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全部だきしめてくれてありがとう

泣いた。いや、泣いてる。
気分は、キンキキッズの全部だきしめて。

人の心って当たり前だけど分からない。だから相手のしていること、しないこと、そこからしか自分は相手の心を推測できない。そして推測である限り、それは正しかったり、間違っていたり、ちょっとだけ正しかったり、ちょっとだけ間違っていたり。

だから言葉にしてもらったら、急に分かることがある。相手の事情とか想いとか、そんなんはどんなに近い存在でも大事な存在でも知ってるつもりの存在でも、じつは全然分かってないのだと。

ま、そんな感じです(どんなだよ)。

今はありがとうとしか言えん。言葉を受け取って、まずは嬉しくて、それはそれは嬉しくて、そしてやっぱりごめんねという気持ちもあって、嫌いにならないでくれてありがとうと伝えたくて、何より私もまったく同じことを思ってるぜと伝えたくて、だから全部ひっくるめてありがとうだなと。

ま、そんな感じです(どんなだよ)。

そんな感じを伝えたいと思ったときに、この「全部だきしめて」を聴いてしまった。

きみのすべてを ぼくの自由にしたくて
ずっと大切にしていたわけじゃない
だからなにも 信じられなくなっても
ぼくを試したりしなくて いいんだよ

いいさ 落ち込んでだれかを傷つけたいなら
迷うことなく ぼくを選べばいい
さびしさの嵐のあとで
きみの笑顔を さがしてあげるよ

きみがいたから 勇気を覚えて
知らない場所も 目をつぶって走れた
きみのために できることを
あれからずっと 探してる

全部だきしめて Kinki Kids

私は、してもらってばかりだったんだってこの歌聴いてたら分かってしまって、それがどんなにありがたいことなのか、全然分かってなかった。まるっと全部だきしめてもらってたんだって、今更気づいた。

全部だきしめて きみと歩いて行こう
きみが泣くのなら きみの涙まで
全部だきしめて きみの近くにいよう
星になった歌も 過ぎた想い出も

全部抱きしめて きみと歩いて行こう
きみが笑うなら きみの笑顔まで

物理的な距離とかじゃなくて、いっつも隣で見ててくれたんだなって思ったら嬉しすぎて泣くよ、そりゃ。

全部だきしめてのYouTube再生回数が上がっていたら、それは私が今日聴きまくったからである。体育座りして横に並んでるキンキが歌ってるような感じで、私も隣にいたいなと思う。