【雑記】日伊にみる、人との距離間の探り方の違い
人との距離感による苦悩、距離感の探求の誤りによる損失は珍しくないもの。以下、早朝、近所の小川に立ち寄り、一羽のアオサギが佇んでいるのを眺めながら思ったこと。
この川では数羽で群れるカモもよく見られ、アオサギがそれを見ていることもある。この対照的な様子が興味深く、ワタシが親密感を抱くのはアオサギの方。鴨やアオサギ、また川を泳ぐ魚の群れの動きを見ていると、種や個体による距離感が見えてきて興味深い。
これは人間関係にも同じく。
イタリアに住み始めて暫く経った頃、気付いたことの一つに人との距離感の掴み方が、日本とは全く異なることがある。あくまでワタシの主観的な経験からの話。
慎重に距離を詰め、最適な場所を探す日本人に対し、イタリア人(特にフィレンツェの人々と言えるかも)は最初に急接近した後、適切な距離を探り、
必要あれば下がる、と感じた。比較的パーソナルスペースが広いワタシにとって、最初は不快に感じられたこのアプローチであるが、郷に入れば郷に従って受け入れ、また、慣れも手伝い、上手くいくこともあれば、厄介なこともあったり…。
しかし、学んだことは、徐々に距離を詰めるよりも、一旦近づいてから適切な距離を見つける方が、より効果的ではないかということ。いざ必要な時には、もっと接近しても大丈夫という余裕が生まれたり、経験によって相手がどう反応するか想像できるので、事前対策を練ることができる。
徐々に詰めるやり方で、一旦ここ!、という距離感を掴み、そこに安住してしまうと、なかなか更に近づこうとしないものであり、例えそこに可能性、余地があったとしても取り組まない…。いざ、となる時に非常に勇気というか、気構えが必要になる。
最近、夫婦やパートナー間のコミュニケーションについて考える機会が多く、結局のところ、最も大きな問題と感じるのは疎通の壁。共に人生を歩もうとする夫婦やカップルが、相手にはこれを言えない…、と悩んでいるのを見聞きするものでね。
今朝、アオサギを見ながら思ったこと。
それにしてもあの佇まいは、いつ見てもなんとも美しい…。
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