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おにちゃんの自己紹介 Vol.24

2年半前に書き始めたnote。

9ヶ月ぶりに、今、筆を進めております。


ただただ、思うがままに、書き綴っていこうと思います。


現在、2024年11月2日。

気付けば夏も終わり、冬が来る。

とはいえ、1週間前にオーストラリアから帰ってきて、今は沖縄にいるので、冬の匂いは全く感じない。

相変わらずの、半袖半パン、ビーサンスタイルです。


あっという間に今年も残り、2ヶ月。

1年なんて本当に一瞬で、そう思うと、人生なんて、本当に一瞬なんだろうな、と思う今日この頃。

そんな「一瞬」の人生をどう過ごすか。

どう生きるのか。

そんなことを、毎日のように考えています。

別にどう生きようが、人はいつか死ぬ。

悩んでも、楽しんでも、楽してても、冒険しようとも、毎日布団の中にいても、どうせいつかは、死ぬ。

死んだらどうなるんやろ?

そんなことも考えてみたり。




オーストラリアにいた時に、オージーのおっちゃんと話した、宗教の話が思い出される。

「ユーダイ、お前は何教なんや?」

「んー、実はそれに答えるのって難しくてさ、日本って『私は〇〇教です!』って言える人ってすくないと思うねん。でもたぶん、俺の中にも、日本人の奥底には、『ブディズム(仏教)』が眠ってるんちゃうかな〜と思うで。」

「。。。ふ〜ん。(納得いかないような感じ)」

「ユーダイ、俺はさ、キリスト教やねんな。んでな、子どもに『私は死んだらどうなるの?』って聞かれた時にな、『死んだらお星様になって、また天国でパパともママとも会えるんやで!』って言ってんねん。そしたらさ、子どもは笑顔になって、ハッピーやん?俺はこないだな、俺の友達がそれに答えられなくて、子どもが悲しそうにしてたんや、って話を聞いてんな。それってひどいことやと思うねん。ユーダイはどう思う?」

的な会話。

みんなはどう思う?

俺はさ、「確かにそうやな」って思う部分もある。

そりゃ子どもがハッピーな方がいい。

でも僕がその時に反射的に思ったのは、

たしかに、そういう「答え」みたいなものがあった方が、人生生きやすいと思うんです。でも、僕は、「一緒に考える」ってモノを大事にしてるんじゃないかなって思っていて、もし僕が子どもに同じような質問をされた時にどう答えるかな、って思った時に、たぶん、『お〜!ええ質問やなあ!さあ、〇〇ちゃん、どうなると思う?(ニヤニヤ)』て聞くと思う。


僕は基本的に(少なくとも今は)、「この世界には何も答えなんてない」と思って生きてます。

だから、その人の中に眠っている「答えみたいなもの」を探って、導き出していくことが好きなんです。

そして、そこにこそ、人間としての壮大な「価値」があると思っています。

もしかしたら、「対話」や「禅問答」みたいなものかもしれません。

そして、これって、さっきの宗教の話に戻ると、「仏教」に通ずるものが、何かあるような気もします。

だからといって、別に「僕は仏教徒です」とはいう必要もないと思っています。

信じてるとか、信じてないとか、感謝してるとか、感謝してないとか、そういう話でもなくて、「ただそこに存在している」というような感覚なんです。(ちょっと伝わりにくいかもしれませんが)


なんか、このままいってしまうと、すげぇ深すぎるところへいきそうなので(笑)、結論も何もありませんが、一旦この辺で終わってみようかと思います。


また次回をお楽しみに!


PEACE!!

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