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ひとり時間がほしい?


2020年の年末年始、ひとりで年末年始を過ごした。


きっかけはコロナウイルスの影響。

今年は夫と私はそれぞれの実家に帰省予定で進めていた時に、

私の母がパート仲間に感化されて、PCR検査をしてから帰ってきてほしいと話を持ちかけてきたからである。

正直お盆も帰れなかったし、結婚式前の年末年始くらい親戚に挨拶したいと思っていたし、なにより毎年初日の出を見に行っていた友人たちに会えないのは寂しいので迷ったのだけれども、なんだかモヤモヤしているうちに疲れてしまい、私自ら帰省という選択肢から下りた。


そうして年末年始ひとりで過ごすことになったのだけれど、これがとてもいい機会だった。


私は普段は商品企画の仕事をしているのだけれども、想像を膨らまして作り上げていくより自分の足で行動して見て触れて感じたことを作品にする方が得意だ。わりと不器用なのだ。
だからデザイン学生時代はどこにでもひとりで歩き回っていた。

それなのに最近の私はなんだかひとりで過ごすのが億劫になっていた。
ひとりで過ごす時間は元々好きな人間なのに何故こうもひとりの過ごしかたが下手になってしまったのか、悶々とするでもなかったけど、あれ?と思うことはあった。


多分、ずっと不安で疲れていたのかもしれない。

元々メンヘラ気質なため、結婚してから割と高頻度で夫が私がいない間に何処かに行ってしまうかもとか、誰かに会いに行っているかもとか、まだ起こってもいないことに体を占領されて、不安でしょうがなくて無駄な検索をするためにスマホを手放せなかった。

そして同棲してふたり暮らしを始めて、知らない間に気を張っていたんだなと今日感じた。
嫌われたくなくて、変だと思われたくなくて、結構頑張っていたなと感じる部分があった。

本当は皿洗いなんて人が遊びに来る直前までやりたくないし、毎日早起きして勉強はつらい。休みの何日かは10時くらいにのんびり起きたい。朝ごはんはあんまりがっつり食べたくないし、早寝したくない時は心ゆくまで読書したり絵を描きたい。そんな余暇時間で自分の気持ちを作品にしたいし、気分が盛り上がればだいすきな歌うたってデタラメなダンスを踊りたい。

ああ私これ好きだったな、あれも好きだよね。自分と会話をたくさんした。


もちろん今はその有意義な時間を平日も得られるために夫婦共々頑張っているので仕方ない面の方が大きい。

ちゃんと夫婦で「頑張らなきゃいけない時」だねと決めたことなのである。


でも私は頑張る中で、自分のためというより夫に嫌われたくなかったという方がちょっと大きくなっていた。


これをやっていればきっと喜んでくれる。嫌われない。いい嫁だと思われたい。そんな気持ちに支配されて、「一体なんのために頑張っているんだっけ?」という気持ちが自分の中に生まれてしまった。

実際奮起していた副業のことや転職のこともなんとなく立ち止まってしまった。(スケジュール管理の甘さももちろんここに含まれるのだけれども)

年末年始は、そんな気持ちを一度リセットして、尖った神経を久しぶりに丸い自分に戻す作業ができた。

意味もなく泣いてもいい。ぐずぐず言い訳してもいい。いらないところで頑張ってみてもいい。効率なんて殺していい。社会に怒りを持ち続けなくていいし、うざいくらい大きな声で笑っていい。


そんな自分の気持ちが聞けて、初めて動き出せる。

だって私は自分の思ったことや感じたことでしか表現ができないから。



自分のどうしようもなさは、100%悪にしたくない。

立派な私の一部なんだと、こっそり胸を張っていきたい。


そんなことを横一列誰も座ることがない15時のくら寿司のカウンター席で

うだうだ考えた年末。




実家から帰ってきた夫には呆れられるかもしれない。

それでもわたしはこっそり、でも確かに今日もデタラメなダンスを踊ると思う。


あわよくば一緒に踊る日を夢見て。


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