は昇華され、島の恵みとなるのだよ》

自身の清らかな魂を海龍に捧げることでしか、死ぬことを許されない身体となっていた。海子としての使命を果たせなかったマールは、これから死も老いもなく、島を破壊した罪を背負った人生を歩まなければならなくなったのだ。

破壊の限りを尽くすだけの存在となった海龍には、マール一人では立ち向かうことは出来なかった。海子は海龍を手懐ける存在ではなく、海龍に魂を捧げるだけの存在だからだ。

(海子としての使命……果たせなかった。なら、これからの私の使命は……)

「永遠に、罪を償う。それが私の使命……」


第5章:使命と救済


「……私は決して許されないことをしてしまった。島を壊して、皆を犠牲にした。そして、ヴェルは海龍に乗っ取られて、今も苦しんでる。全部私のせいなの」
島に起きた惨劇を、周りのヴァサラ軍隊長の面々は真剣な面持ちで聞いた。

「あなたたちって、とても強いんでしょう……?  ヴェルを救うために協力してくれないかしら」
「そうだ、あの海龍を打ち倒せれば! 私達が攻撃した時は、全く効かなかったが、これだけ仲間がいれば……! ヴェル君も助け出せるかもしれないな」
わずかではあるが、海龍との戦闘経験があるビャクエンが十分な戦力であるヴァサラ軍の面々を見て力強く頷く。
「賛成アル」
「さっさとぶっ倒しゃ、いいんだろ」
同じく戦闘経験のあるファンファンやセトも頷く。
「いえ、倒さなくて良い・・・・・・・の。少し弱らせて、ヴェルを海龍から引き離してくれるだけで良いの」

「ちょっと待って。海龍からヴェルを引き離したとして……。マール、貴方……まさか」
ハズキは一人険しい顔をし、マールにおそるおそる尋ねる。
「私は……改めて、海龍に魂を捧げる。私はこれだけ島を破壊して、人を犠牲にしたから。生きてる価値なんかないの。せめて、魂を捧げて終わりにしたい。……ヴェルにも合わせる顔なんか、ないから」

 マールは、島を滅ぼし、人々の生活を奪ったこと、そして自分を救おうとしたヴェルに対しての贖罪の気持ちから、海子としての使命をもう一度全うしようと決意を固めていた。

「使命を全うして、それで終わりなの? かろうじて、ヴェル君が生きていたとして……残される彼の気持ちは?」
ハズキは、恐らく残されてしまうであろうヴェルの安否や気持ちの面について問いかけた。
「……そうだねぇ、荒れ果てて何も無くなった島に恵みをもたらしたとしても、それを受け取る人々はもういないよ。ここで一旦、海龍を鎮めたとしても、また別の魂を狙って暴れ回るかもしれないしね」
イブキもまた、荒れ果てた島の惨状から使命を全うする事の意味について問うた。

 二人は、自分たちを導いてくれたアサヒのことを少し思い出していた。未熟だった自分達に教え、育てた。そして後進に託して、この世を去った。残される者としての気持ちは、少し分かるつもりだった。

「私が、島も人もみんな壊したのよ。生きてる資格も、ましてやヴェルの隣にいる資格なんてないの。……ヴェルを引き離して、お願い」
「『これから死にに行くから、手伝え』なんてそんなこと出来る訳ないだろ。そんなことしなくても良い方法があるんじゃないのか」
「そうだ、きっと何かいい方法がある! 誰か一人を犠牲にして終わりなんて、間違っている……!」
あくまでも、使命を全うすることにこだわるマールと、マールを犠牲しない良い方法があるのではないかと、ヴァサラ軍の面々との間で様々な意見が飛び交い、収集がつかなくなり始めていた。

「待つのじゃ。ここで言い争っていても、何も解決策は出ない! 皆、冷静になるのじゃ」
混沌とした場に、エイザンの凛とした威厳のある声が響いた。ザワついていた他の隊長達は、冷や水をかけられたようにハッとなった。
「マール殿も早まるでない。今は、我々ヴァサラ軍も、マール殿も、お互い冷静になる時間が必要じゃ」
「で、でも……」

「……んー、あれ? そういや、僕達ってこの島に来てから何にも食べてないよねぇ」
戦士として、人間として重要な基礎を疎かにしていることを何気なく気づいたイブキが口にする。
「確かに、ここまでほとんど休むこともなかったわね……」
隊長達は少し冷静さを取り戻したのか、『食事と休息』という基本に立ち返って考え始めた。

「それに、倒すにしても何にしても、作戦を立てなければ。闇雲に向かっていっても、また返り討ちに遭うだけネ」
海龍と戦った経験があるファンファンは提言する。同じく経験者であるセトやビャクエンも頷く。
「これだけ人数がいるんだ。何とかする方法もあんだろ」
「……和尚のおかげで、やるべきことが見えてきたな。感謝します、和尚」

「……え、えっと、魚とか木の実とかなら、取ってこれるよ。海龍は私を狙わないから」
先程まで、悲愴感溢れる表情をしていたマールも、ヴァサラ軍の面々のやりとりに毒気を抜かれたのか、食糧の確保に名乗り出た。
「なら、私も手伝おう! 他に手伝えそうな者は……」
「私が行くネ。例え海龍が襲ってきても、この拳神ファンファンが追い払ってあげるアルヨ」
「や、極力戦闘は避ける方向でいきましょう。無理は禁物ですし」
挙手したファンファンは何故か戦う気満々である。しかし、食料集めが本分であるためビャクエンは宥めながら、マールを伴って雨風吹きすさぶ海岸へ踏み出していった。

「なら、薪を集めとくか。火がいるだろ?」
「そうね、使えそうな木材があればいいけれど……」
セトとハズキは焚き火に使えそうな薪を探し始めた。

「よし、我々は寝床でもこしらえようか。ラショウ殿、イブキ殿。使えそうな材料があれば集めてはくれないか」
「ああ。……使える物があればいいがな」
「そーだねー、よく食べたらよく寝る! これ、大事だもんねぇ」
各々が出来ることを見つけ、休息の準備に取り掛かる。


「その赤い実は、とても甘くて美味しいの」 
食料集めを担当しているマール、ファンファン、ビャクエンの一行は、島をよく知るマールのおかげもあり、順調に食材を集めていた。

「凄い色ネ……」
赤色に白い水玉模様のついたキノコを目の前にしたファンファンは思わず戸惑った。
「それはビッグキノコ。身体がとても大きくなるキノコなの」
「大きく? それは凄いアルネ!」
「でも、何かにぶつかったりしたらすぐに元の大きさに戻るの。例えば敵とぶつかったりとか……」
身体が大きければ、手足のリーチは伸びて、威力も上がり、敵との戦いに有利になるだろう。その考えはすぐに打ち砕かれてしまった。
「残念アル。……まあ、そんな上手くはいかないアルネ」
「あまり大きくなりすぎて、仲間を踏んづけてしまっても困りますからね。……ん、このキノコも身体が大きくなるキノコか?」
そう言ってビャクエンが摘んだのは、色違いの緑色に白い水玉模様がついたキノコだ。
「えっ、それは! 昔、私がヴェルといくら探しても見つからなかったキノコ……! ライフキノコ!」
目を大きく見開き、ビャクエンの手にあるキノコをじっと観察する。
「貴重なキノコなのか?」
「うん、間違いないわ。この島に何十年か一度に生えてくるって言われている伝説のキノコなの。これを食べると、寿命が伸びるとか死んでも生き返る力があるとか……」
よく観察して、確証を得たのかマールは大きく頷き、図鑑から得たであろう知識を語り始めた。今までにないくらいに目を輝かせて。
「夢のようなキノコアル。でも、これ1個しかないみたいネ」
ファンファンは周囲の木の根元あたりを、よく探すがビャクエンが持っている以外は生えているようには見えなかった。
「……分けて食べても、効果、ありますかね?」
「ビャクエンは、そんな夢みたいな話信じるネ? まあ、食材は多い方がいいネ。ひとまず採っておくアル」
よく考えてみれば、非現実的な話だ。死んで生き返ることなど、ありはしない。ビャクエンはカゴの中に緑色のキノコを入れた。

 洞窟の出入口付近で、食料集めチームは雨風を凌ぐことにした。
「これだけあれば大丈夫じゃないか」
「一日乗り越えるには大丈夫アルネ。……いつ助けが来るかは分からないけれど」
バケツいっぱいの魚とカゴいっぱいの木の実を見て、やれやれとひと息をつく。
「……助けって、あなた達の仲間の事、よね?」
「ああ。頼もしい我々の仲間達だ。しかし、遭難した事は、本部には届いているのだろうか……」

 遭難したという事実と、この土地が忘れ去られた絶海の孤島であること。ビャクエンは思わず言葉に詰まった。果たして、助けなど来るのだろうか。もしや、一生このままなのではないかという心配が脳裏を過ぎる。
「こんな任務を命ずる先生ラオシーなら、この状況から救う方法をきっと考えてるアルヨ。あの先生なら」
ファンファンの一言でハッと気づく。ヴァサラは仲間を見捨てない男である事と、弱気になっている自分がいる事に。

「そうですね。ヴァサラ総督は、きっと我々を助けに来て下さる。それまでに我々でできることをせねば!」
「ヴァサラ総督……という人は、そんなに凄い人なの?」
「そうだ。ヴァサラ軍の総帥で、我々の事を常に考えてくださっているお方だ。いつも自分にない考えで、民や国を導いている……立派な方だ」
「それに仲間のことを第一に考えてるネ。仲間はお金では買えない、かけがえのない存在だと教えてもらったアル」
両者共に表現は異なるが、人々のことを考え、新たな世界へと導くヴァサラという男を心底尊敬しているようにマールは感じた。

「ヴェルも……そんな人だったな。たまたま流れ着いた冒険者一家の子で。いつも新しい世界に憧れてて。でも、島にあまりいない考えの人で、いつも仲間はずれにもされてたな。『変わり者』とか『あいつには近づかない方がいい』って」
海龍に呑み込まれた幼馴染のヴェルも、いつも外の世界を夢見ていて、マールに外の世界への憧れを教えた一人だ。

「そうだったのか……。やはり、信仰しか縋るものがないと他を受け入れる事も難しいのだろうか」
「『違いを否定の対象にするな、他を受け入れられぬは己の無知ゆえ』……。先生の教えネ」
漂流民であったファンファンは、流れ着いた土地で言語や衣服の違いなどから、差別を受けたことがあった。無知ゆえの悪意から、ヴァサラが庇ってくれた事を思い返していた。
「色んな知らない事をヴェルは知ってて、それをいつも教えてくれたの。知らない事を知るのってとても楽しいのにね。あまり周りに理解はされなかったけど。でも、いつも二人で遊んでたっけ」懐かしい光景を思い出し、マールは目を細めた。

「ヴェル君との思い出は大切なものなんだな。……今の君の表情は、生き生きしていたように見える」
「えっ……。そう、見えたの?」
「出会ってから君はいつも、悲しそうで、何かに追い詰められている顔をしていたからね。キノコの話や今の話でも、どこか楽しそうだった」
「楽しそう……? そんなこと思う資格なんて、私には」
「一人で追い詰めなくて良いアル。今は私達がいるネ。一緒に考えるアルヨ」
話し込んでいると、洞窟の奥から足音が聞こえてきた。おーい……と洞窟の方から声と誰かの足音が聞こえる。

「まだこんなとこにいたのか……」
洞窟の出入口に留まっていたのを、ラショウはやや呆れ気味に呟いた。
「すまない、みんな待ってくれてたアルネ」
「ここで色々喋るより、物でも食いながら喋った方がいいんじゃねぇか」
そう言ってラショウは元の場所に戻るように促す。
「行こう、マール。皆、待ってるから」
「うん……」

(会ったばかりの私と、会ってすらもないヴェルの為に……。凄いな、皆……。私は……)
俯きながら、洞窟の中へと歩いていく。

 食材チームが合流した頃には、火が焚かれ、簡易的なテントが用意されていた。各々、魚を捌いたり、実の皮を剥いたりなどして、食べられるように調理を施した。貴重だと言われた、緑色のキノコも全員に行き渡るように切って、焼いて食べることにした。

「ようやくひと心地ついたねぇ……。これでお酒があればな~」
「まったくアンタって人は……緊張感の欠片もないのね」
ハズキは、のんびり気分なイブキにやれやれと呆れているが、各々腹を満たすことが出来たからか、顔に生気が戻ったように見える。
「さて、ここからどうすべきだが……」
「決まっている。マールも死なせないし、ヴェル君も助ける! これだろう」
ビャクエンのハツラツとした声が洞窟内に響いた。
「えっ!?」
マールが驚く中、焚き火を囲む全ての隊長が頷いていた。そんな中、ビャクエンは続ける。

「ヴェルは約束を叶えたかったのだと思う。『島の外に一緒に出る』っていう約束を。そしてそれにマールが受け入れて大事にしていたから、ヴェルもマールを助けようとしてくれたんだと思う」
「違うの、私が躊躇ったから……。さっさと儀式を実行していればこんな事には。約束が叶わないことは海子に決まった時から分かってたの。なのに、私が『生』にしがみついたせいでヴェルは……」
「彼は、海子や儀式という運命さだめ、島のあり方についても変えたかったように、私には見受けられるぞ。マール殿も、『生きたい』という強い意思の元に抗ったのだろう?」
「逃げただけよ、海子としての使命から。島も皆も滅ぼした私に、生きる資格なんて……」
ビャクエンやエイザンが説得を試みるが、マールは頑なに海子の使命にこだわっており、またも議論は平行線になりつつある。ふう、と息をついてハズキはマールに問いかける。

「ねえ、マール。単刀直入に聞くわ。『貴方が死んでヴェルは喜ぶの』?」
「えっ……」
「確かに島は滅んだ。人もたくさん死んだ。その過去は誰にも変えられない。けれど……死んだら、そこで終わりよ。ヴェルが救いたかった"貴方"という命を、どうして自分で蔑ろにするの? 貴方の本当にしたかったことは何? 本当に海子としての役目を果たして、消えることなのかしら?」

「私の、したいこと……」

(自分のことばかりで、ヴェルのこと考えてなかった……)
自分が島を滅ぼした、人々を犠牲にした罪悪感ばかりに苛まされ、二百年余りの歳月が経っていた。
自分にはもう生きている資格なんてない。自分が今度こそ儀式を成功させる――。

この島に存在する人間は、マールただ一人だけになってしまっていた。老いることも死ぬことも許されず、孤独に生きることを強いられた。そして、島と共に存在を忘れ去られ、誰とも繋がらず、独り思考の海に溺れてしまっていたのだ。

マールは周りにいる隊長達の顔を見た。数百年振りに言葉を交わした事で得た、「繋がり」。その糸を紡ぎ、思考の海に溺れた自分を救い出した隊長達を。

「……私、ヴェルを助けたい。……生きていていいか、今でも分からない。島を滅ぼしたことも変わらない。けど、一緒に生きて、できることを考えたい……! 皆、改めて力を貸して……!」
マールは隊長の前に立ち、頭を下げて改めて懇願した。

「……やれやれ、このまま答えが変わらないなら、協力を辞めるつもりだった」
「ああ、わざわざ自分から死にに行くようなヤツの死ぬ手伝いなんて御免だからな」
ラショウとセトは、ぶっきらぼうに言い放つが言葉の端には優しさが滲み出ているような気がした。
「私も安心したぞ! きっとマールを犠牲にしなくていい方法がある……! ヴェル君だってきっと助かる!」
「ええ。きっと厳しい戦いになるけれど……明日は頑張りましょう」
「結論は出たようじゃな。では、皆の者解散じゃ!」


 解散後、ハズキは焚き火を明かり代わりに作業していた。イブキはふらふらと近寄って、いつものように気楽な態度で話しかけた。
「なにやってんの、ハズキちゃん」
「ああ、焚き木集めと同時に使えそうなものを拾っておいて、戦いに使えそうな武器をこしらえてるんだけどね」
周辺には、木の他に薬品らしき瓶や実験の過程で作ったであろう武器などが並んでいる。
「ラショウとあの船の残骸から使えそうなものを探し出したんだけど、ほとんど壊れてたり、海水に浸かったりしててね」
ここに並んでるのは、かろうじて使えるものということのようだ。

「……なんか、柄にもなく熱くなっちゃったわね」
作業の手を止めて、ハズキが独りごちる。
「ん? ああ、マールちゃんに対してってこと? いいんじゃないかなあ、あれで彼女の心が動いたんなら」
「なんていうか……アサヒ隊長に拾われた頃を思い出したのよ。親に捨てられて、ヒマワリとはぐれて、家族を無くして。どうしてこんな時代に生まれたんだろう、どうして私ばっかりって」
アサヒに拾われた頃のハズキは、唯一の家族である妹を失い、希望を持てずにいた。絶望の暗闇から救い出してくれたのは他でもない、アサヒだった。
「あの時の私は、環境や時代に不満を垂れて、非力な自分を呪うだけで、立ち止まってた。けど、アサヒ隊長が『一歩でも良いから歩き出してみるんだ。そしたら思いがけない景色に出会えるかもしれねぇだろ』って」
「へぇ〜、まああの人らしいよねえ」
ヘラッと笑いながら、イブキはハズキの隣に腰掛ける。
「だから、あの子にも……。海子の運命を呪うばかりじゃなくて、一歩踏み出してほしいなって。こんな、暗い景色じゃなくて、違った景色も見られるかもしれないって教えたかったのよね……」
ハズキは懐からタバコを取り出し、火をつける。
アサヒがよく吸っていた銘柄と同じ、あの煙が洞窟内を満たしていく。イブキがその煙を見つめながら、呟く。
「ハズキちゃんなら、出来るよ」
「アンタも手伝うのよ」
煙が充満する中、ハズキは武器作りを続けた。
「ふふ……女王様の仰せのままに〜」

 同時刻。洞窟の出入口付近ではマールが身体が濡れてしまうのも構わずに暗い空を見つめていた。上空には海龍がとぐろを巻き、永遠に降り続く雨雲を生み出している。
(ヴェル……。もうすぐ、あなたを助け出せるかもしれない。待ってて……)

「……マール殿。そんなに身体を冷やしては、風邪を引くぞ」
空を見つめて物思いにふけるマールに、エイザンが穏やかな口調で話しかける。
「エイザンさん。……大丈夫。この身体になってから、風邪すら引かないし、死んだりしないのよ」
マールはそう微笑んだが、エイザンは首をゆるゆると横に振って、洞窟の方へと優しく手招きする。
「そうは言っても、身体が冷えれば心も冷える。……こちらに来るのじゃ」
パチパチと爆ぜる焚き火の前にマールを座らせ、エイザンは自らの袈裟をマールの小さな肩に掛ける。焚き火の前で、ラショウが自らの武器を手入れしていた。
「ありがとう……」
「ほら、これでも飲んどけ」
セトはインスタントのコーンスープ缶をずいっと差し出す。難破した船からかろうじて使える食料の一部だったのだろう。温められた缶を両手で包み込むと、じんわりと温かさが伝わる。ゆっくりとスープを口にし、飲み込むと身体の中からゆっくりと温かくなっていく感覚だ。

「……美味しい」
「眠れねぇアイツに、こうやってあったけぇ飲み物を作ったことを思い出すな」
「アイツっていうのは……?」
「オレのだ。アイツの為にも、明日の戦いは負けられねぇ。アイツを一人にしてはおけないからな」
セトは残してきた自分の兄弟ルトの事を思い、空を見上げる。守るべき兄弟の為にも、海龍を倒さねばならない。
「そっか、大切な人の為に……」

「オレも……こんな所で倒れる訳にはいかない。ジジイを……ヴァサラを超えなければ。約束は必ず守る」
ラショウは武器の手入れの手を止めて、"名も無き半妖"から"人間"になれたあの日を思う。
「約束……」
「ああ。地獄のような痛みや苦しみに耐え、修羅の世を生き抜く。その約束が果たせて、初めてジジイを超えられると思う。お前にも守りたかった約束があったんだろう?」
遠い昔の光景がマールの脳裏に甦る。

「だから、約束! いつか二人で旅しよう!」
「うん、約束だよ!」――。

「今からでも、間に合うのかな」
「約束というのは『守る』為にある。守る意思があるなら、そこに早いも遅いも関係ねぇだろ」
ラショウは、武器の手入れの仕上げを行って鞘に剣をしまう。
「ま、後はテメーの意思だけだろ。他人がどう思おうと、自分の在り方は自分で決めろ」
ぶっきらぼうな口調でセトが伝える。

「……マール殿、怖がる事は無い。ワシらもついておる。自分のやるべき道を、決めた道を貫くのじゃ。そうすれば、自ずと道は開かれよう」
「ありがとう、みんな……」
焚き火とコーンスープ、そして隊長達の言葉で、身体だけでなく身体や心がじんわりと温かくなるのをマールは感じ取った。
(こんな感覚、いつぶりだろうな……)
止まぬ雨に濡れ、吹きすさぶ風に晒され続け、人との繋がりも失ったマールは身体だけでなく心も冷えきっていた。しかし、200年余りそういった状態で暮らしていく中で、"冷たい"といった感覚が麻痺していたことに気づいた。まだ温かさの残るコーンスープの缶を改めて手の平で包む。

「夜を更かすと身体に障る……明日は大事な戦いじゃ。簡易だがベッドを作ったから、身体を休めておくのじゃぞ」
「ありがとう。みんな、おやすみなさい」
マールは、洞窟の奥に拵えてくれたベッドに身を横たえた。
(そうだ、頼もしい人達が居る。私も逃げたりしない。……明日、絶対助けるから)
200年ぶりに繋がった、仲間たちの顔を浮かべる。あの時とは違って、一人じゃない。
そう思いながら、静かに目を閉じた。


 その頃、本部に残留していたメンバーは新たに船を用意し、海洋調査組の救助へと繰り出していた。ハズキがあらかじめ船に発信機をつけていたことで、最後に発信があった場所まで船を出すことが出来たのだ。

 夜明け前に出発し、東の空がだんだんと白み始めている。
「さすがはハズキじゃ。このまま助け出すことが出来れば良いが」
ヴァサラはブリッジで、遠くを見据えている。ユダとアシュラもそれぞれ、甲板で見張りを務めている。

「おぇ〜、めちゃくちゃ揺れて気持ち悪〜! 何でボクちゃんまで、救助に駆り出されてんの〜?」
船の揺れに顔が青ざめてはいるが、いつもの戯けた口調でパンテラが尋ねる。

「たわけが! 元はといえば、貴様も海洋調査組のメンバーだったじゃろうが! それを十一番隊舎で酒盛りをした挙句に、遅刻とは……。せめて、救助の一つでもこなして挽回せよ」
「えー、そだっけ? 他のヤツらならともかく、ラショウちゃんが海に落っこちた程度で死なねえでしょ〜☆ ってことで、ボクちゃん寝るね〜。グッナ〜イ☆」
船内の簡易ベッドにゴロンと横になると、すぐさまいびきをかいて寝始めるパンテラに、さすがのヴァサラもやれやれと肩をすくめる。

「パンテラ、二日酔いで船に乗ってるってこと……? 自業自得といえば、自業自得だけど……」
「そういや、ぐでんぐでんのイブキ隊長もハズキ隊長に引きずられながら船に乗ってくの見たぞ……」
デジャヴを感じざるを得ないルトとジンも、無理を言って、救助についてきた。ルトは兄の救助にといち早く名乗りをあげ、ジンも負けじと――半ば海の世界が気になるからではあるが――作戦に名を連ねた。

「ヴァサラ総督! アレでは無いでしょうか」
しばらくして、海上に船のパーツと思しき残骸が浮かんでいるのが見えて、双眼鏡を携えたユダはそれを指差して報告する。
「やはり、か。ここで信号が途切れたと聞く。ここで何かがあったんじゃ」
難破した船から送られたレーダー情報と、伝令からの報告書とを照らし合わせる。

「今のところ、何も変わったところなんかなさそうだけどなあ」
ジンの言う通り、ここまでは何の支障もない。天候も穏やかで、空には雲もない。そよそよと吹く海風が心地よいくらいで、『順調』という言葉がピッタリだろう。
「見て! アレは……?!」
快晴の空が一変し、暗い雲が立ち込める。否、雲というよりは、そこに『生きている』何かが空を支配しているように見えた。

「何だ、海から変なやつが乗り込んできたぞ!」
鱗を持った二足歩行の蜥蜴とかげのような魔物が、船の甲板に何体も侵入してきていた。各々、三叉槍やサーベルのような武器を携えている。

 空を覆う黒い雲から、海龍が姿を見せた。
「もしかして、アイツが船を……!?」
ルトはグッと剣を握りしめる。自分の兄や信頼する隊長達の乗った船が、こいつにやられたかもしれないのだ。

 グアアアアアアアア……!!
ビリビリと鼓膜が震えるような、激しい咆哮が響く。それが号令だったかのように、二足歩行の蜥蜴の魔物は一斉に攻撃を始める。

「皆の者! 船を守るのじゃ! ここで倒れる訳には行かぬぞ!」
ヴァサラの号令により、軍の隊員も一斉に未知の魔物と剣を交える。
(そうだ、今は目の前の敵を倒すんだ! お兄ちゃんはボクが助けるんだ!)

「雷の極み『閃光万雷』……! 《雷皇の陣》!」
ルトは剣をクルクルと回し、両腕を斜め下に広げた構えを取る。雷の波動が高まっていく。

「くっそ、こいつ刃が通らねえ!」
二足歩行の蜥蜴達も、武器を駆使してヴァサラ軍を追い詰める。
ジンも敵の硬い鱗に剣が通らず苦戦していた。後方から、もう1匹の蜥蜴がサーベルで襲いかかろうとしていた――。

雷霆らいていの太刀!!」
「ギャアァァァア!!」
目にも止まらぬ電光石火のスピードで擦れ違い、その瞬間に敵を切り刻む。敵は武器を取り落とし、断末魔をあげた。

「今だ、ジン!」
「っしゃあ……!」
その横をスっと、よく目立つオレンジの髪色が通り過ぎた。武器を持ち直そうとする数匹の魔物が瞬く間に、そして小気味良いリズムで切り刻まれていく。

傷だらけの人形スカーズパペット……!  いつの間に楽しそうなことしてんの、キミたち〜♡」
先程まで寝ていたはずのパンテラだ。二日酔いなど何処吹く風か、いつもの調子に戻っているようだった。魔物達はルトの雷撃で鱗の強度が弱まった後に、パンテラの連撃で一斉に甲板で倒れた。

「パンテラ隊長!? くっそ、オレが決めようとしたのに!」
「強ぇ奴のニオイがしたからなァ……」
パンテラがクンクンと鼻を鳴らした、その時。

 船体が大きく横へ、縦へと揺らぐ。激しい波が船に襲いかかっている。
「うわっ……!」
振り落とされまいと、一斉に欄干や柱などに掴まって何とか堪える。船に大きな波しぶきが入り込む。同時に大きな影が船を覆う。

「なんだ、あれ……」
「クラーケンじゃ! 海に潜む魔物と聞いておったが、こんなにも巨大とはの」

6m程の巨大なイカのような魔物――ヌメヌメとした触腕が巨体から姿を覗かせ、ギョロリとした目玉は獲物を見据えるかのようにこちらを睨みつけていた。

「でっけぇ……!!」
「ニオイの正体はコイツだったか〜♡♡」
長い舌をペロリと出しながら、標的に狙いを定めたパンテラは一直線に敵へと駆け出す。

 クラーケンは、何本もの触腕をパンテラへと向けて捕らえようと襲い掛かる。
「ヒャハッ☆」
しかし、いずれの触腕もパンテラを捕らえるには至らなかった。身体をくねらせたり、ジャンプして避けながらも、テンポよく切り刻まれていく。斬られた触腕は、ビチビチと甲板で跳ねたり、海へ落ちていく。

「さぁ、ボクちゃんと踊ろうよ♪」
切り落とされた触腕は、瞬く間に再生して、またパンテラを目掛けて襲いにかかる。

「パンテラ! 危ない!」
ルトも自慢のスピードで応戦するが、触腕の方が一歩早い位で間に合いそうにない。
八咫烏やたがらす……!」
その時、ユダの剣から発せられた黒の波動が、クラーケンの触腕を切り刻む。触腕の一本が勢いそのままに海へと投げ出され、大きな水飛沫を上げる。

「考え無しに突っ込むのは感心しませんね、パンテラくん」
メガネのブリッジをクイッと上げて、得意げに指摘をする。
「へっ、ガリ勉くんがヤらなくたって、ボクちゃん死なねーけどなっ☆」
再生されたばかりの触腕を切り落とされ、クラーケンは怒りの咆哮を上げる。再び斬られた箇所からボコボコと泡が沸き立つように再生が始まっている。

「うっわ、気持ち悪……」
「うっは、どんだけ生えるんだよ! 斬り放題じゃん!  楽しくなってきたなァ♡♡」

 眉をひそめて気味悪がるジンの横で、パンテラは三日月のように口の端を上げ、ニヤニヤした笑みを浮かべながら再び剣を逆手に構えて斬りかかっていく。

「どっちかが果てるまで、ボクちゃんと踊ろうよ♪」
「パンテラ! 遊んでいるのでは無いのだぞ! 其奴を倒して、道を拓かねばならぬことを忘れるでない!」
叱責の言葉を投げかけるヴァサラだが、当の本人は未知なる強者との戦いにすっかり魅入られており、言葉が届いてるかどうかは怪しい。

「おじいちゃん……ああなったパンテラは、聞いてくれないと思うよ」
「まったく。起きたと思ったらこれじゃからの」
ルトは苦笑いを浮かべ、ヴァサラは後頭部を掻いて呆れる。

「うおっ!? 緊縛プレイしちゃう!? ハードプレイもイケるクチ〜!?」
「パンテラ!?」
気がつくとパンテラは、触腕に身体を捕らえられてしまっていた。捕らえられた本人は、苦しいというよりは恍惚とした表情で甲高い笑い声をあげている。
「何をやっておるんじゃ、たわけが!」

 大きくため息をついたところで、黒い影が素早くヴァサラ達の横を通り過ぎた。その影がクラーケンの触腕と擦れ違った途端、目にも止まらぬ斬撃で切り裂かれていた。

「今のは……」
「アシュラだ! 一瞬で、腕が全部なくなったぞ!」

 クラーケンはパンテラの絶え間ない連撃とアシュラの無駄のない動きによる強烈な一撃により、再生能力を極端に削られ断末魔を上げていた。

「おいおい〜、これからだってのに、もうイッちまうのかよ!」
「遊んでる場合じゃないっスよ! トドメ刺さないと!」
つまらなさそうに文句を言うパンテラにツッコミながらも、ジンはクラーケンへ真っ直ぐ駆け出していく。

「『閃光万雷』! 《雷獣の陣》!」
ルトは極みを発動し、獣のような構えを見せて波動を高めていく。
「うおおおおおお!!」
雷牙らいがの太刀!!」
ジンの力を込めた斬撃とルトの雷を纏った電光石火の一撃が決まった。ギィエエァァァァ……! 断末魔を上げながら、クラーケンは海の中へと沈んでいった。

「な、何とか倒した……か」
「良かった、こんなとこで負けてられないから」
未知の生物との戦いに勝ち、二人は一息をつく。

「あーあ、もうイッちまったのか〜」
「全く、パンテラくんは相変わらずですね……」
「……」
海の底へと沈んだクラーケンを名残惜しそうに眺めるパンテラの様子に、ユダとアシュラの二人は呆れた様子で肩を竦めていた。

「お主達、よくやった! デカブツを倒してくれたおかげで、この船が沈まずに済みそうじゃ。……それに見よ。あそこに島が見えてきたぞ」
「いつの間に……? なんだか、導かれてるみたいだ」

 蜥蜴達とクラーケンと戦っている中でも、船は進み、島を捉えられる距離までに迫っていた。中央に大きな山がそびえ立ち、周りは自然に囲まれているが、人の手入れが行き届いておらず、鬱蒼とした森林や朽ち果てているような家の残骸らしきものが見える。

「あの龍が、この島に導いたのか……?」
ジンはふと空を見上げる。先程の龍は姿が見えないが、黒い雲は依然として空を覆っている。

「ここにお兄ちゃんがいるのかな……。待っててね、お兄ちゃん……!」
「あの龍と戦えるんなら、ちっとは楽しめそうなんだけどな〜」

 謎は尽きぬまま、そして各々の想いを背負って船は島へと向かっていくのであった。


第6章:決戦

 雨が降り続くハマユウ島は、日が登ったかどうかさえも分からない。だが、漂流してきた時刻から、朝は迎えているだろう、とハズキは計算した。

 出発前、海龍との決戦に向けて、最後の作戦会議を行っていた。
「海龍と戦うなら、広い場所がいいわよね。どこか広い場所はない?」
マールはハズキの問いかけに対して、少し思考を巡らせてから口を開く。
「神殿があった山の上なら……。あそこはとても広いし、開けてると思う。その分、隠れられそうな場所とかはなさそうだけど」
「そこでいいんじゃねぇか。他の場所は、地面が砂浜だったり岩礁だったりで安定しねぇし」
他の隊長も異存はない様子で頷いている。
「正々堂々と戦おうじゃないか! そして、海龍からヴェル君を引き離し、島の平穏を取り戻すんだ」
拳をぐっと握り、ビャクエンはハツラツとした声をあげる。
「皆、ありがとう。出会ったばかりの私にここまでしてくれて」
「この島に流れ着いたのも、何かの縁じゃろう。それに、どんな状況であれ困っている者は放っておけぬ。我々は『国を愛し、民を愛し、それらを護る為にある』のだからな」
エイザンは、マールだけでなく周りにいる隊長全員に落ち着いた口調で語りかけた。
「さっさと終わらせて、帰る方法を探すぞ」
「賛成アルネ。決まったなら行くがヨロシ」
もうここで喋る情報は何も無いと分かると、セトとファンファンは雨の降り続く洞窟の外へ踏み出す。
「もう、どっち行くかも分からないのに、勝手に行かない! マールが居ないと分からないでしょうに」
ハズキが窘めながら、慌てて駆け出す。
「山はこっちに登山道があるよ。……通りにくいかもしれないけど、そこしかないから」

 神殿に続く登山道は、地面を階段状にして通りやすいようにしていた様子が窺えた。
だが、整備する者がいなくなった事で、草木は生い茂り、逞しく生えている木の根が隆起しており、非常に歩きにくい。その上、長年降り続く雨のせいで、ところどころ地盤が緩み、パラパラと地面が崩れている箇所が確認できる。

「皆、固まって動こう! 焦らずに……だが、迅速に行動するのじゃ」
エイザンの号令で、意を決して登山を開始した。
雨は相も変わらず降りしきり、時折吹き付ける風が、確実に体温を奪い去っていく。
「きゃっ……!」
「危ない!」
生い茂った草むらに隠れた木の根に足を引っかけ、マールがバランスを崩す。とっさにビャクエンが手を伸ばした。
「あ、ありがとう……!」
離さまいとマールは、力いっぱいにビャクエンの手を掴んで引き寄せた。
「ふう、かなり危険な道だな……」
登山道に戻ってきて、一安心したのもつかの間。ゴゴゴ……と地響きが聞こえる。
「まずいわ、土砂崩れよ!」
山の上から土砂や岩が勢いよく、こちらに迫ってきている。
「下がっておれ!」
「和尚、何を!? 危険です!」
ビャクエンが警告するのも構わず、エイザンが崩れ落ちてくる土砂や岩の前に躍り出る。
「地の極み『外道菩薩』! 金色夜叉明王!!」
口上を唱えたエイザンの身体は、黄金に輝き、いつも笑みを湛えている顔には、歌舞伎役者のような隈取りが加わり、逞しい姿に変貌する。
金剛掌こんごうしょう!!」
力強い仁王の如く、エイザンは勢いよく手を突き出す。硬質化した身体から繰り出される破壊の一撃で、岩は粉々に砕け散っていった。その後も、次々と転がり落ちる岩を砕いていく。
「エイザンさん……!」
「今のうちになるべく安全な所へ!」

エイザンが岩を砕き続けているうちに、ようやくその波が収まり、皆は胸を撫で下ろす。
「ふう……、収まったようじゃな」
「まったく、無茶をしますね。和尚……」
土砂崩れが収まり、エイザンは金色夜叉明王モードを解いた。
「また、いつ落石や土砂が襲ってくるかわからん。今のうちに少しでも進むぞ」
ラショウは頂上を見据えて、また歩き出す。他の皆も力強く頷いて一歩、また一歩と踏み出す。

(この道……“あの時”に通った時、怖かったな)
海子に選ばれた時は、皆『マール』ではなく『海子様』と呼んでいた。ただ一人の人間や少女ではなく、島の繁栄を担う役目としか見られなかった。
今、この道は”あの時”よりも、かなり不安定で土砂や岩が転がり落ちて来る。下手すれば死ぬかもしれない。
それでも。『「マール」と呼ばれていた自分』から『「海子様」としか呼ばれなくなった自分』、『島の生贄、繁栄の傀儡としか見られない自分』に変わった”あの時”の方が怖かった。

儀式の当日は、自分でも覚悟を決めたつもりだった。
でも、やっぱり怖かった。もっと生きていたかった。もっと色んな景色を見てみたかった。

(でも、そんな私をヴェルは奮い立たせた)
海子に選ばれた時は、唯一自分を『マール』と呼んでくれた。
儀式の当日は、唯一自分を救おうと抗ってくれた。ヴェルはいつだって、自分に手を差し伸べてくれていた。

――その手を、私は取り損ねたんだ。

(けど、今は違う。皆がいる)
改めて自分の周りを見る。力強く逞しいエイザン、頭が良くて周りをよく見てくれているハズキ、穏やかで優しいイブキ、ぶっきらぼうだけど兄弟思いなセト、熱くて明るいビャクエン、寡黙だけど秘めたる思いを胸に戦っているラショウ、仲間の大切さ、尊さを知っているファンファン。

絶望に打ちひしがれた自分を救いだし、もう一度ヴェルの手を取るチャンスをくれたんだ。

(今度は私が助けるからね。待ってて……!)


 山頂には破壊された神殿が風雨にさらされ、残骸の周りには草木や苔が生い茂っていた。それ以外はほとんど何もない、地面が広がっているばかりだった。
頂上に登り詰めただけのことはあり、雨雲に隠れた海龍の存在を今まで以上に感じる。
「ヴェル! 聞こえてるんでしょう!? 助けに来たわ」
空に向かって、マールがかつての幼馴染の名前を叫ぶ。すると、雨雲から巨大な龍がその姿をゆっくりと現す。

《出来損ないの海子か。……今更、何の用だ。その魂でも捧げに来たか》
「こいつ、喋れるのか!?」
今まで地響きのするような咆哮しか聞き覚えの無かった隊長一同は、顔を見合わせる。
「これも海子の力かしら……? 海龍の意思を伝えてくれている……?」
「あなたに魂は捧げない。……取り込んだヴェルを返してもらいに来たの!」
《つくづく貴様は出来損ないだな! 魂を捧げれば、この長雨も止み、再び恵みをもたらしてやろうというものを……》
幾度となく罵声を浴びせられても、マールは顔色一つ変えず、海龍を真っ直ぐ見据えている。
海龍あなたに命を使うよりも、ヴェルを救うことに命を使う! それが私に出来る償いだから!」
《愚か者が! 名も知らぬ戦士と共に再び絶望の闇に落としてくれよう!》
「行くぞ! 火の極み『赫灼炎舞』! 火祭り!」
「風の極み『旋空神風』! 風神剣!」
ビャクエンの飛ぶ火の斬撃を、セトの風の斬撃が煽り、大きな斬撃が生まれ、海龍にぶつかる。
《あの時の小童か。そのような攻撃では我は倒せぬぞ!》
大きく燃え上がった斬撃は、海龍の巨大な爪で引き裂かれる。
――決戦の火ぶたが切って落とされた。


 同時刻。ヴァサラ達を乗せた船がハマユウ島に流れ着く。
「この島は一体……?」
「おい、じいちゃん! もしかしてこれ……」
ジンの目に飛び込んできたのは、見るも無惨な船の残骸だ。その近くまで行き、ヴァサラは船を検める。
「ふむ、間違いない……。海洋調査に出した船じゃ。よほど酷い攻撃を受けたのじゃな」
「見て! あれ!」
ルトが島にそびえ立つ山の頂上を指差す。そこには、巨大な龍が空を飛んでいる。激しく動き、爪や尻尾などを振り回しているような様子も見える。
「アイツが船をこうしたのかな……」
船を残骸をチラッと見て、ルトはギュッと剣を握る。
「うっひゃ〜、ありゃあスゲー強ェ奴の匂いだぜ☆ 早くヤりあいてーなァ……」
「もしや、あそこで戦っているのは……」
鼻息の荒いパンテラの横で、ユダがメガネをクイッと上げながら、海龍の動きを分析し予測している。あれだけの激しい動きなら、流れ着いた海洋調査組のメンバー達が戦っていても不思議ではないだろう。

「ふむ、ここに流れ着いてきているのは間違いなさそうじゃな。では、目的地はあの山頂で……」
ヴァサラが指示を下そうとした瞬間、どこからともなく、カタカタと骨組み達が人の形を作り、剣を持って動き出す。
「何だこのガイコツ〜! 雑魚は引っ込んどけ☆ 『熱情の舞踏フェローチェ・ダンス』!」
パンテラが剣を逆手に持ち、骸骨達へ踊るように連撃を加えていく。不規則で、まるでデタラメにも見える動きに翻弄された骸骨たちは、ガラガラと音を立てて、バラバラの骨に戻る。
「木っ端微塵♪ ぱっくんちょ☆」
「さすがだね、パンテラ! こうしちゃいられない。早くお兄ちゃんの所に行かなきゃ」
ルトが勇んで先へ進もうとした、その瞬間。
「下がれ、ルト!」
「えっ……うわっ!?」
刹那、金属音が激しくぶつかりあう音が聞こえる。おそるおそる振り返ると、モーニングスターを持った骸骨兵とジンが鍔迫り合いを繰り広げていた。
「いつの間に……!?」
「うりゃあッ!」
力で一歩リードしたジンは骸骨兵を押し倒す。衝撃で砕け散るが、すぐにまた立ち上がる。
先程パンテラがバラバラにしたはずの骸骨兵達も驚異的なスピードで復活し、ジン達を取り囲んでしまう。
「ちっ、厄介だな……」
「どうしよう、おじいちゃん……。砕いてもキリがないよ!」
ルトの心配をよそに、ヴァサラは不敵な笑みを浮かべる。
「なぁに、復活出来なくなるまで砕けば良いだけのことじゃ!」
「総督!? いくら何でもそれは……」
「"無茶"だとしても、無理じゃねえ!」
ユダのセリフを遮るようにジンが叫んで、骸骨兵を薙ぎ払う。が、すぐに元の形に戻っていく。
「ここで諦めたら、隊長達を助けられねぇだろ! オレ達以上に、無茶な戦いをしている隊長達を! ここまで来て足止めを食らう訳にはいかねぇんだ!」
復活した骸骨兵を、力を込めた剣で再び打ち砕く。山頂付近で空を暴れ回る海龍を改めて視界に入れる。前しか向いていないジンの姿に、ヴァサラは口の端を上げる。
「フン、いっぱしの口を利きおってからに」
「ですが、ジン君の言う通りですね。ここでやらなければ、ビャクエン君達は助け出せない」
「うん、ボク達ならきっと突破できる……!」
ルトやユダ達がカサーベルを構えると、アシュラもコクリと一度頷いて、白と黒の二刀を構える。
「ジンちゃんのクセに、生意気だなァ〜。んま、前菜程度に食っちゃいますかねェ☆」
「準備は良いな? さあ……宴と行こうか!!」
ヴァサラの号令と共にジン達は骸骨兵に斬りかかっていく。


「毒の極み『女王蜂』……毒針ポイズン・アロー!」
ハズキは、昨夜開発したボウガンで毒の矢を撃ち込む。戦闘手段を持たないマールもハズキ特製の弓を使い、弓矢を放つ。
《そのような玩具オモチャで倒せると思ったか!》
命中はするが、全く効いてないような素振りで海龍は未だ空を飛び回っている。ハズキは海龍の挑発めいた言葉に動じることなく、二の矢を準備する。
「実験はたくさんの失敗を重ねるものよ。その失敗の上に、大きな成功が待っているの」
「たくさんの、失敗……。私も、いっぱい失敗した……取り返しのつかない失敗を。けど、それも全て背負って、必ずヴェルを救い出す……!」
マールはもう一度矢を番えて、海龍に放とうと準備をする。
「妖の極み『百鬼夜行』……風狸ふうり!」
ラショウは、矢の装填が終わるまではと海龍の目線を自分へと向ける為に攻撃を仕掛ける。
《こんなもの!》
巨大な尾を振り回し、それを容易く弾く。
「ちっ……!」
火燕かえん!」
弾いた瞬間に、ビャクエンが火の鳥のように腕を拡げて、海龍を焼き裂く。振り払おうと爪を振りかざすが、
飛火あすか!」
《なに……!?》
地面が大きく抉り取られただけで、そこにビャクエンの姿はない。
「こっちだ! 紅朱雀べにすざく!!」
紅蓮に燃え盛る炎を剣に乗せ、疾風怒濤の勢いのまま、海龍を捉える。
《グァッ……人間風情が……!》
雨に負けない灼熱の炎が、海龍の身体を焼き尽くさんとするが、身体を大きくのたうち回らせ、それを消そうとする。
「弐蓮風車ッ!!」
「千滴岩砕拳!!」
つむじ風の如く回転の加えた斬撃を2連続で見舞った後、目にも止まらぬ正拳突きが海龍を打ち砕く。
《小癪な!》
海龍は再び空へと舞い上がろうと翼をはためかせる。
「毒の極み『女王蜂』……毒弓雨ポイズン・アローレイン!!」
ハズキは、複数のバリスタを起動させて毒の弓矢を一斉射撃する。
《いつの間に……! この……っ!》
完全にターゲットから外れていたハズキの攻撃が海龍の身体に全弾命中し、飛び立とうとした海龍は地上に落下する。
「ラショウ達が時間を稼いでくれるおかげで、何とか準備が間に合ったわ」
「ふう……。全く、女王様は人遣いが荒いんだから〜」
ハズキがひと仕事を終えたような体でパンパンと両手を叩く。それを横目にイブキが苦笑いをする。
「そうは言うがイブキ殿、なかなか手際良く準備されていたでは無いか」
「凄い……。こんな物を開発しちゃうなんて」

《小賢しい!》
海龍は、耳をつんざくような咆哮を上げ、身体に刺さった弓矢を吹き飛ばす。咆哮が上げる音圧は、暴風を呼び、全員を上空に舞いあげる。
「うわぁぁぁあっ!!」
《こんな物で、我をどうにか出来ると思うな……!》
程なくして、隊長達は一斉に地面に勢いよく叩きつけられる。

「くっ……。効いてないのか……!?」
「そんな……! 全弾命中したはず……!」
強かに身体を打ち付けた隊長達は、立ち上がろうとするが、出撃から今まで雨と風に晒され続け、予想以上に体力を奪い去っており、何より手と足の感覚が失われつつあり、上手く剣が握れない。
「う……皆……」
《愚か者共が……今こそ、全員引き裂いてくれよう!》
「まずい……! 皆、伏せるのじゃ!!」
せめてダメージを最小限に抑えるべく、精一杯身体を地面に伏せる。

《き、貴様……! 抵抗するか!?》
「何だ……!?」
おそるおそる、ゆっくりと目を開けると今まさに襲いかかろうと振り下ろされた爪はギリギリのところで留まっていた。
《ま、マールに手出しはさせないぞ……! もう傷つけたりしない……!》
「ヴェル……!? ヴェルなの!?」
マールは大きく目を見開いた。海龍の声に混じって、200年経っても忘れる事の無い幼馴染の声を耳にしたからだ。
《ああ……! ずっと、この時を待ってた……コイツをどうにかしてやりたいって。でも、オレ一人じゃ出来なかった……。海龍に呑み込まれて、島をめちゃくちゃにして、マールを独りぼっちにしてしまった……》
「ヴェル殿の意識が、海龍を抑えているのか……?」
《誰か知らないけど、マールを助けてくれて、ありがとな……オレが海龍の意識を抑えてるうちにトドメを……》
《アァァァァ!! 小賢しい小賢しい小賢しいわ、この小童が……!! 何年、何十年とこやつと戦ってきたが、ネチネチと我の意識に抗ってくる……!!》
ヴェルと思しき声と海龍の声が混ざり合い、地面で激しくのたうち回っている。
「今……助けるから……!」
「迂闊に近寄るな! 危険だぞ!」
ラショウの必死の忠告も耳に入らないまま、マールは駆け出していく。
《グァァァァァアア!!》
海龍の巨大な身体が地面を揺らし、風圧を巻き起こし、身体が吹き飛ばされる。地面に細身の身体が転がっていく。だが、歯を食いしばって前を向く。
「ヴェルも……ずっと戦ってたんだ……。なのに、私だけずっと償うこととか死ぬことしか考えてなかった……! 諦めない、諦めたくない……!」
「気持ちは分かる……だが……」
エイザンは周りを見渡す。海龍に巻き上げられ、上空から叩きつけられた隊長達も、何とかしようとするが長い雨と風に晒され、思うように立ち上がれないのだ。
誰もが歯痒さを感じ始めた、その時。

「もう大丈夫! ワシらが来た!!」
「その声は……」
雨と風に負けない強い声が木霊する。その方向には、ヴァサラが立っていた。銀髪と覇王の証であるマントをなびかせて勇壮な姿で立っていた。
引き連れてきた隊長(と見習い)がズラリと横一線に並び立つ。

「ヴァサラ総督……!!」
「『最後まで死力を尽くし、決して諦めない』! それがヴァサラ軍の教え!! 皆の者、立つのじゃ!! 戦いはまだ終わっておらぬ……!!」
ヴァサラは剣を勢い良く地面に突き立てる。ヴァサラの身体が光り輝き、突き刺した剣から地面を通して、倒れている面々に波動が注ぎ込まれていく。
「殿……。何と暖かい……」
「おじいちゃま……」
冷たい雨が降り注ぐ中、まるで春の穏やかな光に包まれているような、それでいて腹の底から熱い物が込み上げてくるような力強い感覚を覚えた。

「あっら~? こんなとこでくたばってんのは、ラショウちゃん? こんなデカブツにくたばるラショウちゃんじゃないでしょ☆」
パンテラはペロリと長い舌を出しながら、地に這いつくばっているラショウを嗤う。
「フン、こんな龍など……俺の敵じゃねえ」
ヴァサラから波動を受け取り、力強く大地を踏みしめながら立ち上がる。
「そうこなくっちゃなァ♡」

「お兄ちゃん! 大丈夫!?」
ルトは一目散にセトに駆け寄って、手を差し出す。
「ちょっとかすっただけだ……」
差し伸べられた手を取る。その手を取って、セトはハッとした。その手のひらには温かさ以外にも、少し硬さを感じたからだ。目の前にいる家族おとうとは、守られるだけの存在ではない。共に戦う仲間でもあることを痛感した。
「……お兄ちゃん?」
「何でもねぇ。一緒にアイツを倒すぞ」
「うん……!」

「ビャクエン君!」
ユダはビャクエンに手を差し伸べた。
「ユダ……!」
迷いなく、ユダの手を取り立ち上がる。
「助けに来てくれて、ありがとう」
ユダは今まで「助けてもらう」側の立場だった。周りに虐められ、いつも庇ってもらっていた。何をするにもビクビク怯えていて、後ろをついていくばかりだった。けど、今は一緒に隣に立って戦える。親友と、仲間と共に。
「うん。さあ、目の前の龍を倒しに行こう……!」

《何が来たかと思えば……塵が増えただけの事! 再び吹き飛ばしてくれよう!》
まるで意に介してないような海龍の言動にジンが鼻で笑う。
「じいちゃんのあの力を見て、ビビってんだろ!? オレ達が集まれば、お前なんか木っ端微塵だ!」
《ぬかせ……ッ!!》
海龍は爪を振り下ろす。臆する事無く、ジンはそれを受け止める。……が、威力の予測を見誤ったのか、受け止めきれずに後方へ勢い良く吹き飛ばされる。
「ぐわ……っ!? すっげぇ威力。……だけど、これならじいちゃんのゲンコツの方がすっげぇかな」
しかし、すぐさまに立ち上がってヘラッと笑いながら軽口を叩く。
「たわけが! 龍と戯れている場合ではないぞ、小僧!!」
そんな様子にヴァサラは大きな声を張り上げながら、海龍へと向かっていく。

「……っ!」
アシュラは腕をクロスさせて、いつでも抜刀が出来る状態にしながら駆け出す。

《ちょこまか、ちょこまかと……》
黒い影を追って海龍は続けざまに爪での攻撃を繰り出すが、アシュラが走った軌跡には残像が生み出されている。それに惑わされ、一向に捉えられないのだ。

刹那、影を捉えた瞬間があった。ようやくか、と海龍はニヤリと力を込める。
《手間を掛けさせる……!》
(飛龍爪・烈――!!)
直後、クロスさせた二刀から爆発的な力を込めた斬撃が海龍を襲う。海龍が捉えた、のではなく、あえて"アシュラが捉えさせた"のだ。

《何……ッ!?》
「はぁぁぁぁッ……武の極み『劉』!! 真覇拳王劉掌烈波ァッ!!」
アシュラが囮になっている間に、一人で極みの共鳴を完了させたファンファンの奥義が炸裂する。竜の気と海龍とが正面からぶつかり合った。

各々の隊長も好位置に付け、準備が整っている。
「ヒャハハハハハ! イクよぉ〜、ラショウちゃぁん♡」
「オレに指図するな」
ペロッと舌を出して、剣を逆手に構えるパンテラと相変わらずの様子にムッと眉をひそめながらラショウも続いていく。
「音の極み:人喰い道化ピエトロ・ピエロ」「あやかしの極み:百鬼夜行」
太古之大天狗たいこのおおてんぐ!!』
大きな天狗が大太鼓を鳴らすが如く、力強い一閃が海龍を切り裂く。

「火の極み:赫灼炎舞」「魔の極み:摩天楼」
煉獄炎魔不知火れんごくえんましらぬい!!』
続けて、ビャクエンとユダの息のあったコンビネーション攻撃が炸裂する。魔界の黒炎が海龍を焼き尽くそうと襲いかかる。

「旋空神風・嵐斬華!!」
「雷爪の太刀ッ!!」
全てを切り裂く無数の風の斬撃と、雷を纏った鉤爪のような鋭い攻撃が同時に命中する。

《小癪な……!!》
立て続けに隊長たちの攻撃を喰らい、海龍の飛行高度が下がっていく。だが、効いてないとでも言うようにまた大きく翼をはためかせて飛び立とうとする。

《ぐっ……!? 身体が動かぬ……?!》
しかし、思ったように飛び立つことが出来ずに地面に落下する。身体が鉛のように重いのだ。
「やっと効いてくれたわね。毒の極み『女王蜂』……痺れてきた?」
作戦通り、と得意げに地に伏した海龍をハズキは見下ろす。
「ははは……さすがはハズキちゃん。ナイスタイミングだねぇ」

「これが……隊長達の絆……?」
マールは怒涛の攻撃を繰り広げる隊長達の活躍をただ、見ているだけだった。だが、攻撃を繰り返して海龍を弱らせていっている『結果』のことだけを言っているのではない。

兄弟、親友、そして悪友。そして、「ヴァサラ軍」。再会してすぐに繰り出される攻撃、息のあった共鳴コンビネーション
200年もの間、独りだったマールには人と人との繋がり――『絆』がとても眩しく、輝いて見えた。

(私も……)

毒に苦しみ、のたうち回っている海龍を真っ直ぐ見つめてマールは歩き出す。
「お主! 危険じゃぞ!」
「良いのです、殿」
まだ危険がないとはいえない状況の中、おもむろに海龍に近づいていく少女を案じるヴァサラだったが、それをエイザンが大きな腕でサッと制した。
「マール殿は……何かを『掴んだ』ようです。少し、見守ってみましょう」
「エイザン……」
先に島に迷い込み、あの少女と出会い、巨大な海龍とも戦ってきた者として、そして長年の付き合いから何か考えあっての事だろうとヴァサラは少女の動向を見守ることにした。

《出来損ないが……! 今さら何の用だ》
海龍あなたに用はないわ。……ヴェル」
戦いで傷だらけになり、地面に横たわりながら荒い呼吸を繰り返す海龍の傍にしゃがみこみ話しかける。
「ごめんね。海龍の姿になっても、ずっと私の事を助けようとしてくれたのに、私は死ぬことしか考えてなかった……。でも、この人達が教えてくれたの」
マールは振り返って、ヴァサラ軍の隊長達に目をやる。出会って間もない自分と海龍に取り込まれたヴェルの為に危険を冒してくれたこと、そして後から駆けつけた隊長達もこの地に降り立ち、仲間を助ける為に戦った。
傷だらけになった海龍の身体に触れる。そう、ヴェルもまた海龍に取り込まれてなお体内で戦っていたのだ。

「ずっと独りだって思ってた。でも、ヴェルを犠牲にして、島を滅ぼした私には、当然の罰だと思ってた。ヴァサラ軍の皆が迷い込んだ時、『これでラクになれる』って正直思った。今度こそ、魂を捧げて終わりに出来るって。けど、そうじゃなかった。力を借りて、ヴェルを救い出して、外の世界を見てまわる……その約束を叶える為に、皆がいるんだって……! だから」
《ま、マール……》
海龍から今度はヴェルと思しき声が聞こえる。マールは力強く立ち上がって、ヴァサラ軍に呼びかける。
「皆、これが最後のお願い……! ヴェルを引き離すのを手伝って……!」

「当然だ! ここまで来て退く者など居ない!」
ビャクエンは握り拳を作りながら、立ち上がり、他の仲間の顔を見る。拒む者など誰もいなかった。
「中に人が取り込まれてるってことか? どうすりゃいいんだよ」
「ふむ……皆の者、儂と共鳴せよ。そして、この少女に力を分け与えるのじゃ! 中に取り込まれているという奴も引っ張り出せよう」
「そんな事が出来るの、おじいちゃん!?」
ルトは驚きに目を見張ったが、隣で話を聞いていたジンは意気揚々と肩を解している。
「じいちゃんが言うことは無茶でも無理なことはなかったから……いけるだろ!」
「そうかもしれないけど……ジン、お前、極み使えないじゃん」
「あっ」
何故か自分も共鳴する気満々だったようだが、そもそも極みを持たないのであれば共鳴も出来ない。その事実に気づき、ジンは膝から崩れ落ちる。
「何を凹んでおるのじゃ小僧! お主は少女に何かあった時のために備えるのじゃ」
「お、おう……」

そうしているうちにヴァサラを囲んだ陣形を取り、各自臨戦態勢を取っている。
「いつでも良いですぞ、殿!」
「……良かろう。皆の者、力を込めよ! 無限共鳴ッッ!!」
腹の底からの号令を聞き、隊長達は各々の波動を剣に込める。それを共鳴という形を取り、一つの力に束ねて、それをマールへと受け渡す。
「儂らの力……受け取るのじゃっ!!」
「……! 凄い、温かい……!」
各自の波動が力となり、マールを暖かく包み込む。今なら、ヴェルを救い出せるかもしれない。
「今、助ける……!」
マールは躊躇うことなく、海龍の身体に手を突っ込む。グチャと肉を切り裂くような音が聞こえたが、今はどうでもいい事だった。

《フン……! ならば力づくで海子の魂を奪うまでのこと……!!》
それまで鳴りを潜めていたと思われていた、海龍がマールの魂を無理矢理奪おうと最後の力を振り絞る。
「あぁっ!? 力が……っ、でも、貴方に私の命は捧げない……! ヴェルと一緒に生きるの……ッ!」
力が吸い取られていくような感覚があるが、後ろにはヴァサラ軍がおり、何とか立つことは出来ている。
「おい、大丈夫か!? 早く引っ張り出すぞ……!」
ジンは無我夢中でマールの身体を支えて、引っ張りだそうとする。
《マール……! ぐっ、やめろ……マールに手出しをするなっ!》
中でヴェルと思わしき声が聞こえ、抵抗の意思を見せ、海龍の身体は激しくうねり出す。
「きゃっ……!? 離さない……もう、離さない……っ!」
伸ばした手に暖かな、そしてそれを握り返してきたような感覚を感じ取る。
《マール……!》
「頑張れ……! こんなデカブツに負けるな……!」
もう一度大地を力強く踏みしめる。海龍の意識が抑えられているのか、十分に力を込められている実感があった。もう、今しかない。
「うわあああああああっ!!」
勢いに任せて、掴んだものを引っ張り出す。中から、鳶色の髪の青年が出てくる。あの日の姿のままだった。
「ヴェル……!」
《グァァァアァァァ!!! おのれ、このデキソコナイが……ァァァァァ!!》
依り代を失い、海龍の身体はボロボロと瓦解を始める。

「どうして……生贄を捧げなければならなかったの」
小さな魂の形となった海龍にマールが問いかける。
《神になりたかったのだ。どの海子も極上の魂だった。それと引き換えに島に繁栄をもたらしてやったであろう。何が不満だというのだ》
「そんなことをせずとも、人々は繁栄を、幸せを築いてゆける! ……島に他の価値観や考え方が入らないことをいい事に、貴様は洗脳を施しただけに過ぎぬ」
「……ヴェルはそれに気づいていたのね」
エイザンはよく通る頼もしい声で訴える。マールは、地面に横たわるヴェルの頭をそっと撫でた。

《何も考えなくても、生贄さえ差し出しておけば幸せが手に入るというのにか……。人々は幸せを手に入れる為なら、他と争い、他を傷つけ、踏みにじることも厭わぬ生き物だろう? 与えられる幸せに浸れば、争いすらも起きない、真の平和が手に入る。それこそが真の幸せだろう?》
「それも幸せの一部なのかもしれない……。だが! もがいて、足掻いて、自分の力で手に入れた幸せほどかけがえのないものはない!」
「確かに間違えることもあるかもしれない。人を傷つけてしまうこともある。だけど、『失敗は成功の母』よ。失敗から学べることだってたくさんある。……もう一度、やり直すことだってできるわ」

《フン……何と回りくどい……。まあ、良い。我ももう力尽きる。その薄っぺらい幸せとやらを実現できるのか、地獄から見届けてやる……》
そう言って、海龍の魂は宙へと消えていった。長かった雨が、徐々に止み始めている。

「ヴェル……! 終わったよ、もうこれで自由だよ……」
声を掛けるが、ヴェルは目を覚まさない。顔色も血の気がなく、冷たい。
「ねえ、起きてよ……。それとも、もう遅かったのかな……」
「諦めてはならぬぞ、マールとやら!」
項垂れるマールにヴァサラは力強い言葉を投げかける。
「そうよ、まだ希望はあるわ。……微弱だけど、脈もある。私の本業は『生かす』ことだから」
ハズキは、白衣の内ポケットから様々な薬品瓶や注射器を取り出し、準備を進める。

「……それに先程共鳴して分かったが、お主から『過剰な生命力』を感じる。何十年も何百年もずっと生きられるような……」
「それって、もしかして海子の力のことでは?」
「何だ、その"ミコ"というのは」
ビャクエンは壁画での伝承や、マールから聞いた過去の話を思い出し、語ってみせた。

「なるほどのぉ、使命を果たすまでは死ねない身体か。厄介なものじゃのう……そうじゃ! マールの過剰な生命力をヴェルとやらに分ければ……」
「ヴェルは、助かる!? 私の命なら、いくらでも分けて」
思わぬ希望が見い出せた所で、マールはヴェルの手を包み込むように握った。

「おじいちゃま……また無茶を言うんだから」
「さっきと同じ要領じゃ。マールの生命力を、この少年に分ける……! 無限共鳴!!」
ヴァサラの身体が光り輝き、マールとヴェルを包み込む。

「じいちゃんすげぇな……」
「ヴァサラ軍の『覇王』だからね」
ジンとルトは、覇王の輝く背中を見ていた。近くにいるのにまるで遠くにいるような錯覚を覚える。彼らが目標にしている人物は、そういった人物なのだ。

 周りの隊長達も固唾を飲んで見守り、マールもヴェルから手を離すことなく様子を伺っている、そんな最中。
「うっ……」
「ヴェル!? 気がついたの!?」
それまで閉じられていた瞼が開き、翠色の瞳に光が差した。
「マール……? 海龍は……?」
「居なくなったよ。私たち、もう自由なんだよ。どこにでも行けるんだよ」
いつの間にか長い間降り続いていた雨は止み、暗い雲も流れて、青空が顔を出した。燦々と降り注ぐ陽の光に、マールは目を細める。

「こんなに晴れた空、いつぶりだろう……」
「わぁ、見て! 大きな虹だ!」
ルトは空一面に広がる大きな虹を指さした。

「綺麗だな……」
「うん。ねぇ、ヴェル……私、生きてて良いのかな」
「当たり前だろ。生きて、色んな景色を見よう。今日みたいな、さ」
二人は青空を見上げる。澄んだ空気で虹ははっきりとした彩りを持って輝いていた。


第7章:約束

 200年暴れ狂った海龍と降り続いた長雨で、島には何も残らなかった。

「この島は随分と荒れ果ててしまっているが……あの二人はとても良い顔をしておるな」
エイザンは、海辺で話す二人の様子を伺っていた。希望に満ちた顔で何かを話し合っていた。
「最初、彼女に出会った時は……こう、悲愴感と言いますか、追い詰められた顔をしていました。ですが、今はとても晴れ晴れとした顔をしていますね、この青空のように……!」
ビャクエンは過去を思い起こしながらも、今の様子に頷きながらエイザンの意見に同意している。

「それもこれも、お主らが説得したおかげじゃな。未知なる島に迷い込む中で、一つの島の平和、人々の救いとなる……。これぞ、ヴァサラ軍じゃっ」
「でももう、こんな海洋調査はしばらくはごめんかなぁ〜。島に迷い込むだけじゃなくて、あんなでっかい龍と戦うんだもん……。命がいくつあっても足りないよ」
「全くだ」
やや愚痴っぽく呟くイブキとそれに溜息をつきつつも同意するセトだったが、表情には充実感が垣間見える。
「え〜、ボクちゃんはまだ全然足りね〜けどなぁ。もっと戦いたかったのにな〜」
「ったく、オレたちの気も知らないで呑気なものだな、お前は……」
戦闘狂であるパンテラは退屈そうな顔でフラフラと海岸を歩き、隣でやれやれとラショウが肩を竦めた。

「皆さん……! この度は、助けてくださってありがとうございました」
ヴェルがマールを連れて、ヴァサラ軍の面々と対面し深々とお辞儀をする。
「本当にありがとう。……私たち、約束通りこの島を出て、旅に出ることになったの。それで、色々見て、新しく島を立て直そうって、約束したのよ」
マールはヴェルをチラッと見る。蒼い瞳の悲しみは消え、希望が宿っていた。
「それは良いな! 是非、我が国にも来て欲しい。総督の治める国にも色々見どころがあるんだ。例えば……」
「あーあー、長くなりそうだから、実際来た方が早ぇと思うぞ! いっぱい見るところあるのは事実だし」
話が長くなりそうな気配を察知し、ビャクエンを遮ってジンが前に出る。
「む、そうだな。百聞は一見にしかず……! 君たちが来てくれるのを楽しみに待っているぞ」
「うん、絶対に行く! ね、ヴェル」
「ああ、この人達に助けられたからな。お礼も充分にできてないのに帰られるのが残念だ……」
ヴェルは、挨拶程度にしか言葉を交わせていない命の恩人たちに申し訳なさそうにするが、ハズキがやんわりと首を横に振った。
「お礼なんていいのよ。会えた時に、私たちに元気な顔を見せてくれたらそれでいいわ」

「出航の準備が整ったそうです!」
ユダが船の傍から大きな声で呼びかける。
「絶海の孤島……ここは修行にうってつけアル。セト、またここに来て修行するアルヨ!」
「ええっ、マジかよ!?」
厳しい戦いの後も、次なる修行に向けての計画を立てているファンファンの横で弟子であるセトはギョッと目を丸くしていた。
「ほどほどに、ボチボチやっていけばいいんだよ〜」
イブキはヒラヒラと手を振りながら、乗船していく。
「『約束』、守れたじゃねぇか」
「うん、ラショウさんの言葉とても響いたよ。ラショウさんも『約束』守れるように、頑張って」
「ふん、余計なお世話だ」
つっけんどんな言葉を残し、ラショウは船に乗っていく。口元を黒いマスクで隠したラショウの表情は穏やかなものに見えて、マールもクスッと笑う。
「ヴェル殿、マール殿をよろしく頼むぞ」
「エイザンさん、だっけ。ああ、任せてくれ。今までマールを守ってくれてありがとう」
大きくて、温かみのある手のひらに包まれて握手を交わす。
「私だけではない。ここにいる皆、全員の力じゃ」
「とても頼もしかったんだ、またそれもあとで話すね」

「全員、乗り込んだな! それじゃあ、出航じゃ!」
ヴァサラの号令で船は動き出した。マールとヴェルは、その船の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。


オマケ

「ワシも海に出てみたかったのぉ……」
ヒジリは隊舎の縁側でお茶をすすりながら、残念そうに呟いた。
「ダメですよ……あまり隊長が出払っては、ここの戦力の低下に繋がりますし。ここを守るのも役目ですから。それに船の長旅ともなると腰に負担が」
「ホッホッホッ、何を言う。まだワシは現役じゃぞ!」
遠慮がちなシンラの発言を遮るように、ヒジリは軽く、スっと立ち上がってみせた。

「伝令です! 救助成功の報せが入って参りました! あと30分ほどで港に到着の予定です!」
「そうか、良かった……! では出迎えの準備を進めなければ。各隊に出迎えの準備をするように通達を」
ホッと胸をなで下ろしながらも、シンラはキビキビと次なる指示を下した。
「さすがは若様じゃ。どれ、ワシも出迎えに……」
パキッ。不穏な音がやけに大きく響いた。
「こ、腰が……は、はひ……」
「ひ、ヒジリ隊長!? 医療班! 至急、担架を!!」

 ドタバタとしながらも、港には軍の迎えがやってきて無事の帰還を喜んだ。
そして、海の向こうでも様々な冒険があり、物語が一つ生まれたのだと様々な隊長の口から報告されたのであった。

【劇場版ヴァサラ戦記】海龍の島と謎の少女 完

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