≪Vol.66≫未来が見える!?
未来が予測できる。
というような有識者はいると思うのですが、
非常に身近なことで「そうだな」と思うことが自分もあったりします。
決して、
3年後は確実に車は全自動運転になっているとか、
人間みんな普通にチップが埋め込まれるとか、
そういった類のことではないのですが。
今は東京いるので、移動手段として”歩く”ということは結構多いのですが、歩いているときに周りの人を見てみると、あることに気が付きました。
「みんな自分の足元のちょっと先」を見ながら歩いていました。
スマホをしながら歩いている。という話は一旦なしにしておいて、
何をしているかというと、ちょっと先に障害物がないか、
または安全に歩けるか?ということでそのあたりを見ているのだと思います。
あるときのワンシーンなのですが、
ある人が角を曲がるときに、対向してくる人とぶつかりそうになりました。まぁ、状況としては「あ、すみません」くらいの出来事なのですが、
ある人は、その角を曲がるときに、対向の人とは上手くタイミングがずれたのでスムーズに曲がれました。
そのとき「あなたは相手が来てなくてラッキーね」って言う感じの話をしているのがちょっと見えたのですが、
相手をかわした人は、
「奥の方から来ているのが見えていたのよ」と。
このときに「そうか!」と改めて思いました。
「ラッキー」なんじゃなくて、「見えていたんだと」
これって、未来が見えているってことと同じ話なんじゃない?
って思いました。(話が飛躍しすぎてて申し訳ない)
ちょっと分かり辛い表現になったのですが、
日常生活の中でも、何かうまくいったときに「ラッキー!」って言われることがあると思いますが、本当に「ラッキー!」って思っているパターンと、「わかってたよ」ってなるパターンってあるなと自分も思います。
少し話を戻すのですが、
通勤などで歩いているときに「みんな前を見ているようで、足元を見ているんだな」って思ったのですが、そのときに「そりゃ、先のことはわからないだろう」って思ったんです。だって見てないから。
人にぶつかりそうになって初めて前を見たり、障害物が現れそうになって初めて前を見たりしている。
人の振り見て我が振り直せ。という意味で、自分への戒めなのですが、
自分も気を抜くと、その辺を見ているような気がしています。
ちょっとオカルト的なんですが、ただ歩いているときでさえ「足元しかみてないのなら」、そんな世の中の「未来」はとても見れたりしないだろうなと。
すぐにでも出来ることなので、すぐ直しているのですが、
「前を向いて歩く」
これだけで、人生や生活がかなり好循環するんじゃないかと思っています。
10年近く前だったような気がしているのですが、
石川遼選手(ゴルフ)が、タイガーウッズ選手を見たときに「なんて歩く姿勢がキレイなんだ」と驚いた。という話をニュースで見て、自分も歩く時の姿勢を気にしていたりします。
タイガーのようにいい姿勢で前を向いたら良いことがありそうですね。