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花の名の婦人とおにぎり

 「おはようございます、ウキグモさん〜。今日もいい天気ですね」
「何がおはようだ、こんなに高く太陽が上ってるってのに」
カトレアは自警団団長のウキグモに挨拶をするが、早速呆れられてしまう。時計を見るともうすぐお昼になろうかという時間である。
 カトレアは非常にマイペースだ。出勤時間や集合時間を過ぎたり、ギリギリだったりは日常茶飯事だ。時間感覚が曖昧なところがあるようだが、本人はあまり気に留めていない。

 「あらぁ、もうこんな時間……書類を片付けなくちゃ」
「いや、そろそろ昼だし皆呼んでメシにするよ。ご飯炊いてるから、おにぎり用意しといてくれ」
ウキグモは執務室を出て、団員に集合を掛けに出ていく。

 カトレアは記憶喪失である。どこから来たのか、自分の名前も何もかも分からない。道端で倒れている所をウキグモに保護された。
 今の名前はウキグモがつけてくれたものだ。花の名前から取ったらしいが、自分も気に入っている。

 さて、今は団員のおにぎりを作ることだ。このおにぎりも最初は上手く作れなかった――。

 上手く米がまとまらず、バラバラになったおにぎり(だったもの)を見て、ウキグモは苦笑いを浮かべる。

「おにぎり、っつっても力任せに握るわけじゃねぇんだ。……ま、俺も偉そうに教えられるクチ じゃないんだが……」

 指先を軽く濡らして、塩を少し付ける。熱々のお米をしゃもじで左手に取り、右手を直角に曲げて左手で軽めに押しながら形を整えていく。

 「こうするといい感じの塩気で、ふわっとしたおにぎりが出来上がるんだ。……全部、亡くなった友だちの嫁さんの受け売りだけど」

 出来たおにぎりは、少し丸くて大きい。だが、これくらいの方が訓練を終えた後の団員にはちょうどいいのだとウキグモは笑う。

 次は教えられた通りに握ってみる。当然だが炊きたての米は熱くて、そもそも手の中で転がすのは容易なことではない。
だけど、助けてくれた恩に少しでも報いる為にも、自分の出来ることを一つでも増やさなければ。

 そんな思いで握ったおにぎりは、少しいびつだが、先程よりは何とか形になっていた。

「ま、ぼちぼちやってくれりゃいいよ。アイツら、腹に入りゃ何でも一緒とか思ってそうだけどさ。料理って見た目も大事だからな」
「わかりました、頑張りますね……!」――

 ふと、おにぎりの握り方を教えてもらったことを思い出した。自分はどこから来て、何者であるか、『過去の記憶』は喪われてしまった。今後、思い出すことがあるのかどうかも分からない。だが、『現在いまの記憶』は確実にカトレアの心に刻まれている。
 団員たちのおにぎりを拵え、束の間の休息を取ってもらう。今はそれで充分だとカトレアは思うのだ。

 「皆さんお疲れ様です〜、おにぎり出来ましたよ〜」
「お、待ってたぜ副団長のおにぎり!!」
ほんわかとした雰囲気をまといながら登場したカトレアの周りには、一斉に筋骨隆々の団員たちが集まってくる。

 「こら、まず先に手を洗え! ったく、毎日毎日同じこと言わせるな」
おにぎりに伸ばす団員の手をペチッと叩いて注意をする。
「こっちは腹減ってるんスよ〜! んで、カトレアさんのおにぎり美味いから早く食べたくて」
「大丈夫ですよ〜、人数分ちゃんとありますから、皆さん手を洗ってきてくださいねぇ〜」
「わかりました、カトレアさん!」

 おにぎりに群がる男達は、カトレアの一言で一斉に手洗い場へ向かう。
「何だこの態度の違いは……まあ、これも毎日のことか」
「皆さん、いい子ですねぇ〜」
「保育園かよ」

 手を洗い終えた男達は、皿に盛られたおにぎりを取って、束の間の昼休みを謳歌し始めた。
訓練を受けている時は、額の汗を拭いながらも剣を振ったり、ウエイトトレーニングに勤しみ、真剣そのものだ。昼休みの今は、おにぎりをたくさん頬張って、談笑し、和やかな空気が流れている。

 「さあ、訓練の続きだ!」
「街の警備、行ってきます!」

 昼休みが終わり、皆一斉に持ち場へと散っていく。おにぎりと和やかな休息時間のおかげか、その足取りは軽いものだ。

「ちょっと上手くなったんじゃねぇか、おにぎり」
「そうですか〜? ありがとうございます〜」
あの時教えてもらった通りの丸くて少し大きいおにぎり。それが自警団の原動力の一つだと言われた気がして、カトレアは朗らかに笑った。

 「私も書類、片付けなくちゃ」
「頼むぞー、午前中の分も取り返してくれると助かる」

 ほんわかとした雰囲気を纏い、マイペースな姿勢を崩さないカトレアは執務室の方へとゆっくりと歩き始めたのであった。

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