ある法則を発見したら、輪廻の存在が証明された
オーストリアの精神分析学者のフロイトが提唱した説「アナル・ファーゼ」によると、人はうんこを好意的に捉えているとのことである。
排泄物の名称で楽しい気持ちになるのは不思議だが、世の中にはうんこネタが溢れている。
では、ゲロはどうか?ゲロはあまり笑いのネタでも見かけない。
リアルで見ると、どちらかというとゲロよりうんこの方が臭いもきついし、ヤバいと思うのだけど、うんこはネタにできて、ゲロはネタになりにくい。
なぜうんこはよくて、ゲロはだめなのか
うんこを出すのは気持ちがいいけど、ゲロを吐くときは大抵気持ち悪いときだ。そこで一つの仮説を立ててみた。
「人は感情をそこまで明確に線引きしていないのではないか。」
楽しい、面白いという感情は、気持ちいいという感情と同じように捉えているのではないかと思う。ざっくり「快」として捉えているのだ。
逆に苦しい、痛い、気持ち悪いといった感情にも明確な線引きはなく、「不快」として捉えている。だから本能的にうんこネタは笑えて、ゲロネタでは笑えないのだ。
この法則を私は「ゲロうんこの法則」と名付けた。
男性器と女性器の呼びやすさ問題
榊原郁恵がかつてラジオでオマーン湖と発言して出禁をくらったように、女性器の名称を公共の場で言うことはタブー視されている。翻って児童番組みんなのうたでは「ちんちんぽんぽん」が歌われる。人々はなぜか男性器には寛容である。
この違いは何なのか。「ゲロうんこの法則」に当てはめてみよう。
父親の金玉にいるときは楽しくて、母親のお腹から生まれてくるときは苦しみながら出てくると仮定する。人は皆、その感覚を覚えていて、男性器はネタにできる、女性器はタブーにするということを無意識的に決めているのだ。
私自身、法則を疑っているわけではないが、一応調べてみたところ、
産道を通るとき、子宮が収縮すると、一時的に赤ちゃんへの血流が減少するため、赤ちゃんにとっても少し苦しい状態になります。
出典:助産婦の部屋「出産」のおはなし
とあった。やはり、である。
金玉にいる精子の気持ちは調べてもわからなかったが、金玉は体内の中でも低温であり、暑いときはしわを伸ばし、寒いときは縮むという温度調節機能、運動時に衝撃を分散するような構造設計等、住居として快適な環境であることは間違いないし、放出するときに快感を伴うことは身を持って知っている。
ゲロうんこの法則
「ゲロうんこの法則」は、行為が快であればネタにできる、行為が不快であればタブー視する。という法則である。
この法則は、逆も成り立つ。
つまり、ネタにできることは潜在的に快で、タブー視していることは潜在的に不快であると言えるのだ。
ここでひとつ、我々人類の永遠の謎である「死」について考えてみたい。
死ぬときは快か不快か
結論としては、死ぬときは気持ちいいのではないだろうか。
googleで「死ぬ ネタ」で検索すると約 77,900,000 件ヒットする。敬愛するギャグ漫画家、漫☆画太郎先生のオチも大体死んで終わりだ。日常的にも、ゲームでミスをすると「しんだ~」と言ったり、遅刻などヤバい状況になると、しぬ!しぬ!と連呼したりする。少なくとも僕はする。
本能的に皆わかっているのだ。
死は、ネタにできる。つまり死の瞬間は快感を伴うのである。
なぜ死の瞬間を知っているのか
ここで疑問視されることがある。
ゲロやうんこ、男性器や女性器をネタにしたりタブー視するのは、全て経験からくる快や不快の感情が元であると先ほど述べた。
しかし人は皆、死んだことがないにも関わらず、なぜ死をネタにできるのだろうか。
実は我々人類は、死の瞬間を知っていると考えたらどうだろうか。そう、我々は前世で死を経験しているのだ。輪廻である。
はからずも、ゲロうんこの法則が輪廻転生の存在を証明してしまったということになる。この法則の発見が、生物の謎を解く偉大な一歩となるとは私自身も想像だにしなかった。
私が教科書に載る日もそう遠くないだろう。サインの練習をしておこうと思う。