出会いから挙式までの道のり
現在、婚姻届を出してから1年半ほど経った。
出会って半年で夫婦となったわたしたちは、彼氏彼女として過ごした期間よりも、夫婦として過ごしてきた時間の方が長いが、無理なく心地よく過ごせているので良い決断だったと思う。
夫との出会いから挙式までの道のりは、新型コロナウイルスの流行によってかなり影響を受けた。備忘録としてまとめてみる。
わたしたちは新型コロナが流行し始めた2020年春に出会った。出会った時にはすでにマスク生活だったし、遠くへ出かけるデートができたのは結婚後のことだ。
コロナ禍初期は、緊急事態宣言が初めて発令され、未曾有の事態にみんな騒然としていた。学校は異例の全国一斉休校。仕事以外で外出することも、家族以外とは会うことすら社会的にタブーな風潮があった(仕事柄、より一層厳しかった)。そうしたこともわたしたちが早く結婚した理由のひとつだ。
同棲を始める直前にお互いの親にお互いを紹介し、同棲開始1か月後に婚姻届を出した。
結婚直後の2020年秋には、GO TO キャンペーンが始まるなどコロナの流行が落ち着いた時期もあったが、年末ごろにはまた第3波の流行が始まってしまった。
挙式披露宴をいつか行いたいと思いながらも、先の読めない状況に頭を悩ませていた。
年が明け、2021年1月をピークに第3波が落ち着き始めた。そこでわたしたちは3月に式場見学の予約を入れることにした。
すんなりと挙式披露宴をする会場が決まり、具体的な日付を決めて会場を抑える必要が出てきた。
2020年の流行の波を鑑みて、秋頃がいいのではないかということで9月末に行うことにした。
7月上旬。わたしたちは披露宴に呼ぶ人に招待状を出そうと準備をしていた。そして、ボタンをあと一つクリックしたら招待状が発注されるところまで進んでいた。
ところが、第5波と呼ばれる過去最大の流行が始まってしまった。デルタ株という変異種が猛威を震い始めたのだ。
3月には一旦落ち着いたはずの感染者数が急激に増え始めた。まさか4か月後こんなに増大するなんて想像できなかった。東京オリンピックの開催をめぐっては、日夜メディアで議論が行われ、どちらかと言えば開催すべきでないという意見の人が多い印象であった。
そんな最中、わたしたちも9月末の挙式披露宴をこのまま実施の方向で進むか、はたまた延期するか、判断を迫られた。
7月中旬。高齢者のワクチン接種は既に終わっている時期であったが、高齢者や医療従事者以外はまだワクチンを打てた人の方が少なく、わたしたち自身も未接種どころか接種券が手元に届いてすらいなかった。
相当悩んだ末、披露宴は延期にして、家族だけで挙式をすることを選んだ。
その後、8月から9月にかけて、我々若年層を含む希望者のほとんどがワクチン接種をすることができた。
結局わたしたちが挙式をした9月末には感染者数は大幅に減って、10月からは緊急事態宣言が前面解除されることになった。
後の祭りなので、こんなことを言っても仕方ないが、正直9月末には予定通り友人や親戚を招いて披露宴をやっても差し支えなかったのではないかと今となっては思う。
しかし、結婚式の形式上、披露宴の2か月前には招待状を送るというセオリーがある。この2か月前というのが厄介だった。7月末〜8月は第5波のピークであり、デルタ株の性質上、重症者が多かった。当然外出をできるだけ自粛する風潮で、そんな最中に"2か月後、披露宴に参加しますか"と聞かれても、招待状を受け取った人は返答に困ってしまっただろう。
結果、たまにしか会えない親戚や親しい友人らとは会えなくなってしまったが、彼らを悩ませることなく、ごく身近な親族だけ集まって行った挙式と小さな披露宴的食事会はわたしたちにとって十分満足な結婚式となった。
挙式直後、コロナが落ち着いている状況の中で、かつ、まだ街に人が少ないうちに新婚旅行に行くこともできた。旅行先は車で行ける近場ではあったが、その分高級な宿に泊まって、ゆったりと贅沢な時間を過ごすことができた。
挙式と新婚旅行を終え、燃え尽き症候群になったわたしたちであったが、延期にすることにした披露宴について考えなければならなかった。
挙式から3か月たった年末の頃には、"披露宴はもういいか"という気分になってきた。
それよりも妊活や家づくりなど次のステップに進みたい気持ちが大きく、また再び打ち合わせや衣装合わせをしたり、招待状を作ったりすることにエネルギーをさく気力はなくなってしまった。
年末年始に帰省した時に親にもそのように伝えると双方の親も了承してくれた。まだ会えていない親戚にはコロナが落ち着いた時に食事会を開いて夫を紹介する方向になった。
お世話になった友人たちには、個人的に夫を紹介したいと思っている。
こうして私たちの結婚式は完結した。