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過保護な親に育てられた私が親になって

恵まれていること、感謝すべきこと、
でもちょっと息苦しい時もあったなってこと。
もしも、どこかの誰かと、そっと共感できたら嬉しい話です。

私の実家は、ザ・過保護。
母方の祖母は、もうアラサーな私に会うなり、いつも上から下まで褒める。
さっきまで0歳のひ孫(つまり我が子)に会いに、母とお茶をしに家に来てくれていたけど、並べた食器も、箸置きまでも褒めた。さらには部屋のサイズ感から、暖房の効き具合までも。
母は、会うや否や私が髪を切ったことに気づき、前のヘアスタイルとの違いを分析し、今回の良い点を語った。
そして私は、母が要らなくなって譲ってもらったワンピースと、クリスマスにもらった靴下を履いて出迎えた。
0歳の娘には、父がクリスマスにくれたお洋服を着せている。

夫の転勤で実家を離れていた数年間、祖母から週に一度は何かしらのアクションがあった。
たとえば、
1週目は電話、
2週目は手紙、
3週目はダンボールの食材、といったように。
家計という意味では非常にありがたい。
私は、このひとつひとつに対するお礼の電話がなんとなく苦手だった。

母によく「もっと甘えなさい」と言われた頃もあった。
可愛らしく甘えたり天真爛漫に振る舞えたりしない自分って可愛げがなくて良くないんだろうな、と長年思っていた。
甘えるというのは落ち度を見せるようで嫌なのかな?などと自己分析をして改善を試みてきたが、親向けの私の顔には、もう数年、甘えるというチャンネルが割と行方不明。

社会人をある程度すると、外向けの自分の顔が心地よくて、親向けの顔がぎこちなくなるのは、
案外多くの人が経験しているのかもしれない。

過保護な親のもとで育てられたことで、社会人になりたての頃は世間の雑さ(いや、至って普通なんだろうな)に驚いたり、同僚さんに天然と都合よく勘違いされたり、人情味ある先輩には「もう少し謙虚さを見せた方が生きやすい」とご指摘いただいたこともあった(残業反対や業務の平等を真っ直ぐ訴えていた…)。そのうちに、「すみません」から会話を始めるとスムーズなことなどポイントを掴むのだが。

家族にとって私が特別でも、世の中にとってはその他大勢のひとりに過ぎない
過保護に育った人間は、この当たり前の事実を自らに強く意識させて生きなければならないと私は思っている。
ふとした時にナチュラルに「してもらう側」でいようとしてしまうからだ。
私の夫の良いところは、この当たり前を前提にしながら私と接してくるところだ。
「僕にとってあなたは特別だけど、世の中にとっては特別じゃないことは分かりきっている」
というのが会話や動作の端々に表出している。大切にしてくれながら、これを疑いもなく態度で示してくれるのはなかなか心地よいものである。
こんな夫が我が実家に対して色々感じるのは当然だと思っていたが、さらに良いのは「いろんな人がいるよ」の一言でバッサリ。深く考えないのだ。
(はじめは、わざとあっさりして見せてくれてると勘繰っていたのだが、本当に深く考えないと最近わかった)
そして彼の名言は、
「考えても仕方ないことは考えないんだよ」だ。
答えの出ないものを永遠と考えたい私なんかとは真逆なのだ。
そんな夫と暮らすようになって、職場で「そんな気を遣わないで」と言われるようにまで私は変わった。

こうして、今の私は、夫や音楽友達、そして志の似ている同僚さんととても心地よく対話できている。
血の繋がりなど関係なく、何かしら強い縁で繋がった人たちとは自然に過ごせるものなのだと知った。

さて、そんな私にも娘ができた。
親たちの愛でる対象は娘にだいぶ移った。
私はようやく大人側に回った。
以前より親たちから愛でられる頻度が減り、なんならこちらがサポートすることも増えて、とても接しやすくなった。

愛でる親たちと、娘との間に立って、
あなたは私たちにとって特別だけど、
世の中にとってはその他大勢のうちのひとりであるということ。
直接いうと変になりそうだから、上手に示していけたらと思う。

娘は可愛い。
私を母にしてくれたこと、感謝しかない。
親子で依存せず、私は私の人生も生きる。

そして、自分の人生を賭けて私を育ててくれた親たちが、幸せな老後を過ごしていると実感しながらこれからも生きてくれるように接していきたいと思う。
与えて貰いすぎて、与えられるのは苦手だけど、与えるのは得意かな。

家族に正解はなく複雑だが、ここに幸せが在るのは分かる。
うーん、はたから見たらこれって闇が深いの?
ま、いいか。


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