伊藤
キラキラを集めて。
わたしがエッセイとカテゴライズしたものたち。
どこに向かってもないひとりごと。
写真に合わせたみじかいことばを置いています。 写真をクリックして頂くと読むことができます。 iPhone6 plus
せせらぎ清らかな静けさで 足跡をひそめながらも膨張する 白煙の中に祈りを掲げて 明後日の方向に投げかける女がいる 赤い提灯を背に 夢と幻を彷徨う街と 傾斜のある坂道で振り返っても 憂いの湿度で今日は五月雨 空を仰いでみては いくつの国境を越えても 届かないはずの願いに街は冴えていく
昔、エッセイに関する小さな文学賞に応募したことがある。 わたしがそこに応募した理由は、エッセイに対してのフィードバックを返してくれるという他にはあまり無い公募だったからだ。 自分の作品を読んでもらい、10名ほどの審査員が評論を書いて返送してくれる。わたしの世界が他人の世界にどう投影されるのかにとても興味があったので、その好奇心からわたしは偶然見つけた小さな文学賞に応募することにしたのである。 もう何年も前のことなので詳細は覚えておらず、 エッセイに関するテーマが設定されて
不完全なものがすきなのにいつだって輪郭のあるものに収まりたくなるから、時折ものすごくつまらなくなって端から壊しにかかってしまう。迎合なのか、同調圧力に敏感なのか、或いはよくあるただの、ないものねだり。
随分と久しぶりの更新です。 久しぶりも何も、年に数回しか更新しないこのnoteが生きていると言えるのかも微妙なところなんですが。 兎に角わたしは生きているので立ち上がる文字も生きているということです。 今回はなにかのテーマについて書くのではなく、 日常をつらつらと振り返ってみたいなと思ったわけです。 素行の悪かったわたしが32歳になって、 変わらず誰にも知られずにひっそりと息をしていることが、鉄格子のついた窓から社会を覗いている気分にします。 いま私が磨いたキッチンだ
目を瞑ったら振動する音がして それは鼓膜の痙攣だと知った 目を瞑ったら耳の風が鳴って 内なる音に現実を失う 鼓動の音を聞いただろうか 呼応の声を紡いだだろうか 生きているその実感を 私たちは無花果の如く貪る 滴る果汁は足元で描かれ あとに残るのは抜け殻のようで ヒューヒューとわたしを過ぎていく そして横になりまた現実に戻ると 一筋の星屑が窓の奥で架けていた
飛び込み自殺が多い駅には、 青色のライトが灯っていると言う。 正確な理由は知らないが、 青色のライトを見ると自殺を思い留まってくれることがあるそうだ。 *詳しくはこちら 鮮やかに晴れた日の空を見上げると、 雲一つない青に吸い込まれそうになる。 この世の悪や汚れたものなど決して知らないような澄んだ青に、時々目を掠めては羨望に似た気持ちになったりする。 南国の海はどうだろう。 近くで見ると透けて見える水が、 俯瞰するとなんとも色彩豊かに染まった青が水平線の奥まで広がる。 世
わたしがまだ、 ゆらゆらとした恋をしていた頃のお話だ。 ひとと出逢ったりイベントに顔を出すことが好きだったわたしは、なにかイベントがあるとひとりでも参加した。 だいたいは皆同じ穴のムジナ(別に悪事を働いている訳ではない)で、ひとりでの参加も多くみんな初めましての状態から仲良くなる。 その時も13人くらいだろうか、 集まっては小さいイベントを開いた。 年齢層が幅広くいろんな職業のひとがいて、 それもまた面白かった。 普段出逢えない類のひととも知り合える。 そこで
自己紹介というタグを見付けたので、 あまり心が進まないが書いてみることにした。 自分で自分を語るなど、誰が楽しくて読まなくてはいけないのだろう。そう思うくらいにはnarcissisticなお題であると思っている。 経歴など書いたところで誰も興味が無いであろうし、生い立ちを書くにはあまりにも長い。 そしてまたこれも、誰が興味を持つのだろうという疑問は拭えない。 そもそも自分が考える自分と他人が考える自分は乖離していることが往々にしてあるので、自己紹介という不確かさに目が眩
眠ることを諦めた夜の音は繊細に響く。 どこかへと向かう車の走行音や安い時計の頼りない針の音が交錯して耳元で騒ぐので、 消し去ろうと瞼を閉じれば余計、それが踊るようにありありとざわめき始めるのが分かる。 こんな夜には寝ようとしない方が正しいのだ。 どこか昂った神経が唇に熱を持たせ、 据え置きにされたわたしの眼が後を追うように爛々と月明かりを奪う。 今まで夜にどれほどの祈りを込めただろう。 遠い冬の星座にいくつの思い出を見ただろう。 生まれては消える僅かな思考の欠片を踏ん
最後の晩餐をご存知であろう。 明日死ぬと分かった時、最後に何を食べるだろうかという有り触れた話題に触れたことのある人は多い筈だ。 ひもじい思いをして最期を迎えたいという稀有な人間を除けば、多くが好物を指定することは想像がつくだろう。 背の低い冷蔵庫の前で私は体育座りをしていた。既に掃除を終え、整理された部屋はしんと静まり返っている。 もう夜だ。最後に何を食べようか。 徐に私は、抹茶のシュークリームを齧った。 (200字)
最近「生産性が低い」という言葉を聞く度に思うのだけれど、じゃあ生産性が高まったらひとは本当に満たされるのかしら...?ひとの仕事をどんどん効率化できる技術の進歩、機械の導入によって、わたしたちはどこを目指すのだろう?ということ。 #生産性#疑問#つぶやき#仕事#効率化
Twitterの賢いことやってます勢の呟きを見ていると時々、 当たり前のことをさもすごい解析であるように書かれていたりして、 つまりあたりまえ体操めちゃ専門用語パートなだけなんだぜ。 すごい解析だろ。
もし銀河系でいろんな生命体が発見されたとして銀河系交流ができるようになったら、 「出身星や見かけで差別するのをやめろ、同じ銀河系だ」みたいな話になるのかな...。
先日、我が家にブルーレイレコーダーがやってきた。 知人から、「ブルーレイレコーダーの買い替えにあたり、希望者が居るのであればそれまでのものを譲渡したい」という旨の連絡があった。 そしてわたしは希望したのちに先着を勝ち取り、2009年製のブルーレイレコーダーを手にしたのだ。 元々、我が家にはブルーレイプレーヤーだけがあった。 それも随分と昔に買ったものだ。ブルーレイならパソコンで観られるはずなのに、なぜ購入したのかも覚えていない。 家電には人並みに疎く(使えるけれど詳しくな
「降水確率が0パーセントだなんて、あり得ないと思わない?」 わずかに緊張の走る部屋で、わたしは小声で言った。 「99パーセントにすればいいのに。この世界の気象状況を完璧に予測することなんてできないと思う。万が一、億が一のために、1パーセントの余地は残しておくべきだと思うわ」 ラジオから流れる天気予報を聞きながら、わたしは不満を漏らす。 「90パーセントでも良いんじゃない」 恋人はそう提案をする。余地に厚みを持たせるつもりだ。 「そうね、90パーセントでも良い。でも、0パー
わたしは習慣として、観賞した映画と読了した本のレビューを書いている。 それぞれ別の場所でそれを記録しており、 映画は「Filmarks」という映画評価アプリで、 本は「Booklog」というウェブサイトで、作品ごとにレビューを置いている。 習慣とは言ったものの熱心に書き始めたのはこの一年ほどの話であって、それ以前は他のレビュワーさんのレビューを読んだりして、読み物として楽しませてもらっていた。 レビュー欄にはいつも自由なレビュワーさんたちが居て、あるひとは概要を、あるひ