烈風の剣〜鎌鼬前日譚〜
<此山、夜間通るべからず。掟を守らざる者、立ち所に鎌鼬に喰われるであろう>
侍の国のとある山の入り口に、いつからかそんな御触書が出されていた。夜にこの山を通る者は皆、鎌鼬に喰われて一人として帰ってきた者はいないという。
「人を妖怪呼ばわりしやがって」
御触書を鼻で笑いながら、葉巻を吹かすこの男こそが『鎌鼬』だ。本人にとって名前などはどうでもよかった。
「ま、そんなことより修行だな。さァて、今日はあのクマ公をとっ捕まえてやるかな、っとォ!」
葉巻を地面に叩きつけ、乱暴に足で火消しをしてから山の麓に広がる森へと駆け出した。
彼――鎌鼬にとっては、この山は庭のようなものだ。肉親は物心ついた時からおらず、剣を相棒に生き抜いてきた。腰に二本の剣を佩き、時には野山を駆け回り、時には剣の素振りを百本、千本と一心不乱にこなす毎日だ。そんな毎日を過ごす内、自分の剣技を極めたいと思うようになり、今はこの山の洞窟を住まいとし、昼間は修行に明け暮れている。
「待てや、クマ公!! 今日こそはお前を斬り倒してやるからなァ!!」
普通の人間であれば容赦なく襲いかかってくる熊が、鎌鼬の殺気に圧されて逃げ惑っている。その殺気や騒々しい音に驚いてか、他の周りの動物たちも蜘蛛の子を散らすようにして逃げ去っていく。
今やこの山の主は、猪でも熊でもない。二本の剣を構えて、勢いよく追いかけてくる鎌鼬である。
「オラァァァァ!!!」
二本の剣から嵐のような剣圧が巻き起こる。周りの草木や木々を切り払いながら、逃げていた熊に襲いかかっていく――。
「へっへっへ、この熊肉がまた格別に美味ェんだよなァ」
熊は綺麗に捌かれ、今や焚き火でこんがりと料理されている最中であった。
住まいである洞窟にて、贅沢な腹ごしらえを済ませる。懐から葉巻を取り出して一服を挟み、近くの川の水を汲み、豪快に頭から被って汗を流す。とっぷりと日が暮れた頃に、また山へと身を躍らせていく。
彼にとって、夜はこれからだ。登山者を一人残らず切り伏せる。そして、昼間の修行の成果や剣の切れ味を確かめているのだ。これこそ、彼が鎌鼬と言われる所以であった。
「あ、あれが……鎌鼬!?」
「に、逃げ……ッ」
一歩を踏み出すより先に身体が地にゴトリと音を立てて落ちる。真っ直ぐな切り口からは鮮血が吹き出し、地面を真っ赤に染めていく。
「……斬り甲斐がねェなあ」
鮮やかな剣さばきとは裏腹に、鎌鼬の顔は冴えない。自分の剣術の斬れ味は、天下一品だという自信がある。しかし、近頃、こうもあっさりと切り伏せてしまうことに飽きてきたのだ。
鎌鼬はこの国から出たこともなければ、そもそも根城としている山からも離れたことがなかった。
(もっと強い奴と戦ってみてェな……)
眼下に広がる森を見渡した。森は広く、動物も沢山住んでいるが、今やどの動物も鎌鼬の気配を感じるだけで逃げていく。食料として斬り倒す以外は追いかけ回したりもしない。山に入る人達は、どいつもこいつも斬り倒し甲斐がない。
(はぁ……今日はもう、寝るか……)
変わり映えのない日常に嫌気がさしたようなため息をつきながら、二本の剣を腰に納めて、寝床である洞窟へと戻って行った。
そんなある日の事だった。
その日は黒い雲が月を隠す夜だった。暗闇でも目が利く鎌鼬は、大きな荷車が眼下の山道を通るのを発見した。
運んでいる物は食料だろうか……。いや、わざわざ月のない暗闇の中を、鎌鼬が出ると言われるいわく付きの山を通る荷車の中身なんて、恐らくロクなものでは無い。
「ま、倒しても問題はねぇ、って事だな!」
倒してもさして問題のない奴と判断するや否や、自分が今居た崖から眼下の山道へと飛び降りていく。通常の人間であれば、足が震えるような高さだが平気で飛び立って行った。
――単純に遠回りするのが面倒なだけで、飛び降りた方が早いと判断しただけに過ぎなかったが。
195cmの大男が上空から降り立った。その衝撃で地鳴りのような音が響き、木陰で休んでいた鳥たちが、一斉に羽ばたいていった。
「な、なんだ!? 空から人が!?」
「コイツ、まさか鎌鼬とかいう……? 実在してんのかよ」
荷車を護衛している山賊のような出で立ちの男たちは狼狽えながらも、一斉に得物を構える。
(敵は……六人程か)
荷車をぐるりと囲んだ陣形だということは明らかだ。だが、まずは眼前の敵だ。
「ちょっとは楽しませてくれよ……!」
二本の剣を構えて、口角を上げて白い歯を見せる。剣を袈裟懸けに振るうと、風圧が刃となり、傭兵に襲いかかる。
「うわぁぁぁ!!」
風圧の刃で一人の山賊があっという間に切り刻まれて、地に伏せる。鮮血が地面を濡らしていく。
「まずは一人……」
ピュッと剣についた血を払った。
「ひぃぃっ!!」
「おい、狼狽えるな! 囲め!」
鎌鼬よりも背は低いが、明らかに他の誰よりも鍛えられていそうなガタイの良い指示役が、周囲の兵士に命令を下す。周りの兵は鎌鼬を取り囲んだ。
(あいつが、頭か)
脳内で見立てを立てていると、一人の山賊が剣を両手で握りしめて右側と左側から振りかぶってくる。
「バケモノめ……!」
右手の剣で振りかぶられた剣を押しとどめ、左手の剣で切り払われようとした剣を弾き返す。
「何っ!」
「そんなモンかよ、はぁぁっ!」
鎌鼬はグルッと身体を一回転させて、剣を振り回す。つむじ風が巻き起こり、それもまた風圧を伴い、二人同時に制圧する。
「くそぉっ!」
今度は真っ直ぐに走り出し、斬りかかろうとするが鎌鼬は目にも止まらぬ速さですれ違う。
「な……!?」
気がついた時には、真っ直ぐな剣筋が幾重にも重なって斬りつけられて、二人同時に倒れていた。
「こ、これが鎌鼬……!?」
あれよあれよと言う間に制圧される様に、リーダーは口をパクパクとさせていた。
「フン、大したことねえな。あとはお前だけ……」
「ちくしょう、こんなとこで終われるかよ」
リーダー格の男は、刀身の太い剣で斬りかかる。鎌鼬は戦場で亡くなった侍達から拾っていた二振りの剣でそれを受け止める。手入れを施しているとはいえ、前の持ち主が使っていたことも相まって年季が入っていた。それを何とか弾き返し、男の体勢を崩し、すぐさまに駆け出す。
「オラオラオラァ!!」
(こいつ、どうなってんだ!?)
二本の剣を連続で斬りつける。男は自慢の剣で何とか受け止めているが、斬りかかられる度に風が巻き起こり、それが刃となっている。
――なるほど、だから鎌鼬なのか。
「俺の攻撃を受け止めるたァ、久々に骨がある奴に出逢えたな……。嬉しいぜ!」
男は斬りつけられた風の刃で、体のそこかしこから血を流していたがこの程度では倒れない。
「なら、これはどうだ!?」
鎌鼬は剣を交差させて力を込める。鎌鼬の周りから激しい嵐が吹き荒れ始め、周りの木々がザワザワと揺れている。地面でさえも唸りを上げているように震え始めた。
(これはまともに喰らったら……)
「喰らえぇぇぇっ!!」
交差させた腕を一気に横へ広げ、その力を解放する。切り裂く力を持った嵐が、男へと襲いかかる。
荷車が轟音を立てて破壊され、その先にあった木々までもが根元から薙ぎ倒されていた。
男は回避に専念したが、暴力的な嵐の刃は男を捉えていた。もはや剣を握る力はおろか、立つ力さえも残されておらず、その場に倒れた。
「……なんて力だ」
「チッ、今のを避けやがったか」
あれだけの力を出した後だというのに、鎌鼬は平然とした格好だ。しかも、避けられた事に対して不満をブツブツ呟いている。
「あぁ……? 何だこれ、剣が根元から無くなってやがる!?」
剣を収めようとした鎌鼬が素っ頓狂な声を上げた。剣がポッキリと折れ、柄だけが手元に残っている状態だった。先程の攻撃に剣自体が耐えられなかったのだろう。
「……古そうな剣だったからな、仕方ねえんじゃねぇか」
地面で大の字になった男が話しかける。使い物にならなくなった剣の柄をその辺りに捨てている鎌鼬が不敵な笑みをこぼす。
「アレを避けるたァ、大したモンだな。それでまだ息もしてやがる。久しぶりに楽しめたぜ」
「まさか、バケモノから褒められるとはな。……もしかしたら、あの刀もお前なら持てるかもな」
男は大きな木の箱を指さした。荷車があった場所から、風に煽られた影響か少し離れた場所に転がっていた。
「刀ァ?」
「めちゃくちゃデケェ刀でな。とある商人がダンザイは金になるからって、俺ら数人がかりで引きずってかっぱらってきたんだが……」
「デケェけど、そんなに重いか?」
「は?」
男は開いた口が塞がらなかった。鎌鼬は身の丈程はある刀を、石ころでも拾うかのように軽々と持ち上げてみせたからだ。
「俺ら数人でやっと運び出せた刀を片手で……!? どうなってやがる」
「なんだこの刀? 今までこんな刀は見たことも触ったこともねぇ」
空を覆う黒い雲がゆっくりと風に流れていくと隠れていた月が現れ、ダンザイは淡い光に照らされる。
《へぇ、僕が持てるなんてすごいなぁ~。すごい波動を感じるよ》
「あん? なんだ、今の声?」
突然、脳内に直接年端もいかない少年の声が聞こえた気がした。
「声ー? 俺たちのほかに誰かいるのか?」
まさかこんな真夜中の山奥に、子供がいるはずがない。おまけに男にはこの声は聞こえていないようだ。
「や、何でもねぇ。……そうだ、この剣ももらっていいか? 剣は二本あったほうが強ぇからな」
男の刀身の太い剣を拾って、自分の腰に佩く。
「ああ、勝手にしてくれ。仕事も失敗しちまったし、バックレて他の事するかねぇ」
「そっちは勝手にしろ。俺には関係ねぇ」
地面に大の字になった男の方には振り返ることなく、鎌鼬はダンザイを肩に担いでその場を去った。
「それにしてもでけぇな」
住処である洞窟に戻り、改めて手に入れたダンザイを検分する。大きな刀だ。それから、なぜだか凄い剣だと思うのだ。これは鎌鼬の直感ではあるが。
「試しにやってみるか」
洞窟から出て、すぐの川辺でダンザイを一振りする。すると、全てを巻き上げる嵐が起こり、水面が激しく白い飛沫をあげて津波のように舞い上がり、たちどころに辺りの木々が斬り倒されていく。
「軽くやっただけで……!?」
これは鎌鼬がこれまで拾ってきた剣とは比べ物にならないものであることは明らかだ。仕組みはわからないが、とにかく凄い剣だ。
《あははっ、すごいすごい! やっぱり僕の思った通り! かまいたち、だっけ? 君といろんなところに出かけてみたいなぁ》
(こいつ拾ってから、ガキの声が聞こえるなぁ……。頭、おかしくなっちまったのか?)
けれど、少年の『どこかに出かける』という言葉には、心を惹かれるような感覚だった。
変わり映えしない日常に飽き飽きしていたところだ。もしかしたら、こいつとなら。ダンザイとなら。何か変えられるかもしれない。
(まだまだ知らねぇものがあるってことだな)
夜も遅く、戦いで消耗していた身体を休めるためにも鎌鼬はごろんと横になった。
翌朝。だんだんと登りゆく朝日は、鎌鼬の目の前を明るく照らしていた。
「よっし、ま、適当に行ってみるか」
行く当てもないが、ダンザイとならまだ見ぬ面白くて強い奴に出会えるかもしれない。そんな期待を胸に、長年住んでいた山を後にした。
しばらくして、ある時を境に山に鎌鼬が出なくなったと噂になった。
しかし、山の鎌鼬伝説は数年、数十年先までも語り継がれ、今でも夜中に山へ立ち入る人は少ないのだという。
劇場版へと続く――。