いのちのかぎり
鈍色の空は今にも雨が降りだしそうだった。
わたしは見覚えのない駅のプラットホームに、ひとり立っている。
と、何か感じた。
振り向いた。
その視線の先から小さな光が見え始めた。
やがてそれは真っ黒な列車となって音も立てずにやってきた。
停車した列車にわたしは乗るしかない。
出口が見当たらないプラットホームにいてもしかたがない。
車内には乗客はひとりもいなかった。
わたしは真ん中あたりのボックス席に座った。
音のしない列車が動きだした。
リニアもこんな感じかと、ふと思った。
超電導。
抵抗もなく、流れる電流は永久に流れ続けるんだっけ。
やがて、音を立てずにひとりの少年がやってきた。
すぐに彼だとわかった。
彼は、わたしの向かいの席に座った。
「ひさしぶりだね」と彼が言った。
「そうだね」とわたしは言った。
声だけが聞こえる世界に、わたしはいた。
「いくつになったんだい?」と彼が聞いた。
「五十五だよ」とわたしは答えた。
「そっか。なにしろこっちはじかんのかんかくがなくってね」
「ああ」
「かわらないね」
「そんなことはないよ」
「めは、あのころのまんまの、めだよ」
「そうかな」
「うん、ボクをみるめはかわらない。それに、そのこえも」
「ああ、この声、そうだね」
「うん」
まさしくこれは、彼と話していたときのトーンだった。
なにも気にすることなく話せる、ありのままの、自分の声。
この声で話すことは、あの日からなかったような気がする。
わたしはずっと、いつも、この声で話していたかったんだと思った。
わたしは愛するあまり、妻にも声をつくっていたことに、初めて気がついた。
それを聞いたのは夏休み後半の朝早くだった。
起きて一階に降りると、母が険しい顔をしてこう言った。
「家族全員亡くなったって。今朝、車の事故で」
「キミとボクのあいだには、えいえんにつながってながれているものがあるからね。だからこうしてむかえにこれるんだ」
「僕はね、君を思うことで、生きてこられた。君のぶんまで生きなきゃって、君が生きたかった今日を生きなきゃって、そう思って生きてきた。君は、僕にとっては、なくてはならない砦だったんだよ」
「そういってもらえて、しんだかいがあったよ」
「ねえ、僕はもう、エネルギー切れかい?」
「それはね、すごいことだよ」
汽笛が鳴った。
いや、声だけが聞こえる世界だ。
その声が誰だか、もうわたしには思い出せなかった。
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