ゆぶ
いつもなら、定休日にはわたしのお城であるこの美容室の中でひとりお昼寝をする。このお店になってからずっと、わたしはそうしてきた。 早春の風を頬に感じながら、お店の前で待つ。ガラスのドアの内側には飾り文字でクローズと書かれたプレートを掛けてある。美容科を出て十年。様々な経験と、幾つかのコンテストにおける実績と、お客様との出逢いやご縁で出せた、わたしの美容室。今年で二年目。古里の市内に開業して、はじめて父が髪を切りにやって来る。突然の連絡だった。別に疎遠というわけではなかったが
ある日の朝、琵琶湖に巨大な三角錐の宇宙船が突如として現れた。外観はすべすべした金属で覆われていた。時折、太陽のひかりが反射して、興味本位で寄ってくる鳥たちの飛行を急転回させた。どうやら湖面から数センチほど浮いているようだった。湖に棲む魚たちが浮かんできているといったことはなかったので、とりあえず環境や生態系に影響はないようだった。さっそく宇宙工学や物理学の専門家らを中心として編成された調査団が政府により結成され、その旨、官房長官より発表された。すでに琵琶湖の周辺には夥しい数
小6の夏。サーマルウィンドが吹く前の、まだ誰もいない波に乗るのにハマりだした。朝起きて、その気になれば10分でファーストターンができる。朝すぐに飛びだしていけるように、スーツなどの下準備は夜にしておいた。浜辺に降りたら、軽くストレッチしながら沖にでるためのサーフビートを見極める。小走りで海に入る。パドリングで海をつかむ。そうすると自分の中の何かとつながっているように思え、日々受ける嫌なことがそこから海へと消えてゆくような気がした。その日。そう、その日はいつもと違っていた。彼
「ゲジゲジじゃなくて?」 わたしは念のため聞き返した。 「カタチはそっくりなんだけど違うの」 ヨウコさんはそう否定する。わたしは指摘された背中を動かすことができない。 「ああ、はっきり見えてきたわ」 ここは会社の屋上。彼方に高層ビル群が見える。わたしたちOLたちのひとときの息抜きの場である。ヨウコさんは三年先輩にあたるが、わたしが島流し的な部署へと異動になってからはここでふたりきりで会うのは初めてだった。 「ゲジゲジってムカデですよね?」 「仲間だけどまったく別よ。ある
七月の晴れた朝、痛むほどの強い衝動に駆られ、リュックひとつで旅にでた。心の方位磁石に導かれ、幾つかの列車を待つことなく乗り継いだ。降り立った駅舎をでたとたん、まぶしかった夏の香りがした。駅前から乗った路線バスの運転手は髪の長い若い女性だった。彼女の髪が大きく揺れると、その先に湖が見えてきた。あの夏の思い出に微笑む風景ばかりになり、僕は次のバス停でひとり降りた。女性運転手は、よい旅を、と声をかけてくれた。僕は、ありがとうと返して、君もね、とつけ加えた。バスの運転も旅のようなも
彼女と出逢ったのは、ぼくが働いている動物園でだった。ぼくは飼育員で、スカンクも担当していた。春先から彼女をたびたび見かけるようになった。彼女は飽きもせず、金網越しにスカンクをじっと見つめていた。スカンクもスカンクで、まるで運命の相手に出逢ったかのように彼女を見つめ返していた。ちなみにそのスカンクは雄だった。スカンクは、強烈な臭いのおならを放つと思われている。しかし、実際のところは、あれは肛門の両側にある肛門線からスプレーのように放たれる分泌液であって、おならではない。あくま
わたしと夫の身長はほとんど変わらない。わたしは身長の高さが小学生の頃からコンプレックスだったけれど、同級生だった彼の身長はいつの間にかわたしに追いつき、そしてそのときからふたりの身長はほぼ同じのまんま今日に至っている。それはまるで、いつもわたしと同じ場所にいて、常に同じ場所からわたしを見てくれている彼のハートに似ている。不思議なことに彼にはそれを端的にあらわしている顔の部分があった。鼻孔がそう。正面から見たとき彼の鼻孔は綺麗なハート型をしていた。そう言えば昔はずいぶんと彼の
海のまんなかに、島があった。 そして、このまんなかの島をとりかこむように、三つの島がそんざいしていた。もうひとつ島はあったのだが、ある日とつぜん、あとかたもなく消えてしまった。 まんなかの島には、ひっきりなしに三つの島から船がやってきていた。いちばんにぎやかなのは、やはり朝だった。朝市と呼ばれるその時間には、それはもう活気にあふれた声があちらこちらから島じゅうに響きわたっていた。 まんなかの島の中央には、まっしろな灯台があった。夜はめったに船はまんなかの島には来なかっ
わたしの名前はキューピット。ギリシャ神話に登場する、あのキューピット。この星の文明が急速に発達しだした頃からわたしたちは次々と送り込まれるようなった。送り込まれるかたちのわたしたちの姿は人々には見えない。まあ見えたら意味がないから透明な状態でいる。そしてわたしたちはご存知のとおり、弓矢を持っている。そう、恋の弓矢を。(これも当然見えたらびっくりすると思うから人間の目では見えないけどね) この地球で使えるのは、たった一本の弓矢。だからこれはという人に向かって放つ。男性か女性
わたしはポストマン。この春、新たにこの地域の担当になった。表向きはこれから爆発的に人口が増える場所だから若いわたしに割り振られたかたちだ。これから森の向こうの高台にある煙たなびく煙突がある家へと初めて配達しに行く。時刻は夕方近く、雨の予報はなかった。 森の向こうへは森を大きく迂回して行かなければならない。ようやく森を回り込むと緩やかな坂道になった。わたしはバイクのギアをローに落として登って行った。 武家屋敷のような門を抜ける。母屋は立派な日本家屋で周りには人気のない工場が
《あらすじ》 テレビ東京がなくなってから30年。最後の番組(明日の天気予報)を担当した新人アナウンサーだった結城一路は、今は地方の街のコミュニティFM局のメインパーソナリティとなっていた。気象予報士の新谷つばさとぶつかりながらつくった最後の番組。その彼女の訃報にふれ、結城はあの日を振り返る。あの日彼女は、天気予報は漁に出る人たちなどにとっては命予報だと言って、テレビ大好きで人より努力に努力を重ねてせっかくアナウンサーになれたのにとふてくされて天気予報など眼中になかった結城の
《あらすじ》 さよならメッセンジャーの今泉に依頼は絶えない。今日はOLからの依頼。付き合っていた男性に妻子がいたことがわかり、別れを決意。今泉はその男性の自宅近くのファミレスで話を切り出す……。 明くる日は、子どもから。基本、子どもからの依頼は無料で行っている。どうやらイジメが原因のようだ。相手は豪邸に住む、いわゆる勝ち組の家の子ども。今泉は用意周到に、話し始める……。 その次の日は、こちらはお金持ちの大学生のご子息からの依頼。付き合っていた同じく大学生の彼女の裏切りに
1 もりのなかに にんげんのあかんぼうが だっこひもをつけたまま ぽつんと おかれています そこはまだ もりのいりぐちに ちかいと ところです そのなきごえは もりのおくのほうまで ひびきわたっていました 2 そのなきごえをきいて まずさいしょに おサルさんがやってきました 「おやおや やっぱり にんげんのあかんぼうだ なんでまた こんなところに」 おサルさんは あかんぼうを なきやませようとします おサルさんは ベロ
① きょうは あまくて とってもおいしい ハチミツのおはなしよ ハチミツだ~いすき ねっ ママもだ~いすき ねえ~ ねえ~ うふふ うふふ ねえ どこでつくっているか しってる? ううん ねえママ どこで つくってるの? あのね おうちたべているハチミツはね むこうのおやまのふもとにある ようほうじょうっていうところで つくっているの ようほうじょう? そう ようほうじょう ミツバチをかって ハチミツをつくっているところを そうよぶのよ へえ~ そこは かぞくみんなでつくっ
緩和ケア病棟で息を引き取った母。子宮頸がんだった。その病棟の看護師長さんからお話ししたいことがあるということだったので、母の葬儀の翌日にぼくは病院を訪ねた。高校を出てすぐに都会へ向かったぼくには、その病院はとても懐かしい場所にある。病院の目の前の橋を渡れば、すぐそこには三年間通った中学校があった。この病院はできて間もない。以前ここはボウリング場だった。母はボウリングが大好きだった。アマチュアの全国大会で上位に入賞したこともあった。父はぼくが五歳の時に肺炎で他界した。母子家庭だ
ある日、再び大きな地震がこの国を襲った。途方に暮れる日々のなか、被災者には国から無料スマホが提供された。災害時用に水面下で準備を進めていただけあって、その対応は極めて迅速だった。使い放題だけあって、提供された人々の手元にはいつもスマホがあった。その効果もあってかどうかはわからないが、わりかし避難先の秩序はどこも保たれているようだった。 震災から二ヶ月が経った初夏のある晴れた日。一時的な宿泊先として提供されていたホテルから、青年は数キロ離れた先にある美しい海辺へと歩いて来て