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自分に合うものだけでよい、合わなければさよならすればいい

友人がいきなり「謝りたいことがあるから会いたい」と。え、怖えよ。心当たりゼロなんだけど。なので素直に「その時のことほぼ覚えてないので全くもって身に覚えがないのだけど、謝って気が済むならいいよ」と。そして会ってきた。

が、結局謝られることはなかった。なんて日だ!by小峠さん。ていうか本当になんの心当たりもないし、前会ったときに話した内容なんてほぼ覚えてない旨を伝えたら、「あ、ならやめとくわ」と。なんやねん。

友人は数ヶ月会わない間にメンタルをやられたらしい。なんなら脳の病気を一度患ってるため、再発も懸念して様々な検査を受け、心療内科にも行ってるとのこと。が、根本的な理由はわからず苦しそうだった。

だから私が病んでた時にどうしてたかとか、どうやって過ごしてたかとか、そんな話をしつつも、友人がやっている世間で良いとされているヨガや瞑想や自己啓発系ポッドキャストを私はやんわり否定した。自分に合ってる、心地よいと思えば続けたらいいが、苦痛ならやらない方が私はいいと思うと。負のスパイラルに陥ってるのに、新たに取り入れたことがうまくできなかったらさらにドツボにハマるだけだと。

友人、良い意味での目から鱗っぽかったので良しとしたい。

でもそんなもんだと思う。世間で言ってる、やれ健康法、やれ運動法、やれ美容法、やれ仕事術、そんなもの自分に合ってなかったら、やらされてるだけと思ったら単なるストレスなのだからやらなくていいと思う。自分がやってみたい、やりたい、やれそうと思ったことをやればいい。いつか必要性を感じなくなったらやめればいい。ただそれだけだと思う。

学び系のポッドキャストやYoutubeについても気をつけた方がいいと伝えた。私は学ぶ系は一切見ないし聞かない。楽しくないから。楽しければ見るかもだけど、楽しいと思うものに出会ったことがないから。仕事以外の自分の時間はくだらない、どうでもいい、何の生産性もないことで過ごしたい。それで私はバランスを取ってるし、くだらないことで笑ったエネルギーはすごいのだ。気合とかいらない。むしろ脱力して「よーし今日もいっちょやっとくべか」くらいのゆるめのよーいドンに持っていける。ブワーっとこんな話をした結果、友人は呆気にとられているのであった。だよね。

そんなわけで6つくらい年上のちょい病んでる友人に一方的にこんな話をし続けたのだけど、最後の方、いつもの友人に戻った瞬間が何度かあってよかったと思ったのであった。

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これはきっと私が今それなりに軌道に乗って色々とできているから言えること、思えることであることは分かってる。でも負のスパイラルにはまったら、自分で抜けるしかない。抜けるためのサポートをくれる誰かはいるかもだけど、抜けるのは自分だと思う。これは友人にも伝えたけど、良いと言われるものを色々やってみてうまくいったりいかなかったりを経て、全然関係ないところで急に抜け出せるときがくることもある。なんだかんだとその時を待つだけだったりするし。

まだまだ悩み、苦しみ、もがき、そんなこともあるけど、自分の中でやっぱり一皮むけて一歩進んだんだろうなと、数年前に母と対峙したことをまた思い出すのであった。