遊牧民のつぶやき 「保険ってなんだろう」
新・遊牧民生活を始めて2週間
今年で24歳。
学生が終わってお仕事が始まり、
(この生活に全面協力してくださる最高の会社です。)
できたら、感謝の気持ちを忘れずに親のすねかじりも卒業して扶養から
外れて自分で生活したいと思うお年頃。
正直、まだまだお給料が安定しているとは言えないというか
それはこれからの自分次第なところではあって
やりたいことがたくさんあるし、今それが少しずつできているから
未来にわくわくと期待が高まる幸せな私ですが・・・
ふと、生きるには何が必要なんだろう?と考える。
両親が私に言う。
「保障とか保険ちゃんとしとけよ」って
ああ。私は何と幸せに暮らさせてもらっていたのか。
自分が人間として?日本人として?社会人として?
生きていくには何かを払わないといけないのか。
何かで証明しなければいけないのか?
「保障・保険・年金」
にもかかわらず、こんなワードを知らなくても生きてこれたことに親に
感謝。
とにもかくにも、まずは友達に聞いてみた。
「私は生きるために何かで証明しなければいけないの?」
「保険・保障って何?払わなかったら、備えなかったらどうなるの?」
もしや、非国民・・?(あほw)
回答:「税金は払わないといけないけど保険・保障は、
もしも自分が働けなくなった時のためにためておく未来に使
えるお金」のことだそう。
こどもができて、お金がかかってきたときに自分がもしも動けなくなったら
誰かに迷惑かけられないから払う。年金も同じ。
なるほど。
でもそれって青二才の甘ったるい考えかもしれないけど
というか、特に年金なんかもらえないといわれている世代だからこその意見
だけど、年金がもらえる可能性が低いから今から2000万ためててねと
政治家が言っているのに、それを払う意味は私たちにはあるのだろうか。
というのが率直なところ。
選挙に行って政治が変わればもらえるようにはなるかもしれないが
それよりも、自分の食べるものを最低限、自分でつくれてDIYができて
それを緊急時に分け合えるようなコミュニティと能力を定年までに培ったほ
うがよっぽど安泰資産ではないか?
それを今、年金で納める分を投資して、
自分の孫子にもそれを伝えていったほうがいいのではないかと思う。
そもそも、もしものシチュエーションが一人で生きていることが前提に
なっていて、逆に誰かの手を借りなければ生きていけない年齢に
独りになる準備をしているようなさみしい感じがする。
自殺率も、孤独死ももっと増えるとおもう。
そして、もしも年金がもらえたとしてもそれだけで大丈夫なんてことは
絶対にない。
私は、まああああ頭が固いのだ。
いつもお金のある暮らしVSお金のいらない暮らしに偏ってしまう。
でも、自給自足に向けた生活が始まって、学んだこと。
やっぱり、生きるのにお金ってそんなにかからないんだってこと。
人間って百姓というけど自分の衣食住を守る能力は兼ね備えているんだとい
うことが分かった。
それと同時に、生の連鎖の中にいる人間にとって「貯める」「腐らない」と
いうのはものすごい発明なんだということも分かった。
だから、お金には価値があって、みんなが交換に参加できる平等な券にな
る。
本当は、畑を耕すこと暖を取ること、建物を建てること自分
でお金をかけなくてもできるし、それが命を絶やさないために最も大切な
仕事だけど、お金があるから苦手な部分は人に任せることができて、
自分の得意な仕事でそれと交換できる。
私はついつい、稼ぐとかお金を追求することがいやらしく感じてしまってい
た側面があったけど、結構すごい仕組みで、貧富の差が起きるのは
使い方や制度がまだまだ未熟だからで、それは変えていけるものであること
もわかった。
そう、あとは好みと、バランスだ。
私はたまたま私の関心処がマンパワーでどこまで生きる力を秘めているか
それを最大限に引き出してみたい!!!
つまり、百姓的な生き方が優先に来るけど
本当は、一つの能力をきわめてみんなのためにそれを使って、代わりにでき
ないことをやってもらうのことにすごくあこがれを持っているから
お金や社会や制度も自分を命を絶やさないための人間が作った立派な発明
だから、そこはありがたく協力して恩恵を受けたらいいと思う。
と、ここまでかなり抽象度の高い話をしたけども
実際、私が人間であることには変わりないので
今後も人間社会で生きていくことには変わりないのだけど
実際、どんなお金の使い方が賢いのか?
(もちろん、貧富の差を生み出したりしないやさしいやり方で)
何をお金によって備えていくべきか、勉強しよう。
どなたかシェアいただけたらうれしいです。