見出し画像

坂口恭平さんの"いのっちの電話"にかけた件

〈2025/02/10 投稿の改正版〉

2023年10月末、坂口恭平さんのいのっちの電話にかけた。当時の僕は畑をやりたいがツテがなく、それどころか自営の借金までしていた。返済と生活のためのバイトは別で始めるとして、同時期に畑を手伝わせてもらえないかと思った僕は坂口さんを頼った。
未経験者が畑を借りるには一般的に就農を経るか、農業大学に通わなければならない。僕はやらなければいけないことの多さに途方に暮れていた。畑を借りるにも信用がいる。にしても耕作放棄地の異常な多さと、農地を持っていても私的利用に留めてある状態が多いことを知って、農地を借りるまでのハードルの高さ。そして活用されていない農地の多さにもどかしさを感じていた。
食料時給率が下がっている今、本来これは国策として対応しなければならない事態のはずだ。でもそうはなっていない。自分には何ができるだろう。人のツテもない。陰謀を唱えている暇もない。
そんなとき坂口恭平さんが書いた『お金の学校』を読んで"畑部"なる売り上げ0円の法人をやっていることを知った。既存の通貨に頼らない土地の循環に根ざした経済。そんな坂口さんの発想に感動した僕は、その畑を手伝わせてもらえないかと、無闇に無策にそう思った。
電話をかけて早々、"畑部"は存在しないと聞いた。坂口さんは「あれは全部フィクションだよ」と言った。僕は言葉を詰まらせながら「そうなんですね」と返した。
「君は騙されやすいと思う。気をつけた方がいいよ」
「そうですね……」
別に頭がいいわけでもない僕は、それまでいろんな陰謀論に振り回された。糖質療法を参考にしていた、純銀鍼師のミナトさんの一件もあった。間違えるのは一度や二度ではない。気づいたそのときに軌道修正すればいい。そう開き直っていたが、そのときの動揺は隠しきれていなかった。「え、てことは、あの話は全部ない感じですか?」
「そうだよ。たまに畑部を手伝いたいって人が来るけど、そういう人たちには伝えてる。畑は自分でちょっとやってるだけだよ」 「俺なんも悪くないよね?」
「え? はい、あっ、そうなんですね……あの、国を作るとかそういう話とかも読んで、すごく共感して…」
「うん、そうだけどそんなの本当にやったら、俺中国のマフィアとかに殺されちゅうよ」
「あ、そうなんですか…」
自分の間の抜けた返事。僕は坂口さんに対して革命的な発想力と行動力を感じていたが、実際に革命をしようと行動に移せば本当に殺されかねない可能性。不審死する著名人たち。
「俺なんも悪くないよね?」
「あっはい、悪くないです」
その発想力をノンフィクション風のフィクションとして描いてきたことで、その嘘こそが坂口さんを苦しめ鬱にしてきた可能性。今もそうして、僕が彼を追い詰めているかもしれなかったこと。僕にそのつもりがなくても、これまで彼を責めた人がいないわけもなかったこと。
「だって俺の本読んで何かしら感じてくれたわけでしょ。俺なんも悪くないよね? ねえ」
まるで請うような言い方に、僕は本当に今話しているのが坂口さん本人なのかと疑ったぐらいだった。
「はい」
「だったらそれでいいじゃん。よかったよ。全員助けてたら俺潰れちゃうよ」
そして坂口さんの話に心動かされたことで、またその考えをアテにして、依存して、結局坂口さんを頼ろうとした、ひどく矮小で無力な自分という存在。なんで嘘を書いておいてこの人は開き直っているんだとか、その嘘があなた自身を苦しめてるんじゃないんですかとか、そういう怒りや意見がないわけではなかった。ただそれ以上に自分の存在が愚かでつまらないだけだった。そんな怒りや意見を表明できるはずもない。
「俺が書いたことに感動してくれて、それでなんかやろうと思ってくれたんでしょ? ならそれでいいじゃんね」
「はい、そうですよね……感動しました」
「ならよかったよ〜! 俺はそれで嬉しいよ。そうじゃないとさぁ」
「はい」
「うん。俺はただの作家だよ」
ただの作家。ギターが弾けて、絵が描けて、家具が作れて、服を編めて、料理が作れて、ガラスを吹けて……未来を予感させてくれる作家……。
後になって詐欺師と書かれている文章を見かけた。僕は詐欺師と言われる人と縁が深いようだ。僕自身は詐欺師とは思わないけど、そう言われる理由は分かる。僕は口がうまくないから、嘘だろうとなんだろうと、人が魅せる想像力に惹かれるのかもしれない。あるいは僕も詐欺師なのかもしれない。身近な人にはそう言われた。もしくは道化。道と化すから。嘘という想像力をもってして。僕に道を示してくれた。
あとは……あとは何て言ってただろう。じゃあ頑張ってとかなんとか言ってもらえた気がする。言われなかった気もする。最後にありがとうございますと挨拶をして、僕はそのまま電話を切った。
今でも彼が書いていることのどれくらいが事実でどれくらいが嘘なのか、検討もつかない。"畑部"に関しては一応それらしい画像もアップされているけど、わからない。頼ってくる人が多いなか、適当にあしらわれただけなのかもしれない。別にそこに答えを出す必要はなかった。わからないことはわからないでいい。僕に残る選択肢はやるかならないかの二択だけだった。
2024年1月、やっとバイトを始めた。5年前の学生の頃に辞めた同じ牛丼屋で牛丼を盛った。黙々と業務をこなす日々。始めてみると、当たり前だが個人事業主としてお金を稼ぐよりずっと楽だった。行って仕事をすれば稼げる。時給ってすげぇなと、あんなにありがたく思ったことはない。もちろん、黙々と繰り返す業務は続けるほど徐々に神経をすり減らしたが、生活は潤った。借金もすぐに返せた。
SNSの更新の頻度は次第に落ちていった。タイムラインに流れてくる文章が日に日に頭に入ってこなくなった。全てがその人が語る所詮は物語に思えた。こういったことが一度や二度ではないと言っても、あまりにも同じことが繰り返され過ぎた。情報を精査することに疲れた。参考にしていた他の情報もいったん保留にして、とりあえず今日をしのいでいった。仕事が忙しくなるにつれ、彼女との時間を作る余裕がなくなった。あるときフラれた。3年ぐらい一緒にいたが、彼女が望むような在り方はできなかった。僕はずっと性に奔放であろうとしていた。
またあるときはVtuberにハマった。画面に映るキャラクターもその性格も、全てが最初からフィクションと設定された世界とわかった上で、時折り垣間見える中の人のリアリティに何かしら拠り所を感じていたのかもしれない。
積極的に鍼や蜜蝋の宣伝をすることはやめてよかったと思う。今でも依頼があればありがたく作らせていただくし、冬には蜜蝋の手売りもやっている。でも鍼も蜜蝋も根本治療にはなりえない。あくまで対処療法、その場限りの効能。久しぶりに鍼を当てたら気持ち良くて、体感と理論の一致を改めて確認する。だけど肌表面の帯電を解消したところで、大脳が帯電していてはいずれまた帯電を繰り返す。病気は自分の力で治すしかない。何かに頼ったり、参考にしたりはできるが、最終的に治すのは自分の身体だ。それを知りながら、ただ鍼や蜜蝋を売っていくことには抵抗があった。あるいは対処療法としての効果はあるのだから、そういう一時的な効能を前面に出して売っていくならまだいいかもしれない。しかしあの頃の僕は、自分が満たされていないのに誰かを助けようとしていた。自覚なく疲弊していた。まずはただなんの変哲もない、おもしろみもない平凡な自分からもう一度始めたくなった。そうしてまず自分が、今より自由にあれるようになろうと思った。
言葉は感覚から浮かび上がったもの。程度は違えど、感覚から剥がされた時点で虚構性、あるいは創造性を帯びる。特に今のような変化の激しい時代は、それぞれの主張が絡みあって、そこから本当の情報を引っ張り出すことは難しい。僕がこうして書いていることだって本当かはわからない。できる限り自分の心と照らし合わせながら本当だと思えることを書いているつもりだけど、その認識自体、間違っているかもしれない。
そんな、自分の心の有り様をも含めて、何が正しいのかわからない情報の戦国時代だからこそ、特に発信者などは外面と内面のバランスを崩しやすいかもしれない。影響力が大きくなればなるほど、あるいは事実無根の象徴になっていく。見る人によっては、そのとき正しいと思える情報に結束していくことで、お互いを認め合える拠り所と、なにかしらの希望を持つことができる。そこにはどんなグラデーションがあってもいい。
仕方がない。そんな自分の世話を焼こう。これからも何回だって間違いは起こる。でもその度に軌道修正していくしかない。情報の精査に疲れて「やっぱり体感だ! 自分の身体の声を聞こう!」と思うこともあるだろう。でも、人は周囲との社会性を含めてその人だと思う。身体の声を聞こう! と決意してもまたどこかで周りの声に右往左往してしまうときがくる。だから、それを含めて一巡。自分と他者との間の認識、そして自分と自分の身体との間の認識。一巡してよりよくなっていく。そうしてまたと、続いていく。

"今はなんというか現実は現実として、物語は物語として、どちらにも虚構はあり、どちらの嘘もある種の空間の時系列として、人がただ生きることのあらゆる表現に筋道や生きがいを見出すレトリックとして、素直に受け取れるようになってきた気がする。"

ただ今日を生きることしかできない。それが何に続いていくのかはわからない。ただ営んでいくこと。絵を描き、歌を歌い、土を踏み締め、作物を育て、ご飯を作り、誰かに焦がれ、たまに馬鹿になって、静かに過ごす。そんな風に、小さな風がある時代の隅に一瞬吹き、いずれ止んでいくように。ただ営んでいたい。そんな風に生きたい。

おわり

いいなと思ったら応援しよう!