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出費が苦手だった僕が、ゲームと妻で変わった話
昔は「できるだけ働きたい」と思っていたことがある。
働くといっても、別に仕事が好きなわけじゃない。
ただ、暇な時間をどう使えばいいのか分からなかったというのがリアルだと思う。
生産的な作業で暇をつぶせば、お金を減らさずに済むからお得じゃないか、なんて考えていた。
お金を使わないで楽しめることは、いくらでもある。
読書や映画鑑賞は、ほとんど受け身の娯楽だし、特にお金はかからない。
新しいことを始めようとすると、どうしてもどこかでお金が出ていく。
そこが面倒で、ちょっとした挑戦は「やっぱりやめておこう」となる。
そうやって考えていると、服装にも自然と気を遣わなくなる。
元々はストリート系ファッションが好きで、Tシャツ一枚に5,000円とか1万円とか普通に払っていたけれど、社会人になる頃にはほとんどUNIQLO。
「服に1万円出すなら株を買ったほうがいいんじゃないか」なんて思うようになった。
ただ、受け身の娯楽ばかりでは飽きる。
そんなとき、ゲームはけっこう便利だ。
ドラクエシリーズはほぼ全部やっていて、今はドラクエ3のリメイクを心待ちにしている。
月に30〜40時間もゲームをすれば、頭だけ別世界に旅しているような気分になれるし、遊び終わったらメルカリで売ればコストはそこそこ回収できる。
毎日12時間くらいダラダラしている中で、ゲームは気軽な気晴らしだ。
こういう「お金がかかるならやめておこう」という感覚は、実家で染みついたのかもしれない。
うちは中流くらいで、貧乏というわけではなかったはずなのに、母親は「ウチにはお金がない」を口癖のように言っていた。
幼稚園くらいのとき、歯列矯正が100万円かかると言われても、「そんな大金を歯にかけなくていいや」と断ったのをぼんやり覚えている。
そんな幼い頃から、「高い出費には慎重になれ」という意識が刷り込まれていた気がする。
たとえば野球なら用具代がバカにならない。
別に野球をやりたかったわけじゃないけれど、もし何かスポーツを選ぶなら、お金がかかる種目はいやだなと思うくらいには、お金のかからないものを選びがちだった。
球技はそもそも苦手だし嫌いだから、たとえ例として挙げただけなんだけれど。
今でもその癖は抜けない。
自分のために一気に1万円使うなんてほとんどないし、カフェ代くらいなら気にならないけれど、何かを買ってもどうせ忘れちゃうなら、買わずに忘れたほうがマシな気がする。
欲しいものがあるなら、中古で安くなってから買えばいい。
こういう考えがもう当たり前になっている。
だけど、妻や豆柴には惜しみなくお金をかける。
8万円するドライヤーだって買うし、淡路島で一泊5万円の貸別荘に行くこともある。
僕ひとりなら3,000円のドライヤーで充分だし、そもそも旅行なんてしない。
なのに、妻や豆柴が嬉しそうな様子を見ると、それはちゃんと意味のある支出だと思える。
仕事関係はさらに別物だ。
自分のための買い物は渋るくせに、ChatGPTに月3万円払うのも全然平気だし、必要なら数十万円の広告費も出す。
それは投資だし、費用対効果がはっきり見える。
要するに、無駄遣いが嫌いなんだと思う。
自分一人で楽しむためのお金は、意味不明な散財に思えるのに、妻や豆柴、あるいは仕事に関しては、合理的な理由が見つかれば払える。
結局、昔からお金がないわけじゃなかったのに、「ないない」と言われて育ったせいで、使うこと自体に抵抗があるんだろう。
でも、そういう性格だからこそ、妻や豆柴にお金を回せるし、それで生活はちょうどいいバランスをとっている。
生産的な暇つぶしを選び、服はUNIQLOに落ち着き、たまのゲームで頭を休めて、いざ誰かのためなら気にせずお金を出せる。
それって結局、昔からの習慣と今の環境がうまく噛み合っているってことかもしれない。
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