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チャールズ・ワーグマンとは誰だったのか -日本近代洋画の”起源”を巡って-


2007年に『水彩学』という水彩の歴史と技法に関する本(初めての単著)を書いたとき、私はチャールズ・ワーグマンを日本近代における水彩画の始祖として取り上げた。ワーグマンは日本近代洋画史において、最初期の洋画家である五姓田義松や高橋由一に油彩技法を伝えたことで「恩人」、「始祖」またあるいは「起源」として語られるわけであるが、同時に水彩技法も伝えているのだった。幕末期における水戸藩浪士による東禅寺事件に取材した生々しいジャーナリスティックな記録画をはじめ、日本各地の風景、日本人妻のカネやさまざまな階層の人々のポートレイトなど多数の水彩画を残しているワーグマンにとり水彩が主要な技法材料(メディウム)であったことは疑いの余地のない確かなことであるのだった。

私にとっては水彩という自ら取り組むメディウムを通じて発見することになったチャールズ・ワーグマンだった。ただ、その人となりというものが、イギリスから動乱の幕末日本へと”特派記者兼挿絵画家”として赴き、ときに幕末浪士による殺傷事件の現場に居合わせるというような甚だ危険な目に遭いつつ、やり手極まるオリエンタリズムの写真家フェリーチェ・ベアトとつるみつつ、マンガの起源として位置付けられもする、皮肉に満ちた諷刺雑誌をてがけるという、ハードボイルドと形容したくなるタフなものであることは確かとして、しかしいまひとつ掴み難く、若い頃の来歴の詳細が不明であることもあって、”どこの馬の骨だかわからない”というようなイメージを勝手に抱いたまま(それは不勉強ゆえのものであったのだが)、忘却するに任せていた。

そのワーグマンにまたぞろ関心が向かったきっかけはtwitterだった。それというのは、twitter上でフォロー/フォロワー関係にある美術史家のかたとワーグマンを巡り、ちょっとしたやりとりを交わしたことによる。タイムラインにおける話題は日本近代洋画なるものの不全感をめぐるもので、そもそも近代洋画の起点として、漫画家に過ぎなかったワーグマンが画家として語られていることからしておかしいという趣旨の美術史家氏のツイートに対し、いくばくかの違和感を覚えた私が、心情的にはワーグマンを「画家」と呼びたいとし、それに対して当時のファインアートの基準からいって、ワーグマンは画家というにはあたらないでしょうという氏からの応答があった。その氏の見解について、それはそうなのでしょうねという具合に収めたものの、そのことが忘却するにまかせていたワーグマンへの関心を再び呼び起こすことになった。
「ワーグマンとは誰だったのか」という問いに今一度、十年以上振りに向き合ったとき、ワーグマン自身のみならず、自分自身好むと好まざるとに係わらず大きな影響を蒙って来た日本の近代洋画という、栄光に満ちたというよりは、数々の苦難に満ちた、自分にとってみればどちらかといえば陰鬱な領域に対する、また新たな観点が生まれて来もした。あるいは当初からワーグマンに対して妙に親近感を覚えていた自分がいて、その妙な親近感の由来も明らかになってゆくということもあった。

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