志望した学校でなくても、人生の宝物は見つかるかもしれない
長いGW明け、仕事も学校もなんだか憂鬱、行きたくなくなる。
それが志望した場所でないならなおさら、かもしれません。
娘さんが志望した公立高校に行けず、毎日疲弊して、楽しくなさそう・・・そんな記事をインターネットで読みました。
私は大学がそんな感じでした。
国立大を目指して、苦手な数学にも取り組み、高校2年~3年では学校で毎日のように6-7限まで受講。その後さらに塾に通うような日々でした。
しかし、結局受かったのは、文系3科目(しかも共通テストも不要)の私立大学。
受験しているのですから、決して行きたくない大学ではなかったものの、喜びより、不毛な気持ちでいっぱいになりました。
最初から文系私立狙いで勉強していた友人は、余裕があった(ように見えた)し、高校生活も楽しんでいた(ように見えた)。なのに私は、必死に努力、時間、お金を費やしたのに、結果は同じ・・・。
オリエンテーション、サークル、新しい友人などなど、新しいことだらけで4月のうちは大学デビューの忙しさで、目まぐるしく過ぎていきました。でも、この大学を第一志望で受けてやってきた友人たちと比べて、私は卑屈な気持ちを抱えていたのです。
「本当はここではない所にいたかった」
GWを過ぎてすぐ、ひどい蕁麻疹が出ました。全身に赤い湿疹が出て、世界地図のようになったのです。
病院に行くと、原因不明だけどストレスかもね、とのことでした。
新しい環境での疲れ、人間関係、そして劣等感を抱えた自分。
決して評判も悪くなく、偏差値的にはいいと言われる大学だったので、周囲に話しても、理解は得られませんでした。逆に嫌味のように取られることもあり、だんだん言わなくなりました。でも澱のように心にたまっていき、心は曇り空でした。
そんな日々でしたが、あるきっかけで大学、そして自分の所属している学科に愛着を持てるようになりました。
そのきっかけは、尊敬できる先生に出会えたことでした。
学科の授業の一つを受け持っていた先生で、かなり変人でしたが、その知識量は底知れぬものがありました。怖いくらいでした。最初は怖くて嫌いでした。
しかし生徒に対し、対等に接してくれる先生でした。
2年ほど先生の授業を受けていて、特段大きなエピソードがあったわけではありません。ただ普段の延長線上で、私は到底先生の求めるレベルには達しないだろうが、もっともっと知りたい、勉強したい!とある時、心から思えたのです。
決して成績の良い生徒ではなかったのですが、先生はよく面倒を見てくださりました。高校の勉強とは違う、学問の神髄のほんの一端ですが、見ることができました。魂が高揚する体験でした。
この出会いがあって、本当に心から、他の大学ではなく、この学科に来れたことが人生の宝になる、と思えたのでした。
私の場合は、尊敬できる師(勝手にそう呼んでいます)に出会えたことで、自分の道を肯定することができました。
居場所を肯定できるきっかけは、友人かもしれない、先生かもしれない、その学校が持つ歴史かもしれない。そうなれば、あとは楽しむだけ。
でももしかしたら、心から好きになれないままかもしれない。その日々は辛いけれど、絶対に無駄ではない、と思います。今度は大学や専門学校で、思い切り好きな所に行こう!と思える原動力になるかもしれないし、就職先はいい所に行こう!と頑張れるかもしれない。
大人になって思うのは、どこにいたって学べるし、尊敬できる人はいるし、どんなことでも糧にして色々な経験を積めるということ。そして絶望していた進路や試験の合否、進学先、留年、等など、はっきり言って大したことではない、ということ。むしろ人と違う見方や経験ができて、ラッキーだったと思います。
挫折している最中は下しか見えないし、見ようとも思わないけれど、毎日過ごせているだけで、絶対に前に進んでいます。思い切って周囲を見ると景色も変わっているかもしれません。
無理せず、休みながら、のんびり過ごしていきましょう。マイペース万歳です!
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。