親としての責任
一年前のバレンタインは、娘の高校受験の日だった。
無事に第一志望校に入学して
「楽しい」って言ってた半年後、
娘は一時期学校に行けなくなった。
「行きたくないんじゃなくて、
行きたいのに行きたくない。」
ものすごく葛藤状態にあって、辛かったと思う。
そしてその状態の原因になる心の傷を作ったのは、
他でもない、母親の私だ。
いつもイライラして、
娘の前で見せつけるように泣いたこともあった。
最低な母親だった。
そんは母親を見てたら、顔色を伺う癖がつくのは
当たり前だ。
ぶっちゃけ、心理を学んでから「ヤバい」と思った。
私は、子供の自己肯定感を下げる母親の
見本みたいな隠れ毒親だった。
とはいえ、目立った反抗期もない娘に、
どこかでホッとしていたところもあった。
そしてやってきた、娘の登校不可状態。
「あぁ、来ちゃったか。そうか...。」
カウンセラーだろうと、
自分ごとになるとなかなか手強い。
フラットに見ようにも、そうはいかない。
自己正当化が出るたびに、止める。
私の責任だ。
この子がこうなったのは、私のせいだ。
だから私は
娘に一度も【謝らなかった】。
娘は自分自身の心に悩んでる。
でも心の深いところでは、
娘は気づいてないかもしれないけど
私に対する怒りや悲しみ、恐怖がある。
苦しいのは、私が「ありのままじゃいけない」
という勘違いをさせたせいだ。
勘違いは娘が自分でしたこと。
でも、私の現実として、勘違いをさせたのは私で、
それが事実。
謝らなかったのは、悪いと思ってないからじゃない。
悪いと思ってるから、謝らなかった。
よく「子供に謝る」みたいな
母親へのアドバイスがあるけど、
あれを子供がされたら最悪だ。
ただでさえ自分が苦しくて
心の整理もできてない時に親に謝られたら、
子供は許すしかなくなる。
許したくなくても、許したいという気持ちと
葛藤することになる。
表面的な態度はどうであれ、子供はそういう生き物で
私自身がその葛藤に苦しんでたことを知って。
「謝ることは『許されたい』という
責任放棄にすぎない」ってことを
身をもって感じてたから。
だから、謝る選択肢はなかった。
許されないまま、墓場までこの責任は背負っていく。
ただ、そうすると決めただけで
結果許してもらえるわけでも、
何がどうなるわけでもない。
責任をなくすためじゃない。
一生背負う。それだけ。
結果的に、娘は自分で学校に行けない状態を
自力で解決してのけた。
今では風邪ひいたりで休む以外、
元気に学校に行ってるw
この話をすると、すごいねと言われる。
でも、すごくなんかないんだ。
最低だったんだよ。それは消えない。
けど、最低な母親という責任を
「罪悪感」にすり替えて不幸のまま生きるより、
「最低な母親だったくせに今は楽しそうに
生きててなんかムカつく母親」で、
娘の反面教師になる。
嫌われるかもしれないし、
そうなったらそりゃ悲しいけどさw
仕方ないよなって。
それでも、娘が私をどう思おうと、
嫌おうと、私は娘の味方でいる。
そこに娘が私をどう思ってるとか関係ない。
そう覚悟して、揺らいだら覚悟を決め直して、
たまに虚勢だって気づきながらも
胸を張って生きよう、ってのを続けてきた。
昨日の夜、娘が
「この先なんかあっても、
うち大丈夫だと思うんだよね。
学校行けない時あったけど、今楽しいし。」
って言った。
娘が楽しそうに生きてる。
ちゃんとしてなかろうが、ダラけてようが、
それで成績落ちようがw
「うちの娘は、やるときはやる」って
根拠ない何かがある。
やるときにやらなくても、それは仕方ないw
その時は、私が助ける。
心理やってて一番よかったのは、今の親子関係ができたことだと思ってる。
子育てって言うけど、
子育てを立派にできる親なんかにならんでいい、
って思う。
親が自分の人生楽しんでれば、
子供は勝手に前を向く。
楽しめてないなら、これから楽しめばいいよ。
一生懸命生きる親の背中、
子供って絶対見てるからね。
娘はあと何年かしたら、
私の元から巣立ってくんだろうな。
だから、今のうちに見せられるだけ、
人生楽しむ姿を見せとかないとねw