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いまさらですが、出会いについて

SNSやライブ会場で知り合うイタリアのLigabueファンには「どうやってLigabueを知ったのか?」と必ず聞かれる。
Ligabueはイタリア語だけで歌う、イタリア国内限定のスーパースターなので、外国人にはほとんど知られていないからである。
"Buon compleanno Elvis"でブレイクした頃、英語で歌えばワールドデビューさせるというレコード会社からの申し出を断ったらしい。自分の歌は母国語でしか伝わらないからという理由で。
そんな頑固なところも大好きなのだ。
2014~2015年のワールドツアーも、国外在住のイタリア人観客を想定しておこなわれたため、東京公演での日本人の想定外の盛り上がりには驚嘆したようすだった。
さて、「いかにしてLigabueと出会ったのか?」というと・・・

1997年の7月、東京でイタリア語を教わっていた先生のナポリの実家に一週間ほど滞在させてもらっていた。イタリアに帰国する際、「ぜひ遊びに来て~」と言われたので、図々しくお邪魔させてもらったしだい。彼女の実家を拠点に、ナポリ市内、カプリ島などをひとりで満喫し、また、ポンペイなど古代ローマの収蔵品で有名なナポリ考古学博物館、ナポリ王国の離宮が残るカゼルタ、彼女の家の別荘があるイスキア島を案内してもらい、初めてのひとり旅ながら、また悪名高い(?)ナポリという街にもかかわらず、心細くなることもなく、楽しい滞在になった。
そんなある夜のこと、「これからすっごく素敵な歌手が音楽番組に出るから、いっしょにテレビを見よう」と誘われた。その「すっごく素敵な歌手」こそがLigabueだった。
何を歌ったのかは覚えていないが、「なに、この、泥臭いロック、なんて好み!」というのが第一印象だった。
ルックスがとても好みというわけではなく(どちらかというと、垢抜けない印象だった)、その独特なしゃがれたハスキーな声に一発で魅了された。もともと、ジャニス・ジョプリンとかロッド・スチュワートとか甲斐よしひろとか、ハスキーな声に弱いのである。
これはハマりそうな予感。翌日、CDを買いに走った。
とりあえず購入したのは、当時の最新アルバムだった"Su e giù da un palco"。
日本に帰国するとき、彼女の兄上(彼もファン!)が カセットテープ(当時!)にお薦め曲を録音してプレゼントしてくれた。

《これも帰国時にプレゼントしてくれた、カヴァーを飾る当時の雑誌》

帰国してから、聴けば聴くほどどっぷりとハマり、日本語どころか、英語での情報もなく、公式ホームページだけをたよりに情報収集。
翌1998年には、すっかりひとり旅に味を占めたため、フィレンツェを拠点にトスカーナ地方を回る旅を計画、全CDとライブ映像(VHS!)を買い占めて帰国した。
それでもまだ当時はライブに参戦するなどという野心(?)はなく、CDがリリースされるたびに入手して聴いているだけで満足だった。
初めてのライブ参戦も偶然というか運命?
出会ってからちょうど5年後の2002年7月、ひとり旅の旅程中にたまたまコンサートのスケジュールを発見、チケットを確保し、急遽1日だけ旅程を変更して参戦が実現したのである。
当初外国人(イタリアの納税者番号非保持者)は入会できなかった公式ファンクラブにも、入会したい旨メールを送ってみたら、入れるようになった。
遠く離れた国からの推し活にこれほどハマったのは、まぎれもなくインターネットとSNSの発達の恩恵である。
公式ファンクラブ、公式ホームページ以外にも、各SNSで積極的に情報を発信をしてくれるので、距離があるにもかかわらず、つねに身近に感じることができる。
テレビ(日本でいえばNHKにあたるRAIに出演することが多い)は最近リアルタイムで視聴できなくなったが、ラジオ出演はアプリでリアルタイムで視聴できる。時差のために日本時間深夜~明け方になることが多いので、昨今は体力的にきびしいのだが。
また、SNSやライブ会場で知り合う推し友との交流は、わたしのイタリア語を飛躍的に上達させた。
好きこそものの上手なれ、である。
実は、わたしが聴く音楽はおもに10代のころにハマったものばかりで、Ligabue以外、オトナになってから好きになったシンガーやミュージシャンはいないのだ。ファンクラブに入会したこともなかった。これほど長きにわたって中抜けすることなく、推しつづけた歌手もいない。
日本ではまったく知名度のないLigabue。イタリアという国に惹かれイタリア語を学びはじめたのは音楽とはまったく関係ない動機だったが、もしかしたら、彼を知らずに人生を終えていた可能性だってある。
そんな対象に出会えた運命と偶然に、遠く離れた国まで音楽を届けつづけてくれるLigabueに、感謝の念が絶えない。



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