タイパ時代に触れるという事
こんばんはyuccoです。
ふとだいぶ昔この時期に書いていたブログを思い出しまして、そちらを引用したいと思います。
〜触れるという事〜
ちょっと語ってみたいこと。
“触れる”というアクションについて。。。
“触れる”というのは、実は勇気や心身エネルギーがいることなんだよね。
どうでもいい相手に“触れ”たりはしない。
だからこそ“触れられる”ことは、とっても気持ちがよくて・温かくて・有り難くて・感謝したくなることなんだよね。
自分に触れるために時間を割いてくれる。
自分のココロに触れてくれる。
自分の肌に触れてくれる。
自分の音に触れてくれる。
自分の願いに触れてくれる。
とっても有り難いこと^^
触れるという事は大変有難いことなのです。
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なぜこの10年以上も前に書いていたブログを再度今の時代に掘り起こしたかと言いますと…
現代では時間効率(タイムパフォーマンス、略してタイパ)が求められる時流になった事が大きいです。
かく言う私も、ここ最近ではYouTubeなどたった10分前後の配信でも、再生速度を1.25倍(流石に1.5倍まで早める勇気はないですが)にして視聴をする様になりました。
他に見たい物がある、やらなければならない事に行動を早く移すため…理由は様々ですが。。。
しかし、本気でそれをやりたいかと言うとそうではなく、やはり配信されてる言葉はその配信者が伝えたい速度とイントネーションで成り立っていたり、音楽も配信そのものの速度で聴かなければ逃してしまう音の唸りや間があるのです。
映画のダイジェスト動画も然りで、途中端折った場所に個人個人が本当に受け取りたかった言葉や音、エピソードがあるかもしれない。
やはり、配信された速度そのものが伝えたいメッセージや表現を受け取るのには最適なのだと思います。
さて、なぜ過去のブログをここで掲載したのかと言うと、やはりそれだけ〝触れる〟と言う行為・行動には相当のエネルギーがいるのです。
自分の中の五感を存分に使い、自分の中にその音や言葉や情報を取り入れていく。。
その先には、それから感じた事を頭の中でまとめたり糧にしたり…
表層で急ぎ間に得た情報や作品を解ったと錯覚したり、ニュースの断片を切り取って社会を知った気になり、不必要に怒りを覚える事…
そちらの方が遥かに使用するエネルギーが少なくて済む気がしています。
もう一度、先程載せた過去のブログを現代に合わせてリライトしてみます。
〜ありのまま触れる事〜
語ってみたいと思います。
“ありのまま触れる”というアクションについて。。。
“ありのまま触れる”というのは、実は勇気やエネルギーがいることなのです。
どうでもいい相手や物、情報に対して“ありのまま触れ”たりはしない。
だからこそ、“ありのまま触れられる”ことはとても有り難くて・感謝の湧く行為なのです。
こちらの意図・表現したいことをそのままに受け取ってくれる。隙間に潜んでいるかもしれない物に向き合ってくれる。。
ありのままに触れるために時間を割いてくれる。
ありのままのココロに触れてくれる。
ありのままの情報に触れてくれる。
ありのままの音に触れてくれる。
ありのままの願いに触れてくれる。
この長い記事を最後まで読んでくださっていると言うことですら有難い事なのです。
お読み頂き、本当にありがとうございます。