noteを利用したい理由を大まかに表してみた
こんにちは(*ˊᵕˋ*)
初めまして...(❁ᴗ͈ˬᴗ͈))
何度も記事を書き直ししては、消してを繰り返している為、一度くらい目にして「情けねぇ奴ww」と存じられている方も居らっしゃるかと思いますが、、( ˊᵕˋ ;)
改めて自己紹介いたします...()
私は西暦1999年 平成11年 4月 28日 生まれの西暦2021年の今年度(令和3年度)22歳を迎える大学生です。
丁度、高校3年生だった頃の西暦2017年 平成29年 6月 16日 金曜日に精神からなる弄れた思い込みからこんな事件(以下「未遂事件」と呼びます)を起こしてしまいました...↷
https://bokunolog.com/nanisokutobiori/
最近自分は、元々精神の何らかの障害と共に生きて来たのでは無いかと自分の中で疑惑が浮かんでおります(⇉一番の疑惑染みたように思ったのは自閉症:ASD)...、。
ですが現在は、未遂事件から起こした脳幹強打に寄って多数の生命維持機能を含んだ部分の損傷から成る「高次脳機能障害者」として頑張って日々を歩んでいます(๑و•̀ω•́)و✧
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さて本題のnote利用本目的へといたりますが、
私は、事故を起こして高次脳機能障害者と成る前からよく、「生き難いな...」と感じる事が多かったので、その都度“生き方を自分で工夫”して大人に成りました。
この度正式に障がい者と診断され手帳が交付されてから、通っている大学や公共でも配慮を受けるようになって、それまで何も配慮等受けて居なかった時と手帳交付後配慮を受けるようになってからもこの、“工夫して来た生き方”を記録して行きたいなという考えに至りました。
寄ってここに、他の事は何も気にせず自由に執筆して記録して行こうと決めました
どうぞ宜しくお願いいたします(☆*^∀^)ゞ⤵︎ ペコッ
もしもご閲覧して頂く事になりますと、びっくり仰天な事でせっかく閲覧してくださった皆さんの心を戸惑わせたり混乱させ、掻き乱してしまうことに繋げる可能性がありますので、
⚠全て自己責任でお願いいたしますm(_ _)m
⇒第3者のフィクションを上から全体的に眺める感覚で俯瞰(ふかん)して読んで頂けると喜ばしい限りです( ˊᵕˋ ;)
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♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱ᗰIᑌという人間構造と、私が未遂事件へと至った大まかな経路♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱
私は西暦1999年 平成11年 4月 28日 水曜日に、ひとりっ子として超健康的な身体で両親に産んで貰いました(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ
「身体能力」じゃなくて、「身体の強さ」だけはめっちゃ強い自信有ります📛(♡>艸<)🍒
⇒それで最近の困りごとですが、身体が強すぎて制御が自分でもかけられなくって...
自制出来ません⇒症状が出せません、、
その犠牲か、本当に心が傷んで苦しいし哀しいのに「泣く」という素朴な行動もできなくて困っています...(´。•ㅅ•。`)
⇒「本間に苦しく無いからとちゃうの?」と疑われてもっと辛くなったという事実もあります( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )
生まれながら環境に恵まれ整った音楽一家でした( ' '♬)
特に母が音楽の「指導」に関する勉強を積んでいた為、その「子」として一番初めに身近な存在である母親から音楽を伝授されて絶対音感や拙いながらもピアノを弾く技術が身に付きました。
代わって父は音楽の「工学」に関する勉強を積んでおり、ピアノで「指導する」といった事はやっていませんでしたが、物心付いた頃からピアノというよりギターを弾いて歌っていたイメージを記憶しています。
ここで私は母に絶対音感やピアノを弾く技術を伝授される際に勉学等も人並み以上に出来る様にと厳しく教育を受けます。
...ですが、これもママが好きでしてた事ではなかったそうでして、、。、
𓂃◌𓈒𓐍まず普通何処のご家庭の親も我が子に今後の未来、楽に暮らせるよう願うものですよね...。𓂃◌𓈒𓐍
寄って「ちゃんと勉強しなさい!」・「テストで百点取りなさい!💯」なんて大抵何処家庭の親も言い聞かせていて必然的な事なのです...。。
𓂃◌𓈒𓐍𓂃◌𓈒𓐍𓂃◌𓈒𓐍𓂃◌𓈒𓐍𓂃◌𓈒𓐍𓂃◌𓈒𓐍𓂃◌𓈒𓐍𓂃
⇒要は、俯瞰して読んで下さっている方々に私の母独りを責め滅ぼされたく無いんです。
私のママが教育指導に熱心になる事は世間、(皆さんの)お母さんと同じく普通な事であって、ママが教育熱心となって私に対して虐待を行ったとしても、
それは何もすべてが全てママが悪い訳じゃなくて何か「根拠」があってからこそ、そうなってしまったのだと母の「子」として私も思考する義務があると思っています。
また、それもその思考する義務も好きでしているということを表明しておきたいです!
だからあまり私のママを批判して欲しく無いです。
私のママはほんっとに凄い人だから、、
好き勝手に壊したりしないで...(´。•ㅅ•。`)
⇔あ〜 でも母の事は好きではないですよ。
精神的に傷負わされた相手でもあるし、ちゃあんと彼女に相応しい処し法も練ってあります。。。
ただ、否定する事に寄ってただその自分の思い上がりな気持ちのせいで自身まで汚い人格に汚れるのが嫌なのと、処するの有無を決める権利も私に「しか」無いんじゃないかって思うだけです。
(それに寧ろ私は身体的には丁度症状が出ないというバカ強い能力\( ᐙ )/が備わっているというのもあるし...(。 >艸<) 精神的な虐待は目に見えないので法律的に触れ無い事からセーフですよね笑?!)
でも、住んでいる場所が結構離れていたというのもあるのですが自分の祖母の過去まではもう遡る必要はないと思うので母のお母さん=私の祖母の過去までは追求しません┐(´~`;)┌
ママだけで無く、家庭の環境や育ち方で高校まで「the 真面目っ子ジミ’s →(▭-▭) こんなカンジww」を維持出来てきた私は頭に知識は培えていないにも関わらずとにかく真面目一筋で生きてきました。
寄って、中学の頃次第に勉強に取り組まなくなった自分の事も「私が高校へ行けずに終わる訳なんて無い」とか思っていたし、真面目である自分が取り柄で自信もあったし好きでもありました。この時期に思春期などで親と大きくぶつかり高校入試に向けても勉学に励まなかった事をきっかけに、志望高校へは入れませんでした。
滑り止めで行った高校は、環境にはとても恵まれて居り志望校落ちた身では善すぎる身分で勉学に励められる様な状況でした。
ですが私はもう既に独り善がりになっていて、その場では支え合えるような大切な交友関係を築けてはおりませんでした。加えて言いますと、実は昔から生き難く感じる事が多かった上にその状況を変える力も乏しかった為、志望校でなかった高校へ入るまでにも良いと言える様な交友関係を築いて来る力と思い出も特にありませんでした...。脳力の高いと言える勉学の知識も乏しい。だからと言って熱い友情も無い。そんな愚かな私はこの真面目マスクを外すこと無く生きるのがただひとつのゆとりであったし、そんな自分が間違っていて、否定されるだなんて思いの他でした。当時ちゃんと存在していた友達も
どうせ上辺だけの付き合いだから自分の事を心配してくれる人なんて居ないのが当然
だなんて思い込んでしまっていたし、
それに加えて当時の時点で自分のメンタルが物凄く弱い今の若者言葉でよく言われる所謂「お豆腐メンタル」で心が弱いのだと気付けていませんでした。
当時は高校3年だったというのもあり、次への大学進学の受験期間でして、大学入試と共に奨学金の手続きもしていました。
そのどさくさに紛れて、「序(ついで)に」感覚で多忙な現実に今まで苦手と感じて避けていた「恋愛」という扉を、多忙な自分が手軽に始められるネットから生半可な容易い気持ちで叩いてしまったんです。
今思えば、これまでそれなりに真面目を取り柄として生きて来た私はきっと「恋愛」という物を舐めていたんだと思います。。
今でも確かに思っていますもん、
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頭に知識は培っていないにしろ、
ずっと何も悪い事への実行へ至った事は無い。
小・中・高等学校の宿題は真面目にちゃんとして行って来たし、
無断欠席もしていなかったし、遅刻でさえ稀にしかした事がなかった。
校則を違反しようと思った試しでさえ無かった。
加えて異性に塗れて宜しくない行為もして来なかったし、身なりも何も派手にしようとしていなかった。
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まるで、「自分は理性のある適正・公明で何も問題の無い人間だ」と自分で堂々と証言している様で笑えて来ます、笑
明らか、自分の忌んでいた「公」的な人間に自分から成りに行ってるやんけ...ww
突っ込み所は沢山あります。
でも、今綴っていて自分で俯瞰した気分にも成りながら読んでいて気付きました。。
私はとんでもなく、
︎︎ 「つまらない生き物」
︎︎ なんです𐤔𐤔
だからこそ、
「恋愛」なんて暇な人間のお遊びに過ぎないと思っていた為、理性のある適正・公明で何も問題の無い人間である自分が出来ないなんて有り得ないという思考のまま、
この(平成17年度の夏頃)に自ら初めて面と向かって取り組んだ勉学のおつまみ気分で始めた「恋愛」だったから相手の気持ちをよく読み取ろうと努力して居らず当然の如く相手に嫌われる結果となったのでした...|柱|ヾ(__。)(反省)…
その上、これまでずっとサボって来た勉学成績のお陰で奨学金も申請するが引っ掛からず...。
さらに上辺だけの付き合いで自分の事を気にかけてくれる人なんて居ないから自分さえが独りに成れば片付くという思考へと至りました。その独りになるという気持ちから、明白に自己中心的な「自分で自分を消そう!( * ' ꒳ ' )」という結論までに辿り着いた結果が 西暦2019年 平成29年 6月 16日に起こしてしまった未遂事件となります、、、
初めは何故、自分がここに居るのかや自分の年齢でさえ不明状態で目覚めた病院。。
次第に意識が回復してしっかりし、自分が病院へ来た経路に自身で気付けた時には、私の起こした事件から泣いてくれた友達が居たとも知りました。
この頃から私は、「感謝する」という感情が乏しい愚かな人間でして、今現在令和3年度でも中々難しくて欠けている感情となっています。
病院では、回復の為に作業療法士(OT)・理学療法士(PT)・言語療法士(ST)の方々から療法を受けた事から、
もう残りの高校分の単位を取った後の大学進学へはママから貰った音楽の力しか使える物など無かった為、元々人を助ける事に憧れていた私は「障害者としての音楽療法士(MT)」を目指そうという思考に至りました。
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晴れて不可能そうな夢が叶ったとして、そこから営みたい生活は、普通で平穏で何の変哲もない平和な生活です(o・ω-人) ✯⋆*━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━✯⋆*
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それで長すぎるので省きますが、
大学進学までの経路や大学入学当初、昨年度の全国民が初めて体験した出来事であった緊急事態宣言からの自粛を経て、
ようやく落ち着いて来て大学ライフを楽しみ始められる様に成った今年の3回生の夏に、noteをきちんと確立させて利用しようという想いに変わりました。
この記事、あまり考えがまとまらなくて書き直してます。初め書き直す前の物の時の人格目線で反応下さった方は、書き直し後の人格目線を思考されて反応解除の有無もご検討し直してみてくださいね。
お手数おかけいたします( ꈍᴗꈍ)
次のツイートから、自分で自分を分析した省いた部分となる「自分分析備忘録」、綴っていきたいと思います。
宜しくお願いいたします(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)) ペコッ