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大麻と水銀の王国

薬の名前では「~丹」というものが多い。
富山の胃腸薬の反魂丹、気付け薬中山心丹、健康維持に萬金丹、吐き気止めの仁丹など。
丹とは硫化水銀のことだが、もちろんこれらには水銀は入っていない。
硫化水銀は毒だからだ。
それでも丹という名が使われるのは、丹が良薬の名前として浸透していたからだ。


水銀の話

神仙の道

死にたくないという気持ちは、恵まれた者ほど持ちやすいのだろう。
古代の中国の皇帝たちは不老不死を求めた。

不老不死になる方法は、仙になることだと信じていた。
仙は人でありながら仙籍にある限り老いることも死することもなく生き続ける。
仙になるためには大変な修行をしなくてはならないが、薬を飲むことで一足飛びに仙になる方法があった。
それを尸解仙という。
尸解仙になるためには一度死ななくてはならなかった。
しかる後に甦り、仙となる。
尸解仙になる者の死体は腐らないとされた。

そこで出て来るのが水銀だ。
水銀はその強い毒性で、服用して死んだ場合、死んだ後も細菌が繁殖せず、死体は腐敗しない。

中国では錬丹術が発達した。
水銀を使用した薬を用いて尸解仙になる方法だ。

古代中国の皇帝たちは永遠の命を求めて丹薬を服用し、死した。
死体は腐らないが甦ることはなかった。
そこで魂だけが仙になった、とも言われるように鳴った。

これが丹薬、すなわち硫化水銀を用いた薬が珍重された理由だ。

中国の生薬についての医学書、「神農本草経」は後漢の頃の成立と言われる。その中にはすでに水銀の効能について書かれていた。

水銀と近代薬

水銀は西洋でも珍重されたが、これは常温で液体である金属の不思議が注目されたものだ。水銀は卑金属と貴金属を結ぶ媒介だった。
水銀には毒性がある。
服用すると激しい下痢を起こすため、病原菌の排出に使われたり、強い殺菌作用を利用して傷口の消毒に使われたりしてきた。
現代でも微量の水銀で注射剤の殺菌をすることもある。

昭和まで使われていた赤チンも水銀を利用したものだ。

水銀鉱山

日本は環太平洋の造山帯にあり、水銀鉱床に恵まれているが、中国では南部、西部に産するが中央では産さず、大変貴重な鉱物だった。

紀元前後の日本では中国から下賜されたかと思われる水銀が墳丘墓等に使われた。
弥生時代に入ると、何も珍重されている中国から入れなくても日本国内で手に入るとわかったのか、次第に国産の水銀が使われるようになる。
その鉱山は、三重の多気、奈良の宇陀、徳島の加茂谷だ。
丹生都比売はもと、鳥羽の安楽島にいて、そこから宇大和を彷徨い、かつらぎ町天野に収まった。安楽島はもとは粟島と言った。
徳島、阿波に八倉比売が祀られる。八倉比売は香香背男の妃だと言う。香香背男は出雲の神で、倭文神に封ぜられる神だ。
または天日鷲に追いやられる伊勢津彦だ。伊勢に居た神だ。
八倉比売は大宜都比売という。
香香背男は記紀の須佐之男ではないだろうか。
娘、阿加流姫相手だからこそ、抵抗をやめたのではないか。
やはり大宜都比売は稚日女のように思える。
母である稚日女の故地であるから、天日鷲は阿波に鎮まったのか、あるいは逆で、水銀を求めて阿加流姫が彷徨った地に母稚日女が祀られたのか。

阿加流姫は生まれたときに赤い玉、もしくは白い玉を握っていたという。
赤い玉が辰砂であるならば白い玉はそれを熱して色が失せたものではないだろうか。
大麻を薬として使った薬神であれば、水銀もまた殺菌作用を利用して薬として使ったのかもしれない。
古代、病は死に直結していた。

大麻の話

いわゆる大麻取締法で取り締まられる大麻だが、日本に自生していた。ただいわゆるマリファナよりは成分は弱い。しかし全く作用がないわけではなく、神事で燃やす麻の葉や野焼きで酩酊したこともあったようだ。
神社では大麻を神聖な草としていた。御幣は大麻布で作られたし、神宮大麻は大麻布で包まれていた。
かつてはしめ縄も大麻で作られていた。
現在は野性の大麻も除去対象で、所持することは大麻取締法の違反となっている。

薬効成分

近頃は各国で医療用大麻が解禁されつつある。
元より禁止されていない国もある。
大麻の有効成分カンナビノイドには鎮痛・鎮静作用、抗がん作用、嘔吐の抑制、催眠作用などがある。
また精神状態への働きかけとして多幸感がある。
この作用、つまり向精神作用によって、阿片などとともに規制されるに至ったが、副作用はこの種の植物の中では至って少ない方であり、依存性もタバコより低いとされる。

生薬として

水銀も書かれている「神農本草経」には大麻も載っている。滋養、鎮痛、鎮咳薬として使えるとあった。
実際医療大麻でもぜんそく薬として使うことがある。

薬祖神

ところで弥生時代の平均寿命は16~8歳くらいと、非常に短い人生だった。
ただし、大人にならないうちに亡くなる子どもが半数以上を占めていて、大人になることさえ出来ればもっと長く生きられる。
どのくらいかと言えば、30歳くらいのようだ。
これには理由がある。
女性の多くが出産で亡くなっていたからだ。
また男性の多くが戦いで亡くなっていた。
農業の始まった弥生時代は戦いの時代でもある。

平均寿命が30歳~40歳だった平安時代にも80歳まで生きた人はいるし、弥生時代も出産や戦いを生き延びさえすればそこそこは長く生きた。

実は平安時代から大正あたりまでの平均寿命はほとんど変わらない。
乳幼児の死亡率が高かったことと、女性の出産による死のためだ。
これらが解消されるには医学の進歩を待たなければならない。

昔は人がとても死にやすかった。

古代世界で人の不調を治したのは薬ではなくまじないだった。

そんな世界に、鎮痛と殺菌の薬を持ち込んだらどうなるだろう。

病原性微生物を水銀で制し、痛みを大麻で制したからこそ、台与は幼くして薬神として崇められ、人心を掌握したのではないだろうか。

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