『侍の恥辱十七カ条』
『十一人の賊軍』で悪役、と言うか難癖をつける敵方として描かれていた越後長岡藩。
戊辰戦争の初段階では中立、その後新政府軍に攻め込まれた事で奥羽越列藩同盟に加わったようです。
映画で舞台となった新発田藩は、極力、領地領民に被害が及ばないよう戦乱回避に努めていましたが、その思いは長岡藩も同様の事であったと思います。
長岡藩は、質朴剛健な三河武士の気風を受け継ぐ藩風であったようです。
その雰囲気を端的に表しているのが、「侍の恥辱十七カ条」という心構えであると言われています。
ここに「侍の恥辱十七カ条」を紹介します。
或人言 侍の恥辱は戦場におくれたる計にはあらずその外あまた品あり
第一 虚言又人の中を悪しく言ひなす事
第二 頭をはられてもはりても恥辱の事
第三 座敷にても路地にても慮外の事
第四 親兄弟の敵をねらはざる事
第五 堪忍すべき儀を堪忍せず
堪忍すまじき儀を堪忍する事
第六 叱言すべき儀を叱言せぬ事
第七 被官の者成敗すべきを成敗せざる事
免すべきを免さぬ事
第八 欲徳の儀に付て 人を出し抜く事
第九 人の手柄をそねむ事
第十 好色之事
第十一 贔負の人多き所にて 強みを出す事
第十二 手に足らぬ相手にがさつなる事
第十三 武功の位を知らずして
少しの儀を自慢する事
第十四 欲を先だて 縁類を求むる事
第十五 主君の仰せなりとて
御請申まじきを辞退なく
或は御暇を申すべき儀を
とかくして不申事
第十六 仕合よき人をは悪きも誉め
仕合悪しき人をばよき人を
もそしりあなずる事
第十七 我身少し仕合よき時はほこり
めてになりたる時はめいる事
右十七カ条、大方也、此外にもあるべし、
日頃穿きんし置くべし