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北海道のお父さんの言葉が今も励みになっている

まだ徒然記の途中だけれど、最近心に浮かんでくる言葉を、先走って紹介したい。(前話/2つ目の自分(14)卒業制作HOPEがライフワークになった


二十歳の時の事故で生まれ変わってから、大学に復学したり、アートセラピーを学んだり、長く「高次脳機能障害」の療養が終わりに近づいた頃。

突拍子もなく、デンマークに留学した。

自分でも外見では見えない障害(高次脳機能障害)に戸惑い、失った自分がわからず、ずっとアイデンティティを探し惑っていた。日本を抜け滞在した学校は、林を抜けると海が広がり広い空、周囲は可愛い物語に出てくるような民家に囲まれた毎日。

療養明けに一人で海外行けるのかなんて、考える間も無くデンマークに飛んだけれど、なんとラッキーな選択をしたよ。当時は、(今でも)変わってしまった自分、思うように扱えない自分に幻滅の嵐だけれど、自分のことは自分でできるまで回復していたので、日本人先生を勝手に頼りにし、突っ走った。(なにも後遺症のことなんて告ておらず、困らせてしまったのだけれど)


奇遇なことに、わたしが入学した半年後にこの学校にきた、札幌のリハビリ医さんがいた。偶然にも私が事故からお世話になっていた、リハビリ科のお医者さん。

幸運は重なり、高次脳機能障害という外見ではわからない障害、自分の戸惑いを友達である彼女に聞いてもらうこともあった。


そして帰国後も、連絡を取り合っていた。

2014年に初めて広島で、写真展「EGMONT NATURE〜デンマークで過ごした一年間の記録〜」を開催したのちには、彼女が札幌での開催を企画してくれ、札幌市内のイベントや真駒内のカフェで写真展を開催することができた。


その際、彼女の実家でお世話になったこともあり、お父様も親しくしてくださった。

「北海道のお父さんと呼んでね」と笑い、アイヌ語を勉強していると言う、とっても素敵なお父様。笑顔が暖かい気の良い方で、いろんな話をした。私のそれまでの話や、変わった自分の戸惑い、写真展の思いに馳せて、”こんなこと”伝えたいんだ、なんて抽象的でしか表現できない話をすることも。

そこで、お父さんが言っていた言葉を、今でもたまに思い出す。


私の障害は「思いが言葉にならない」「言いたいことを伝えられない」、そんな軽度の失語症のようになることもあり、歯がゆい。歯がゆいなんてもんじゃないほど悔しい。

事故以前の私だって天然ボケキャラだったので、そんなことは何度もあった。だけど以前の天然ボケで、笑って済ませれることとはやはり訳が違う。私の中に籠もった伝えたい気持ちを、どうにも捉え切らないのだ。

さわさわさわさわ漂う、出てきそうででてこないあの気持ち。現在は次第に表現できるようになっているとはいえ、この気持ち悪さには、これからも付き合っていかなくては。


お父さんにこんなことが悔しかったんだなんて話をしていて、「最近はどう?」と聞いてくださった。

私はすかさずに「ずっとしんどいです、お父さん」と答える。

「そうか、ずっとしんどいのか、」

...


そして、

「言葉にならないゆかりさんが考えていることは、もしかするとまだ誰も言葉にしていないことなのかもしれないね」、と投げ掛けてくださる。


その瞬間目からウロコという言葉がぴったりのほどウロコは剥がれ落ちる。


確かにーーーーーーーー!!!!!!!!!

デンマークのエグモント・ホイスコーレで過ごした、暖かいあの場所や、わたしが「こんな」風に過ごしたいと願ったあの空間。

もっとそれだけじゃない。わたしが過ごした世界は、他の誰でもない、わたしが感じてきたオリジナルの言語でしか表現できないのかもしれない。


そう思考を変換させてくれたお父さんの言葉に、今も力づけられてます。

これからも、ここに吐き出していきたい。

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二十歳意識不明、高次脳機能障害。

赤ちゃんから成長し直し。大学を卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離恋愛の後渡米、国際結婚、100/8000人でサンフランシスコ一等地アパートご褒美の当選

泥臭くクリエイティブに生きるストーリー

続きます。





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