見出し画像

私はこの息苦しい世界をずっと生きていたくなかった。

なんて言ってごめんなさい。

親不孝かななんて思って
唇をグッと噛んで

飲み込んだような、
喉の奥に詰まるような

そんな感情をずっと心に持ったまま


小さな頃から俗的な事に興味がなくて
人の輪に入る事が苦手だった。

人に興味がなくて、世界に無関心で
自分以外の人間を理解したくもなかった

いや、そんな余裕はなかった。が意外と正しいか。


なんとなく合わせている方が安牌で
両親を安心させてあげられたから
張り付いた笑顔で笑った

そうしながら、ただ、毎日、
自分が生きる意味をぼーっと考えた。

ただ、ぼーっと
「なんで生きてるのかな?」って思ってた。


生きてる意味も理解できなければ
だからと言って、痛く苦しい思いをしてまで
死にたい理由もないような。

死んだら、あの人は悲しんじゃうか、それはちょっと嫌な気分だな。やめとこうかな。みたいな。

急に子供を授かったのをわかった時は、子供ができる身体だったかと安心したと同時に、生きなきゃいけなくなったな。って、なんとも言語化できないじめっとした奥歯で砂を噛むような感情を抱きしめたりした。

不倫された時も、離婚しろと1年モラハラに耐え忍んだ時も
思えば、死にたくなると生きろと言われんばかりのことばかり起こった。必ず私に光を差してくれる人と出逢った。

そうか、まだダメか。
いや、私は生きたいのか。そういつも思った。


ただ普通に、人間になりたくて
みんなみたいに笑うにはどうしたらいいかなって思ってた。

何がそんなに面白いんだろう。
何がそんなに楽しいんだろう。

何が楽しくて笑ってるのかわからなくても、とりあえず笑ってないといけないような。そんな空気に私たちはいるような。


テレビ越しのあの人も
SNSで見るあの人も
堂々と講義をするあの人も
仕事で出世するあの人も

イキイキ幸せみたいな顔してて
どうしてあんな顔するんだろうって

私は他人を比べてみたりして
あっち側に行ってみたらわかることもあるかな?って
私の人生全てが実験のように生きてる。


私はいまだに、生きている意味なんてないと思っていて
何も守るものも無くなって、裸一貫になった時、ふと、力を抜けば死んでしまうのではと思う感情と隣り合わせでいる。

でもそれがもう昔からずっとで
そんな自分で毎日を生きることが当たり前で
病んでるわけでもなく、それが私の普通で

ファッションに興味があるように
お笑いに興味があるように
私の興味は、自分の人生だっただけなんだよなって思う。


死を意識すればする程
私は、生きる意味を考えてきたし

死にたいと思えば思うほど
私は死にたくないと思ってきたと思う。

陰が深まるほどに
私の中の申し訳程度の生命力が
陽として輝きを見せていた。

逆境に立たされた時も
生きることをずっと選んできたから

きっとこの先も
死ぬまで私は生きる意味について
自分なりの納得解を死ぬまでに見つけるんだろう。


今世はこんな人生でこんな学びをしてみたけど、どうだった?と心臓が止まる寸前の朦朧とした意識の中で、今世の肉体の自分と、輪廻を繰り返す魂と24時間は2人で触れ合いながらこの人生を振り返って笑って讃えたい。

申し訳程度の生命力を提げながら

そんなこと言いつつ実は、誰よりも図太いものを持った自分で今日も結局生きていく。

そんな私を嫌いになれない、自分が好き。

いいなと思ったら応援しよう!