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2つ目の自分(8)>できない、ない、ない、ない、ない、ない、なにもなかった時間を綴る

わたしが意識不明から自分を失ったとき。

伝えたいことも言葉にならないし、友達とも変わらず接したいのに、以前のように楽しく喋れない。突然話しかけられても。曖昧で、へらっと笑った相槌しか答えられなくて、その気持ちを言語化する力がなくて、自尊心なんか微塵もないんだよ。

話ができる、便りのリハビリの先生にだって、どんなに生活が悔しいか、私に伝える力がない。そんなの若者にはよくあるよって、さらっと流されて、また自分を見失った。

誰もわかってくれない、何も伝わらない。自分は変わったのに、周りは何も変わらない。いつものようにキラキラして見える大学生を横目に、こそこそと学食の隅でお昼ご飯を食べることもあった。友達と一緒にいても、全くその場のスピードについていけず、存在感のない自分。空洞の灰色の世界で、こんなの自分じゃないって悔しさだけが、永遠とこだました。

両親は夜中でも私の愚痴を聞いてくれたし、「帰ってきてもええよ、」と言ってくれた。「今帰るともう帰ってこれなくなるから」そう言って、私は頑にその場にしがみついた。

長期休みで地元に帰った時は、一度叔母の務める病院の、臨床心理士さんに話を聞いてもらった。そこで呟くように悔しさを嘆いたわたし。初めてそこで、「わかる、大変だったね」と一緒に涙を流してもらったんだ。やっと分かってもらえたこの安堵感は、ずっと忘れられない。


また大阪に戻り、学校が始まる。やっぱり虚無感は果てしなく、孤独でしょうがない。誰にも分かってもえらえないんだから、自分だけは自分を甘やかしてあげよう。好きな服を買い集め好きなファッションをして、食べたいものをむさぼり食う。

大学へ行った帰り道は、スーパーに寄って、おやつを買い占める。色の違う世界の透明人間のように、むさぼり食べながら帰宅した。ある日、彼氏とバイクに乗っている友達とすれ違った。その時の精神状態はもう、それだけで、見られたショックと、恥ずかしさと、羨ましさと孤独と、惨めさ、、、空洞が広がる。

自分を見失った私は、いつも失敗ばかりで毎日が終わるんだ。電車に乗っているときも、一瞬、他の事に意識が捕らわれると、扉が開いた瞬間、慌てて降りる。どうして降りたのかわからない。ただ扉が開いたから。ここじゃないと気づき、また乗り直す。なにが起こっているのか分からない。また自分が信用できない。また一つ自尊心は崩れ落ちる。

大切に築いてきたものが、有無も言わさずひっくり返った。誰も悪くないのに、何もうまくいかない。

寒さが増す頃には、もうこの状況が耐えきれなかった。両親に留年したいと、お願いする。新しい人たちの中で、新たな自分をスタートさせたかった。知っている人が、いない場所にいきたかった。



15年もの時間が経った今でも、私はあの時の私に居場所を作ってあげたいんだよ。

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ここまで読んでくださり、ありがとうございました☺︎


二十歳意識不明、高次脳機能障害。

赤ちゃんから成長し直し。大学を卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離恋愛の後渡米、国際結婚、100/8000人でサンフランシスコ一等地アパートご褒美の当選

泥臭くクリエイティブに生きるストーリー

続きます。

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