東京都知事選とあれこれと
お久しぶりです。こんにちは。
イラスト・漫画を描いているつかはらゆきと申します。
本日は東京都知事選の投票日ですね…
イチ地方の首長選というのに、国政選挙かというほどの報道やテレビ、ネットでの盛り上がりで…
まさかの大河ドラマまで休止とは思いませんでした。
大河ドラマの気になったシーンを描き続けてきたので、少し寂しい気持ちです。(続き気になるし…)
今回の大河ドラマで少し主題とはずれるかもしれませんが、印象深かったシーンがありました。
選挙での休止ということで、大いに関わる話だなと思い書いておこうかと思います。
それは第14話「星落ちてなお」であったこんなシーンです。
文字を教えていた少女たねの家に行ったまひろが、その父親に会って文句を言われるというシーンです。
まひろ自身は一生畑を耕す人であっても文字があることで、人にだまされたりすることなく、心の中が豊かになる…
おそらくそんなことを考えて教えていたのだとドラマを見ていて感じていました。
だけれども、それは伝わらなかった。
このシーンを見て私が考えていたのは、なぜ人は勉強をするのだろう?ということでした。
だまされないため、心を豊かにするため…色々あるのですが
私自身は「自分の能力を知り自由に人生を選択するため」と考えています。
だからこそ、自由に選択することができない(≒必要がない)人生を送るたねには、勉強ということが必要ないと言われてしまったんだと思ったのです。
平安時代の話なので1050年ほど前、京都にいるごくわずかな貴族以外は
いや、貴族自身もかもしれませんが
自分の行く末を自分で決めることはできなかったんですよね。
生まれがすべてで、その外の何かを選び取れる生き方ではなかったのだと、このお話で痛感しました。
自由に選ぶ、ということは何も自分の行く末だけではありません。
だれに「統治」されるかということも含むのだと思います。
どういう政策でどういう対応をしてもらえるのか、誰にそれを任せるのか…
そういったことも貴族自身は自分がそこを任されるように動くしかない。
庶民はそんなことで自分の環境が変わることすら知らない。
そういった世の中だったのだと思います。
突然ですが、プラトンは民主主義に反対だったと言います。
「民主主義は無知で貧しい人々に迎合することで善良な統治を破壊する、見かけ倒しの発明」と考えていたとのことです。
とはいえ、民主主義が善良な統治をするには…と考えた時に
「無知で貧しい人々」がいなくなれば良いともいえるのではないか…と思います。
国民主権になり、私たちは教育を受けさせる義務を負いました。
このことは無関係ではない、と感じます。
物事を知り、自分の能力を知り、自由を手に入れて
自分の思う人生を歩くために、その環境を、その政治を得るために
教育を受けさせる義務があるのではないかと思ったんです。
「勉強したくない」とはよく言いますが、それは一生○○で生きていくみたいな強制力とバーターなのだなと思います。
教育を受ける義務ではないので、どちらを選ぶかも自分で選び取れるんですよね。
政治のしくみを小中学校で習い、各政策を日々のニュースで知り
自分の生活への影響がどうあるのかを考え
そうすることで、自分が国や政策やそういったものに
どれだけ影響されて生きていくことになるのか実感します。
特に、私たち氷河期世代はその実感は痛切なものがあるでしょう…
勉強すること、仕組みを知ること、情報を手に入れるための文字を知ること
それは自分の生活を自分で選択できるからこそ
選択を善良なものへとつなげるために必要なことなのでしょう。
そうやって学んできた考えてきた自分の生き方を自分で選択する
自分の生き方の中でもその統治を、自分の生きる環境を誰に任せるのか
その意志を表明するのが「投票」という行動なのだと思います。
文字なんか要らねぇ、と言われた方が楽だっただろうか。
ちゃんと知りちゃんと投票できる自由がある方が良いだろうか。
東京都知事選の投票日にアレコレと。
それではまた。