窮屈すぎるわたしの靴
ここ(サンフランシスコ)に来て、やっと気づいた わたしの縮こまったカラダに。
もっと指先までピンと伸ばして、ゆったり履けばいいのよ、靴も。
もっとカラダにフィットする服を着てもいいのよ。
日本では、可愛いデザインのものが入るならむりやり標準サイズのものを着た。どうにか押し込んで入った靴を履いたりね。
もう、その窮屈さが、普通。
わたしは大きいから、まぁ、しょうがない、大きさがどーとかよりも「好きなものが着たい」
幼少の頃から”大きい”っていうコンプレックスもあった。出会う人出会う人、いちいち大きいことをびっくりされるのもウンザリだった。
みんなの中からハミ出てるような気がしてたのかもね。
「わたしだってみんなと同じだ」って言いたかったのかもね。小さくても入るなら、窮屈でも着たい、可愛い服を、そのまま着た。
カラダのストレスなんか考えなかった。
そのまま成長を重ねたわたしは今、アメリカに来ている。ずっと、自由になりたかった、わたしの潜在意識がそうさせたのか、自分の居場所がここに決まった。
そしたら!
開放感溢れる、多様性のある空気感に安堵したのだろう、カラダが悲鳴を上げ始めた。
こんな窮屈な靴履けない!
こんな窮屈な服着れない!
わたしはわたしだ!
カラダがきしみ始めた。
ひん曲がった足指で歩いていたことにやっと気づいたし、パンパンに押し込めて、押し込めて、標準サイズになろうとしたことに気づいた。
ここにいるとわかる。
おおきくてぽっちゃりなのが魅力なんだよ。わたしは、そのままがいいのに。
こんなに魅力的なカラダ、どんどん魅力的なファッションで惹き立てればいいよ。
いままでこの魅力を押しつぶしてきたことに、気づいた。可哀想、わたし!
いろんな人が当然のようにいるユナイテッドステイツ🇺🇸の開放感に後押しを受け、助けられました。
わたしが、わたしのままで
わたしの、形で
そんなわたしを、許していい
愛していい。